田宮虎彦『寛永主従記』を読んだ

 作者・田宮虎彦の名前は『絵本』『足摺岬』などで知っていた。知っているだけで作品を読んだことはなかった。この『寛永主従記』を図書館から借りたときから読み惜しみをしながら読み進めた。興味深くて急いで読み終わるのがもったいない気がしたのだ。
 巻末の萩原得司氏の「解題」からいくつか引用させていただく。まず評言。
 河上徹太郎氏の「玄人の純真さ」、三島由紀夫氏の「小説家としての持ち前を持って居ながら詩人の心を持っている人」、滝井孝作氏の「これらの歴史小説には性根のある人物が出てくるので私は好きです」、大岡昇平氏は「歴史文学論」で、状況設定・人物心理の「造型に殆ど完全に成功している」と述べ、城山三郎氏は「人生に真正面から取組もうとする誠実さを押し貫いた末に、広々とした歴史の世界の中に、その鮮かな花を咲かせた」と森鷗外氏以来の硬質の歴史小説のよみがえりを見ている。
 田宮虎彦自身の言葉2つを引用。
 歴史小説を書くものは、歴史の中の人物が行為したところとしてかならず封建思想、封建制度、封建道徳と対決せねばならぬ。それを作品の世界でどのように解決するかが、作品を決定する重大な要素になることも、もちろん、いうまでもない。しかも、作家が生きている現実をふんまえて、それがなされねばならぬのである。
 もうひとつ。
 私は、人間の幸福をまもりぬきたいと思ふ。すべての人間の幸福をである。限られたごく少数の人の幸福のために、多数の人々の幸福をうばはうとする人があつたら私は、自分の幸福を賭してもたゝかひたいと思ふ。
 今の政治屋どもの多くについて言っているようにわたしには聞こえて仕方がない。
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by hiroto_yokoyama | 2010-07-07 08:45 | ブログ
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