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毒もり女と同級生に殺された気の毒な女子高生

 この2名は同じ16歳。加害者と被害者のちがいはあるがもしかしたら彼女たちは同じ穴のムジナなのではないだろうか。いまわたしたちは高齢化社会、少子化の時代のまっただなかにいるのに思春期の人間が毎日のように亡くなったり社会的に抹殺されてどんどん減っていっている。
 見たり聞いたりしたくもない事件を報じるマスコミにいちばん問題があるのだがNHKと朝日を潰せば少しは突破口が開けるはず(でもないか? )なのでその問題はさておいてやはり家族がいまは問題だ。
 なにかの本で読んだのだが「家族とは粘膜を共有する関係」と言った女性がいる。わたしはなるほど、そういうことだろうなと得心したことがあった。
 わたしのことを引き合いに出すと、わたしの父は風呂が嫌いだった。父がたまに風呂にはいると垢が浮いてとても入れたものではない。月にいっぺん(! )わたしは父を罵り古新聞を風呂にうかべ垢をとりさらに桶でていねいに掬って入浴していた思春期のことを思い出す。
 吉本隆明氏がとしごろになったとき父親から箸で晩飯のおかずか何かを食べさせてもらったらその箸についた父の唾液を気持ち悪いと感じたことがある(これで吉本少年は青春を卒業した、できたのだとわたしは勝手に解釈した)と少年のときの思い出を書いていた。そんなたわいもないことが人生でおとなになる分かれ道なのかも知れないと思う。
 マスコミは忌まわしい年頃の子供たちの事件を何の判断もなく何の見識もなく報じているが未成年の事件はすべてその両親の責任だとわたしは確信する。離婚していようが連れ合いが死んだ片親であろうがまず思春期の犯罪では親の実名を公表し庶民の「親の顔が見てみたい」というニーズにNHKや朝日はもちろんのこと他のテレビや新聞ぜんぶが人権などというものは無視して応えるべきなのではなかろうか。
 たぶん加害者も被害者もマスコミの記者たちも自分の親兄弟と「粘膜を共有」しあったことなど1度もないはず。大人になれない親が子供のまま子を産みなにが家族か、なにが人間か。獣ごっこのすえにガキを産みおとす幼い親たちを駆逐しないかぎり目をそむけたくなる事件はあとを絶たないのではないか。事件の主役は少年少女などではない。圧倒的にその親であるサライ族とその後輩たちそしてマスコミ全般(=社会)なのだ。
 いまの新聞やテレビにたずさわる者たちに「わたしにも生活がある」というケチな言い訳だけにしがみつき大胆なこと、けれども大事なことを言う勇気のかけらすらもった人間はひとりもいない。そういう教育も訓練も受けていない奴らを責めるのは酷かも知れない。だとすれば玉石混淆のなかから信じられる通信(匿名のブログや掲示板は除く)を若い国民ひとりひとりが嗅ぎ分け自分の頭で考えてものごとを判断できるようになるかどうかがこれからの日本の死活問題となるのではないだろうか。
by hiroto_yokoyama | 2005-11-12 15:08 | ブログ
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