『タクシードライバーの長い夜』(NHK教育テレビ5月21日夜10時オンエア)

 新聞のテレビ欄を見ていた妻がこの番組に気づいた。始まって10分ほどたっていたがタクシー運転手のはしくれのわたしは急いでテレビのスイッチを入れた。見終わって残ったのは小学校1年生のときに学校から見にいった東宝映画『筑豊の子供たち』(土門拳の同名の写真集に便乗した際物映画)と同じ後味の悪さというか屈辱感だけだった。
(わたしは1948年(昭和23年)3月16日に福岡県飯塚市に生まれた。飯塚市は筑豊炭田のど真ん中に位置する。わたしは「筑豊の子供」のひとりなのだ)
 NHKの記者かディレクターかプロデューサーかなんだか知らないが、この番組を作った者たちの目線は高すぎる。タクシー運転手は気の毒な存在という「刷り込み」が鬱陶しい。いつだったか朝日新聞に涙の会見をしたNHKの職員のことば「わたしには家族がいる。わたしにも生活がある。だからいまに至るまで告発できなかった。チクれなかった」という意味の情けないコメントが思い出されてならない。
 NHKや朝日にかぎらない。マスコミにたずさわるすべての人間どもは頭(ず)が高すぎる。JR尼崎線の事故の原因はJR官僚どもの硬直した脳みそにあるのだが「報道」では目に見えるかたちでは人は死なないからマスコミ人間は「馬鹿は死んでも直らない」のだ。 
 どうせアンテナの感度の悪い人たちにはわたしのこの拙文は訳が分からないことでしょう。「刷り込み」という言葉の意味は『新明解国語辞典第六版』によると「imprintingの訳語。〔生まれた動物の仔が〕自分と接した最初の動物を親と見なし、それに甘え、依存した行動をとること」とある。朝日もNHKも戦後教育もみな、わたしたちの「親」ではない。もういい加減気がついてもいい頃ではないでしょうか、どうでしょうか? みなさん。特にわたしと同世代のおじさん、おばさん。そこらあたりで臭い息を吐き続けないで下さいませんでしょうか。
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by hiroto_yokoyama | 2005-05-24 22:53 | ブログ
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