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野村秋介氏のご子息にお会いしたい

 1994年の夏、わたしは野村氏に近いM氏からホテル・オークラに呼び出された。なぜ右翼の大物が私ごときに会いたがるのか?
 野村秋介氏についてはみなさんもご存じだろうが天下の朝日新聞本社の役員室か社長室かで拳銃でご自分の腹を撃って亡くなった人。その場にご子息が同席なさっていたらしいことをわたしは知っていた。むせかえるような暑い日にわたしは一張羅を着てどきどきしながらM氏に会いに行った。用件は「故・野村秋介三周年記念映画の監督をしませんか? 」という有り難いことだった。だが、わたしは10年がかりの企画『眠れる美女』の製作費をテレビ局と映画会社の事業部それぞれから5000万円ずつ引っ張り出せるかどうかの瀬戸際にいた。素直に「来年ならまだしも今は無理なのです」とお断りした。
 「あなたは福岡県のご出身のようだが、玄洋社をご存じか? 」
 「いちおう名前だけは」
 「内田良平だとかいろいろな人物を輩出した右翼の総本山・玄洋社のあった福岡出身なのだから是非監督をうけていただきたい」(横山の注釈。そのご少し勉強して分かったが玄洋社は右翼の「総本山」などではない。)
 こんなやりとりをしたことを覚えている。葺手町のM氏の事務所を辞して帰り道銀座の旭屋書店に寄った。野村氏の著作『さらば群青』をもとめて電車の中でむさぼり読んだ。あれから10年。わたしは自分の2人の息子を見ていると野村秋介氏のご子息のことが気になって仕方がない。
 父と子は勝海舟とその父親・小吉の親子のことを知って以来わたしの大きなテーマなのだ。長男が生まれた年(1982年)から小吉のような父親でありたいと念じ続けた。息子が生まれた記念に泳げないのでプールに行きはじめて泳げるようになろうと思った。それから22年がたった。きょう初めてわたしは泳ぎを人にほめられた。
 1ヶ月ほど前わたしの泳ぐレーンで水泳教室をするので11時までにあがれとインストラクターが突然言ってきた。わたしは「そんなことなら俺は泳がずにきょうはサウナだけで帰った。なぜ張り紙の一つもしないのか」と叱りつけた。あのときのインストラクターがきょうはにこにこしながら「お客さん! アドバイスを1つ」とわたしのそばに来た。わたしの泳ぎは我流だ。「左手はすごくうまく動いていますが、右手が頭のすぐ上から入水しています。もっと遠くから右手を入れられたらどうでしょう? 」と教わった。とても嬉しくて、なぜか野村秋介氏のご子息にお会いしたくなり、この駄文を書くことにした。
 M氏がわたしのことを知ったのは『眠れる美女』のシナリオを書いてくださった脚本家・石堂淑朗氏が國學院大學の教授にわたしをすごくほめてくださったかららしいと後日分かったが、これも縁(えにし)。どなたか野村秋介氏のご子息の消息をご存じの方はいらっしゃいませんでしょうか。
by hiroto_yokoyama | 2004-10-07 13:48 | ブログ
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