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花子と英之の物語

 わたしは1995年3月に東浦和駅前で1匹のオス猫を拾ってきた。名前を英之という。この英之は妻が何年かまえ犬猫病院につれていってタマタマ(睾丸のこと)をとってもらった。数ヶ月前から近所の飼い猫か野良か分からないメス猫が2畳ほどの広さのわが借家の庭にあらわれる。わたしはこの細身の猫を「花子」と呼ぶことにした。ヒデ(うちの英之のこと)がどうも花子に恋をしているようなのだ。花子もまんざらでもなさそう。
 家族で話し合って花子に餌付けをすることにした。調子に乗ってこの猫は毎日わが家に来るようになった。ヒデはそのたびにファーッとかいって怒る。なぜか? 横山英之は思いを遂げられる状況にいたってもタマタマがないから勃起しないのかも知れない。イライラするらしいのだ。それはどうかよく分からないがヒデが花子を威嚇するたびにうちの馬鹿猫の頭をこっぴどく殴っていたがわたしはそれにも飽きたので花子の方をキンチョールの缶など投げつけて追い払うようにしてきた。
 花子を思いやってかヒデが寂しそうに表を見ている光景をなんども見た。じつはヒデが寝ているスキに妻が花子にエサを与えていたのでこの2匹がおとついでくわしてた。妻の取りなしがあったせいで一緒にむきあって食べはしないがそっぽを向いて花子は表、ヒデはうちでポロポロを食っている光景をわたしはきょう目撃した。
 わたしとしてはこんごのヒデと花子のなりゆきを見まもりたい。
 戦後『君の名は』というラジオ番組が評判になり放送中は銭湯ががら空きになったらしい。男と女のすれ違いドラマ。いまでは2匹の猫の男女のすれ違いを家にいながら手にとるようにしてみられる。好きあいながらもエッチをしないできない間柄というものはとてもいいことなのかも知れない。
 わたしはもう男を無事卒業したのだろうか? そのことを疑っているのはわたしの妻だけだ。わたしは悲しむべきか喜ぶべきか西研『哲学的思考』(ちくま学芸文庫)を読みながら考えている。あッ、また花子がエサを早くよこせと窓そとからわたしを呼んでいます。
 こころあるサライ族のほんの一握りにはもしかしたらきょうの拙文を理解して貰えるかも知れないと期待しています。
by hiroto_yokoyama | 2005-11-06 14:07 | ブログ
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