倉本聰氏が富良野塾を閉塾なさった

 拙作『純』の脚本はもともとは倉本さんのシナリオ。氏に了解を得て映画化をすすめていたが撮影後オールラッシュの段階で氏ともめた。ラングストン・ヒューズの詩を無声音で入れると当初決めていたのだが撮ってみるとこの黒人の詩とわたしの映像はどうしてもなじまない。率直に倉本さんに(詩を入れない)お許しをいただこうとしたのだが氏は「話が違う」と拒否された(「どうしても無声音で詩をいれろ」と主張)。
 中島貞夫監督から倉本さん(お二方は東大の同級生)をご紹介いただいた関係から中島監督が完成した映画に倉本さんのお名前を入れない(要は倉本さんがわたしにシナリオをプレゼントするという形)ことで氏とわたしの間を取り持っていただいた。
 富良野塾はちょうどそのころ倉本さんがお始めになった。映画でもめた後、伊藤俊也監督のご息女と倉本さんの甥御さんがご結婚なさり式場で氏にお目にかかりご挨拶申し上げたことがある切りでわたしは氏をお見かけすることもなく時がすぎた。
 けさの毎日新聞26面で正式に富良野塾閉塾のニュースを知った。同紙に載った氏のコメントが印象深い。
年々応募してくる若者の質が低くなってきた。本気で芝居をしたいのではなく、覚悟も教養もないまま、受け身で教わろうという態度が目立ってきた
 富良野塾とわたしが福岡市でやろうとしたふくおか映画塾とでは天と地ほどの隔たりがあることを百も承知の上で言えば「覚悟と教養もない」「受け身で教わろう」という不埒なパー坊が増えていることはまぎれもない事実である。わたしがふくおか映画塾を愚行と呼ぶ所以である。
 倉本さんは富良野塾から275人もの卒業生をお出しになった。わたしは日本映画学校からふくおか映画塾にいたるまで自分でちゃんと卒業させたと実感できる人間をひとりも持っていない。これは倉本さんとわたしの実力の差。
 記事の最後の方から引用する。
今後は卒業生らによるプロの演劇集団「富良野塾GROUP」の活動に力を注ぐ。
 わたしも倉本さんの爪の垢を煎じて飲むつもりで孤立を恐れず連帯を求めつづけようとの思いはあるのだが弊ブログもツイッターも読む人はほとんど冷やかしばかり。記事数1000を区切りに今後は自分ひとりだけよければそれでいい備忘録というかメモがわりに使うしかないと諦めの心境である。
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by hiroto_yokoyama | 2010-04-05 06:45 | ブログ
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