竹田青嗣『現象学は〈思考の原理〉である』(ちくま新書393)を読了

 竹田氏は1947年生まれ。わたしと同世代である。この本を電車のなかで読み終わりなんだか分かったような気になった。しかしこれまでこの種の本を読んで分かったような気になっても次の瞬間にはもう忘れていたが今回は少し違う。フッサールやメルロー=ポンティを読んで現象学とやらをちゃんと勉強しようという意欲がわいてきている。
 キネマ旬報社に『純』と『曖・昧・Me』のDVDの件で打ち合わせにいってきた。4月か5月に発売になったのだがこれまで何枚売れたかわたしにいまだに報告がないのだ。映画(映像もしくはコンテンツ)業界はこれだから困る。
 銀座に出て本屋による。マルクス『経済哲学草稿』(岩波文庫)をさがすがない。まっすぐ帰ろうかと思ったが東映の著作権課にいってみることにした。『卍』がビデオ化され2001年にDVD化されたが著作権料をわたしは1円も貰っていない。 東映本社の7階にあがると社長と重役2人が談笑していた。重役2人は撮影所時代の先輩。1人が「あ、横山」と声を上げた。すると社長が振り向いて「どうも、どうも」と言う。この場で『卍』の著作権料を払えというのもはばかられるのでわたしも「どうも、どうも」と3人のわきをすりぬけて担当部署へ向かった。
 喫煙コーナーでタバコを吸っていると昨年6月にこの件で会った課長が女子事務員に呼ばれてあらわれた。彼は誠実な男なので東映ビデオの担当者に聞いてみて返事をすると言ってくれた。4時半に社屋にはいり争議でにぎわう玄関を出たのは5時。
 帰りの京浜東北線の車中同書を読み終わったしだい。
 気になるのは竹田氏がかんじんなところになると「物語」ものがたりと言って逃げているように感じられるところ。それが何ヶ所もある。「現象学的還元」とか「エポケー」とか難しい言葉を丁寧に解説してくれているのだから「物語」とカッコにくくらずに物語とはなにかを説明してくれてもよさそうなものだが竹田氏はそれをさぼっている。物語についてぐらいは自分で考えろということか。
 氏は同世代ということもあって親近感があり雑誌『群像』に発表された論文なども拝読した。たしか在日韓国人(朝鮮人? )の2世か3世なのだろうが阪神タイガースの金本選手どうようわたしが信頼する数少ない人物だ。機会をもうけて1度お目にかかりたい人のひとりです。
 きょう(7月)はタクシー業務の〆の日。早朝に家を出るつもりなのになんだか興奮して眠れない。目標額50万円を達成できる自信がないせいだ。これはまずい。
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by hiroto_yokoyama | 2005-07-20 03:25 | ブログ
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