毒もり女子高生はいまどうしているのだろうか?

 たぶんブスのこの女子高生は精神鑑定をうけると新聞で見たような気がする。図書館で借りた佐藤愛子『戦いすんで日が暮れて』を妻に読ませた。彼女の読後感は悪くない。明るくうけとめたらしい。わたしはこの小説の主人公「私」とその一人娘の「桃子」が毒もり事件にどうしてもダブってしまう。
 講談社文庫の最後の解説から都合のいいところだけ引用させてもらう(原文は縦書き)。
「…『戦いすんで日が暮れて』の中の、あの結末の美しい描写は、そういう「戦い」の「すんだ後」の、やるせなく空漠とした瞬間の静けさを、あますところなく「描破」しつくしていたからである。
 ※
 暮れなずむ空の下で渓流のように車が走っていた。歩道橋に上って南の方を眺めると、既に暮れた鼠色の町の果からヘッドライトをつけた車が際限もなく湧き出して来て、まるで無人車のように機械的な速力でまっしぐらに走り、あっという間に足の下に消え去る。警笛も人声も聞えぬ、ただ轟々と一定の音のかたまりが、環状七号線をゆるがしている。
「うるさいぞオーッ、バカヤローッ! 」
 突然、私は歩道橋の上から、叫んだ。

 ※
(省略)…と怒鳴ったのは審判者キリストではないのか。(原文のまま。この解説者はつまらないことを言っています)
 ※
「桃子、あんたもいってごらんよ」
 桃子は喜んで真似をした。
「バカヤローッ、うるさいぞオーッ」
 私と桃子の声は轟音の中にかき消えた。私はどなった。
「いい気になるなったら、いい気になるなーッ」
 車は無関心に流れていた。沿道に水銀灯がともった。轟々と流れる車の川の上で、私と桃子は南の方を向いて立っていた。

 ※
 (省略)…」
 『戦いすんで日が暮れて』の「私」の夫は人畜無害な中性的な人間に描かれている。毒もり事件のブス女子高生の父親は新聞とテレビのニュースにまったく登場しない。いてもいなくてもどうでもいい存在。
 中公新書『父性の復権』という本が話題になったことがある。サライ族もその後輩(たぶん毒もり女子高生の父親の世代)たちはこの事件にどう向き合っているのだろうか? 報道するテレビも新聞もデスクがたぶんわたしと同世代だろうから、自ら省みることのできない奴らばかりでうわっつらのニュースしか作れない。
 ブスの毒もり女はかわいそうに後頭部をこづかれながら責任能力があるかないかの精神鑑定をどこかの薄汚い病院でうけているのだろうか?
 世の中のお父さんたちもっとしっかりしなきゃ。娘や妻がかわいそうですよ。
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by hiroto_yokoyama | 2005-11-18 13:44 | ブログ
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