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暗殺、是か非か(でもやっぱり非)

 きょうの国会中継(「参議院予算委員会集中審議」)で菅の無様な答弁を見ていると来島恒喜(1860年1月31日(安政6年12月30日)― 1889年(明治22年)10月18日)のことが頭を去来して困った。彼はご存じのように(知らない人は検索してみてください)大隈重信(当時は外相)の条約改正案に反対し大隈の乗った馬車に爆弾を投げつけた人。その場で頸動脈を切って自死したと教わった。
 Wikipediaには「日本の右翼活動家。筑前共愛公衆会、玄洋社の社員」とあるがコトバンクでは「頭山満らの玄洋社社員となり、のち中江兆民の仏学塾にはいる」となっている。わたしは玄洋社が右翼団体でないのと同じように来島恒喜を右翼とは呼べないと考えている。
 なぜ来島恒喜のことが頭に浮かんだかと言うと菅の往生際の悪さに殺意を覚えたからだ。大隈重信は爆弾で片足(右か左か知らないが)を失った。しかもその上に条約改正は遂にならなかった。つまり来島は条約改悪にストップをかけたのだ。いま菅を殺せば民主党の誰かが菅に代わるだろう。復旧のスピードも少しは速まるだろう。しかし…やっぱり人を殺めるのは恐い。恐怖が先にたつ。
 社会党の浅沼稲次郞が山口二矢に殺されたのは、わたしが12才のとき1960年だった。眼鏡がずり落ち両手で防ごうとしている浅沼に向って山口が短刀を腰だめにしている写真は確かピュリッツアー賞を貰ったはずだ。わたしはその事件の夜は眠られなかった。「暗殺」という言葉が胸に焼き付いて離れない。もし人をひとり殺して世の中が変わるなら、それもまたあるのか(男子の仕事と呼べるのか? )。だが時代は浅沼の死によって変わることはなかった。
 しかし変わる変わらないはやってみないと分からない。実行できない言い訳でそんなこと(暗殺)しても仕方ないというのは卑怯者の理屈でしかないのではないか。
 原発事故の起きた福島出身の若い女性ときょうツイッターで知り合った。彼女の家族がどうなさっているかわたしは知らない。10万人を超える人たちが丸3ヶ月もの長きに渡って困窮している。政治はなにも出来ないのか? しかし政治をあてにするしかない。
 国会は何をやっているのかと憤っている被災地の方々の声をテレビで聞くにつけ菅をやればスピードが増す(のは間違いないだろう)なら…。でもやっぱりそう考えるのはいけないことなのだと自分に言い聞かせて、せめてブログで愚痴ってみる次第なのです。
by hiroto_yokoyama | 2011-06-03 21:28 | ブログ
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