石井輝男監督がわたしに映画監督としての自信をつけてくださった

 わたしは1973年東映東京撮影所に伊藤俊也監督の紹介で契約助監督として入所した。翌年『直撃! 地獄拳』という石井輝男監督の作品にサードの助監督でついた。
 石井輝男監督と言えば『網走番外地』シリーズなど東映の屋台骨を背負って立つ大監督。スタッフルームではじめて監督にお会いしたときは緊張した。ニコニコしながら入ってみえた監督にわたしはすかさずご挨拶した。想像していたのと違って意外に小柄な方だった。癇癖が強く好き嫌いが激しい人と聞いていたがわたしには温厚そうに見えた。
 ネットで調べてみたら以下4作品についている(すべてサード助監督として)。
『直撃!地獄拳』(1974)
『爆発!暴走族』(1975)
『実録三億円事件 時効成立』(1975)
『爆発!暴走遊戯』(1976)
 石井監督はわたしを気に入ってくださったのか、どういうわけかことあるごとに「横ちゃん、横ちゃん」と声をかけ「このシーンを撮ってごらん」とペェペェの助監督のわたしにずいぶん現場をまかせてくださった。俳優に芝居をつけ「よーい、スタート」から「カット」まで号令をかける下っ端のわたしを見て俳優は無論、全スタッフ50名がいったいなにが起きたのかはじめはいぶかしんだ。わりにしょっちゅうそんなことがあって石井監督もそのうち現場にも現れなくなったりしてわたしの存在感はぐっと増した。
 『直撃! 地獄拳』のときだったか昼休みにわたしは撮影部にことわりミッチェル(映画用のカメラ)のファインダーを覗いていた。仕出し(現場ではエキストラのことをそう呼ぶ)をうしろの方で動かすためにどこからどこまでが写るのかシネマスコープなのでファインダーで確認するしかないのだ。セットに入ってきた石井監督(監督は撮影部出身)はカメラにしがみついているわたしのうしろ姿を見て嬉しくなったらしくいろいろと話しかけてくれた。
 スタッフルームに照明の準備ができたと監督を呼びに行き長い廊下をはしってステージに戻ろうとするわたしをとめて石井監督は渡辺邦男監督、清水宏監督、市川崑監督のことなど現場では聞けないお話をしてくださった。
 とくに渡辺邦男監督から中抜きで撮る方法を習ったと自負なさっている石井輝男監督はその秘訣をわたしに微に入り細をうがってわたしに教えて下さった。そして実際の現場で中抜き撮影になると「横ちゃん! コップ(ジュースの量)はこれでいいの? タバコの長さはつながってるね」とスクリプターではなくわたしに聞いてくる。わたしが「つながります」と応えると間髪をいれず「ヨーイ! 」となり15カットくらい続けざまに撮っていくのだ。わたしは石井監督から教わった技法で『純』を18日間で撮り終えることが出来た。
 市川崑監督には相当激しいライバル心を持っていらした。
 石井輝男監督に最後にお会いしたのはいつどこでだったかどうしても思い出せない。現場でわたしより年下の主演俳優をほかの助監督やスタッフがみな「××さん」とさん付けで呼ぶのにわたしだけが「××君」と呼びときには「××」と呼び捨てにするのを見て石井監督はわたしの袖を引き「横ちゃん、いいよ。演出部が俳優になめられたら終わりだからね。それでいい。これは大事なことだよ」と囁いてくださった監督のニコニコ顔が想い出される。石井輝男監督のご冥福を心よりお祈りします。
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by hiroto_yokoyama | 2005-08-14 10:46 | ブログ
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