この映画の封切りは1964年(昭和39年)東京オリンピックの年。わたしは高校2年生だった。2番館か3番館か知らないが生家の近所にあったロマン座で見た。その時気になるシーンがあった。開映後30分過ぎたあたり丹波哲郎扮する清河八郎が目明かしか小者の首を斬るところがある。当時16歳のわたしにはワンカットで首をはねたように見えた。ちょうどその頃遠縁の者が映写技師をしていたので映画館がはねたあと映写室にもぐりこんでどのように撮ったかをフィルムで直接見て確かめようとした。しかし何巻目のどの辺というのが分からないので確認できなかった。
映画監督の端くれとなっているいまなら分かるだろうとその箇所をチェックしにきのうフィルムセンターまで足を運んだ次第だ。何のことはないやはりワンショットでは無理(胴体から血が噴き出し首が真上に吹っ飛ぶ)なのでカットを割って撮っている。素人にはこれが一つのショットに見えたに過ぎなかったのだ。 映画はどうしても試合で負けた佐々木某(木村功)が報復で清河を殺しただけという小さな話になってしまう欠点を持っているために104分(チラシに上映時間が書いてある)を我慢してみるのはつらかった。 篠田監督には恩義がある。わたしの監督デビュー作『純』の試写会のご案内を差し上げたところ銀座松坂屋裏の小さな試写室に見に来てくださった。しかもスーツにネクタイ姿で開映30分以上前(わたしが到着する以前)にまっさきに椅子にすわっておられた。恐縮至極。ご挨拶すると監督はニコッと例の笑顔を浮かべて「ウラちゃん(編集の浦岡敬一氏のこと)によろしく言ってください」とおっしゃった。後日丁寧なお手紙を頂戴した。中国土産の切り紙が同封されていてとても嬉しかったことを覚えている。 監督協会の50周年記念のときは深作欣二監督と篠田監督(両氏は同じ歳。東映と松竹で会社は違っていても助監督時代から交流がおありだった)のうしろからついて二次会のスナックへ青山通りをのぼっていったことがきのうのことのように思い出されて懐かしい。
by hiroto_yokoyama
| 2010-02-25 07:10
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