今村仁司『マルクス入門』(ちくま新書533)を読み終わる

「…文化の伝統がわれわれの伝統と異なり、しかも時代の雰囲気もまったく違う一人の西洋思想家を理解することはかなりむずかしい。理論や命題を知的に追跡して理解することはそれほどむずかしいことではない。西洋語の知識があれば誰にもできることである。しかし思想家のいうことを知性的理解ではなく、五臓六腑に染み渡るように納得することはほとんど不可能に近い。長年西洋思想につきあってきて、この感じが近年とみに強い。私の場合、マルクスとのつきあいは長いから、彼の思想はごく身近に感じられるのだが、しかしよくよく反省してみると腑に落ちないことが実にたくさんあることに気づいた。…」(同書、「あとがき」より)
 何日か前、日本映画学校の卒業生らしき人間から「金持ちのボンボン映画監督がタクシー運転手におちぶれやがって」いい気味だというあざけりのメールが来た。ブログやるひまがあるならシナリオを書くようになどとどこからものを言っているのか分からない妙なメールだった。こんなやつに読んで貰うためにわたしはブログをはじめたのではない。
 『純』のシナリオを書く前にわたしは『吉本隆明全著作集』(全15巻、勁草書房)を丸4年かかって読み終わっていた。倉本聰氏のオリジナルを氏の了解のもと自分なりに書き直しながらわたしはたくさんのシナリオの書き方の本を読んだ。
 いまわたしの頭の中にはいくつかの映画の構想がある。同時並行で2つ3つシナリオにしようと考えている。しかし残念なことにこのブログで内容をあかすわけにはいかないのだ。独創性のカケラも持ちあわせていない映画屋、テレビ屋、DVD屋どもにたった1行書いただけでパクられるにちがいない。こんなタイトル(それも仮題でないといけない)の「シナリオ」を書き上げましたと報告するのがせいぜいだろう。
 わたしはシナリオも書くがブログもつづける。いらざるちょっかいをだすためにこのブログを読むのは無用のこと。読んで貰わなくてけっこう。
 吉本隆明を読んで『純』を書いたがあれはむかしのこと。いまわたしには残された時間がない。勉強しながら自分(だけ)の映画のシナリオを書く。わたしの「お勉強」している部分(それも断片)だけをブログに書きなぐるというのがこのブログの主旨だということをひまつぶしに読んでくださるものずきの方々に再度申し上げておきます。
 的場昭弘『マルクスだったらこう考える』(光文社新書181)のことを書いたのは2005-04-11 18:30。きょうは『マルクス入門』。参考書を2冊読んだところで懲りずにまたマルクスに挑戦してみようかという気になっている。
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by hiroto_yokoyama | 2005-07-27 11:25 | ブログ
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