携帯電話は日本人の「おしゃぶり」なのだろうか

 きのう不気味な場面に出くわした。音楽ごっこ(映画ごっことおなじで夢見るばかりでぜったいプロになれないあわれな輩)の若者が魯鈍な祖父母につれられてタクシーに乗ってきた。この馬鹿は誰か半端者のミュージック仲間と携帯電話で話しっぱなし。乗るときから降りるときまでおしゃぶりが放せない。真正面を向いたまま爺婆は黙ってみているしかないようだ。なぜなら老人たちが一言でも発すれば若者は家に帰ってきっと暴力をふるうに違いない。わたしは気味が悪くなった。早くタクシーを目的地につけてさっさと帰るにしくはない。
 犬も猫も自分の陰部や肛門をぺろぺろと舐められる柔らかさをもっている(しかし、生きものとして気高い彼らはその行為を人前では滅多にやらないのです)。人間の体はそうはできていない。思いっきり恥ずかしいところを舐めたくても頭が局部に届かないのです。不便なものだ。そのかわりに携帯電話を若者たち(だけではないかも知れないが)はおしゃぶりのように手放せないのだろうか。わたしは携帯電話が大嫌い。いくら否定してもしきれない。いつも持ち歩いている。(きっぱり言うなら)電話をかけるときは人の群れから聞こえない聞かれない距離まで遠ざかります。
 何日か前に聞いた話。タクシー運転手の先輩が携帯で話しながら暗がりから自転車で突っ込んできた馬鹿者にぶつかられた。そのヤングは車のボンネットに頭を打ちつけたらしい。救急車をよぼうとしたらその痴呆は携帯を握りしめたまま(人間の白痴のメスとでも話していたのだろう)「大丈夫です」と言ってカンバセーションを続けながら去っていったらしい。人間って悲しいですね。どうやら「地走り」をはじめてしまっているようですよ。
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by hiroto_yokoyama | 2005-01-07 14:03 | ブログ
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