わたしに映画監督の適性はあるのか?

 1970年に映画監督を目指して上京。(22歳)
 1971年に日大の映画学科にはいる。
 1973年に東映の契約助監督になる。
 1977年に東映をやめる。
 1978年に監督第一作『純』を完成。(30歳)
 『食べていくための自由業・自営業ガイド』(本多信一著、岩波アクティブ新書122)をみると
 「集団適応力のある人の場合は集団の中で力を伸ばせ! 」
 「集団適性のない人は自由業で羽ばたけ!」
と書いてある(12ページ)。
 わたしは「まったく協調性がない」と小学1年生の通信簿に書かれていらい母を心配させてきた。むろん後者である。本多さんに言わせれば「非組織型人間」。
 「…これまでの日本のような集団性の色濃い民族(太字にしたのは横山、原文は傍点)の下では、何らかの組織に適応し得ぬ人々はなんとなく落ちこぼれとみなされてきた」(6ページ)
「……このタイプは『ひとり遊びぞ我れは好めり』と詠った良寛、『雨ニモマケズ』のあり方をした理想主義の宮澤賢治、自由律俳人の種田山頭火といった方々をイメージするといい。ひとりコツコツ型であり、自分の人生で「真善美の探求」を使命とするタイプだと私はみている。」(7ページ。ちなみに著者の本多さんご自身もこのタイプだとご自分で見ていらっしゃる)
 わたしは56歳の今日まで映画にたずさわったきたのだから「消去法」でいけば映画監督の適性は少しはもっていたのだろう。しかし日本映画のマーケットが変化してしまった現在ではわたしに適性があるというのはそうとうに怪しくなってきている。と言うのはわたしには「営業力」が欠如している。「映画監督」も自由業の1つなら、営業力がないと致命的である。その穴を埋めるためにタクシー運転手をやるのだが、もっと前向きにロケハン(ロケーション・ハンティング)、読書などのメリットを考えるところはやはりわたしは「ひとりコツコツ型」の「非組織型人間」なのだなあとつくづく思う。
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by hiroto_yokoyama | 2004-09-21 08:00 | ブログ
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