山折哲雄「日本人の精神性」を読む

 部屋をかたづけていたら雑誌「草思」創刊号(草思社、1999年5月号)が出てきた。
 おもしろいと思ったところを引用する。見出しの山折氏の文章。
私は長谷川伸の作品にふれて、股旅任侠道における弱者への負い目に注目した。ついで司馬遼太郎の小説に触発されて、浄瑠璃町人道における人情過多の道徳感覚なるものの可能性を考えてみた。そして最後に新渡戸の『武士道』をとりあげて、さむらいジェントルマン道における弱者への憐憫、劣者への同情、敗者への慈愛について思案をめぐらしてみた。
 そこに一貫するものを、いったい何と呼んだらよいのだろうか。任侠道、町人道、武士道をつらぬいて変らぬ主題とは、いったい何かということだ。あえていえば、それがこの日本列島という風土に育まれ熟成してきた日本人のヒューマニズムの原形質ではないか、というのが私の仮説である。ただしかし、このヒューマニズムには多少とも偏向した個性がみられないわけではない。
 その偏向した個性とは、要するに弱者への無限の負い目を担いつづける傾向性のことだが、そこには立ちつくしながら膝を屈するような債務至上主義のモラルが脈打っている。対等の契約関係にもとづく債権意識を可能なかぎり無化しようとする意志がはたらいているといってもいい。西欧流儀の自立的債権者の体面を保つためには、そのメンタリティーはあまりにも含羞という強迫観念にとりつかれていたのである。眼前に眺められるのはいつのまにか、債権主義という名の累々とした土壁だけになっていたということだ。

 その壁穴からきこえてくるのものは、今やご存知、平成の嘆き節だけなのである。(同書14ページ)
 山折氏の言いたいことが分かりますか。わたしは頭があまりよくないので理解できないのでしょうか。いやいやそうではありますまい。山折氏は何かを言い切っていないから分かりにくいのではないでしょうか? おひまな方は上記の文をなんどか読み直してみてはいかがでしょう。あすも朝が早いのできょうはもうこれで寝ます。
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by hiroto_yokoyama | 2005-10-26 22:08 | ブログ
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