カトリーナなどと洒落た名前をつけている場合か

 4年前の9月11日におきた同時多発テロは人災。5日前のアメリカ南部を襲ったハリケーンは天災。なんの関係もないが不気味に感じるのはわたしだけだろうか。日本でも阪神淡路地震とかことしは新潟や福岡などの災害があったが国家としてアメリカほど対応が遅くはなかったのではないか。被害者の方にしてみれば遅いも早いもないかも知れないがアメリカは日本より広いからなどと言っても言い訳にもならない。イラクなどに派兵する余裕があるなら国内にもっともっと目を向けるべきだというコメントがでてくるのは無理もない。ブッシュ政権はやばいぞ。
 気持ちの悪い顔をした若手の作家がきょう(9月3日)の讀賣夕刊6面で「60年代に小説を書いて暮らしたかった。バリケードを作って、ゲバ棒を振る。一通りやった後、会社に入って奥さんをもらい、子供ができて……。今の時代には望めない。挫折も夢もなく、ただ平板に生活していくだけだ」と取材で話している。サライ世代のことを言っているのだろうが同じ年頃のわたしはバリケードを作ったりゲバ棒を振ったりなどしなかった。
 ジャン=ポール・サルトルが「飢えたる子供の前に文学は可能か」などと日本に来て講演したことがあるが被災者や貧困で困った人たちの前に映画は可能なのだろうか? 北野武の映画がどこかの映画祭で話題になっていてけっこうなことだがわたしは映画が撮れず(負け惜しみを言えば「撮らない」のだ)まいにちつまらないことを考え「哲学するタクシー運転手」などと気取っている。11日の衆議院選挙にはぜひ行って一票を投じるつもりだが地元選挙区の自民党候補にはいれたくない。人相がよくない。人品骨柄が卑しそう。それにひきかえ民主党候補にはむかしの読売ジャイアンツの選手みたいにハンサムが多い。学歴詐称の福岡の古賀某のようにこれも胡散臭い。前回のさいたま市長選挙のように棄権するしかないか。わたしは悩んでいる。
 さいごに「カトリーナ」とアメリカが洒落ているのではないことはわたしも知っている。ハリケーンとか台風に名前をつけるのはアメリカの習慣のようだ。それにしても台風とハリケーンはどこがどう違うのか。不勉強でこの差までは知らない。
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by hiroto_yokoyama | 2005-09-03 22:34 | ブログ
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