倉橋由美子を知っていますか

 わたしは名前は知っているが作品は読んだことがない。日大の映画学科の学生だったころ倉橋の『反悲劇』を教材で貰ったが読まないままできた。さいきん亡くなったのを新聞で知って彼女のことが気になっている。
 讀賣夕刊に「文学季評」上が載っている。松浦寿輝(まつうらひさき)という東大の先生(兼作家)の文章。その冒頭 、倉橋『偏愛文学館』(講談社)という本から引用している。そこからの孫引き。
今日では、普通の人は本を読まず、手紙その他の文章も書かず、読んだり書いたりするとしても、文章らしい文章は敬遠して、しゃべるように、あるいは携帯電話のメールのように書き、またそんなスタイルで書かれたものしか受けつけないようになっています」。
 わたしはここを読んでフムフムとうなずきました。(さっそく押し入れに頭を突っ込んで『反悲劇』を探さないとならない)
 で、松浦先生は倉橋の文章を枕にして以下何をいっているか?
「…安価なハンバーガーやカップ麺みたいな文章で小説を書く人たちがいて、それを美味と信じつつ食べ、満足している人たちがいて、レストラン(つまり出版社と本屋)もそれなりに儲かっているのだから、あとは傍から何を言おうと要らぬお節介ということになろうか。」だって。
 さいごに笙野頼子『徹底抗戦! 文士の森』(河出書房新社)で笙野のことを持ちあげ「彼女の主張自体はまっとうな正論以外の何ものでもない。それを「ドン・キホーテ的」と見せてしまう現今の文学状況の遠近法の方が狂っているのである。」だって。
 結局東大の先生はなにが言いたいのか? 「文学状況の遠近法」ってみなさんなんだか分かりますか? わたしには分からない。こんな訳の分からないことを言う松浦寿輝とはいったい何者か?
 わたしなら「安価なハンバーガーやカップ麺みたいな文章で小説を書く人たち」を自分でぶっ殺したいが殺人罪に問われるのは損なので彼らの自然消滅を待つ。あるいは誰かに殺されるような罠を仕掛ける。いちばんいいのは訳の分からないことを言う当の松浦先生を含めてこいつらが互いに殺しあいをはじめることだが利口な奴らはそんなことは間違ってもやらないだろう。
 松浦寿輝先生は讀賣新聞から原稿料を貰っておいていい加減に適当なことを書いたりしないで無償で自分でブログをはじめてそこで言いたいことをちゃんというのが「文学状況の遠近法」にとって建設的だとわたしは思うのですが松浦先生をご存じの東大生の方はどう思いますか? 先生ご本人は無論のことどうせ馬鹿な東大生もわたしのくだらないこのブログを読むことはないでしょうがね。
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by hiroto_yokoyama | 2005-07-13 20:32 | ブログ
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