ある時は片目の運転手そしてまたある時は…

 見出しは東映映画・多羅尾伴内シリーズで片岡千恵蔵が言ったセリフです。年配の映画ファンなら覚えているかも知れない。しかしこのセリフが嘘だとは映画を見なくても分かる。片目では車は運転できない。
 タクシー運転手をアルバイトではじめて半年が経過した。タクシー運転手は趣味、本業は映画監督。このわたしがタクシードライバーをいま定義してみるなら「タクシー運転手は透明人間である」となる。
 そうわたしはついに透明人間になった。だれでも透明な存在にすこしは憧(あこが)れたことがあるのではないだろうか。その「透明人間」のわたしはこの半年間およそ3000人ほどの乗客を乗せてタクシーを走らせてきた。日々実感できたのは人間の器量についてだ。驚くのは老若を問わず男性客のほとんどが人間として小さい。わたしが感動するような男はほとんどひとりもいなかった。反面年配の女性はいい。すてきなおばあさんにたくさん出会えた。エピソードを披瀝したいところだがシナリオのいいネタなのでここでみなさんに紹介するわけにはいかない。同じ女性でも若い人はつまらないのが多かった。ここ最近、あ、この人はと思う若い女性客が目につき始めたのはわたしがこれから先もタクシー運転手を続けられる自信のようなものが出来かかってきたからに違いない。
 このブログは論文や評論などではないので「透明性」についてなにがどうと書く気はない。しかし透明人間の意味を感じとられる上質のアンテナの所有者なら気がむいたときにこのブログを覗いて下さるはずだ。訪問者の数が微増しながら安定してきたのが励みになっている。
 わたしごときが烏滸(おこ)がましいが人生についての姿勢や心がけについてのお説教をこのブログでやっていかないと器量の大きな人間はこの日本では絶滅するかも知れない。そんな危機感をわたしは持っているのです。
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by hiroto_yokoyama | 2005-03-19 07:07 | ブログ
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