聞くも涙語るも涙の物語

 調子に乗ってもう1つ記事を書く。わたしは4年前の夏自己破産の申請をして先月免責になったばかり。およそ2年まえにはガンの宣告を受けて頭のなかが真っ白になった。わたしを知っているたくさんの人たちがチープな感性しかもちあわせていないために聞くも涙語るも涙の物語を期待した。ところが残念ながらわたしはここにこうしてまだ生きている。ガンになる前よりも体調はいい。あと3年は生きられそうな感じがする。これからは拾いものの人生だ。あまり恐いものはない(恐いのは「タクシーに一人の客も乗らなかったらどうしよう」という毎日の心配だけ)。いつ死んでもいい。
 人間は殺人の現場を見てみたいとか人はどんなエッチをするのだろうかとか劣情をかかえてまいにち生きている。理性で押し隠しているだけだ。歌舞伎がすたらないのはそのせいだという説を読んで感心したことがあるがわたしはまったくその通りと思うので人間の劣情をそそる映画が撮りたい。まわりのことを気にせず進歩的文化人やサライ族がぶったまげる企画を思いついている。サライ族は680万人、日本に男は6200万人、680000人が見れば映画の制作費はじゅうぶん回収できる。その680000人が見たくなる映画の企画をわたしはいっぱいもっている。
 トニー・リチャードソン監督の『長距離ランナーの孤独』(原作アラン・シリトー)のようにゴール寸前で立ち止まった主人公よろしくおもしろい映画を自分のむねにたくさんしまってドボンする、それがわたしの人生なのかも知れない。へ! ざまを見ろ。
 おとついは土用の丑の日。街で鰻香だけを嗅いで鰻を食べられなかった人も多いことだろう。このブログの読者にはわたしの映画の臭いだけを嗅がせ続けるつもりですのでよろしくね。
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by hiroto_yokoyama | 2005-07-30 22:40 | ブログ
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