乗務あけの優雅な1日

 就寝午前3時。起床5時10分。ご飯のスイッチを入れ、みそ汁をつくる。お茶を飲みながら朝日新聞を読む。広告にも目を通す。
 笠原和夫のシナリオ『実録・共産党』(未映画化)とドストエフスキー『賭博者』、『プルターク英雄伝』二、を睡くなるまで読んで寝る。昼飯はチョイノリで近所のスーパーに新発売のジンギスカン焼きそばを買いに行き簡単に済ませる。二男のお古のCDプレイヤーをいじってみたらリモコンもちゃんと作動する。NHKのFMとかFEN(ファー・イースト・ネットワーク、いまは名前がかわっているようだ)を聞く。
 栃木の小1少女殺人事件で親のことを報道しない、できない(? )(クリント・イースト・ウッドの『許されざる者』という映画を見た人ならわたしの言いたいことが分かるかも知れない)NHKの姿勢に不満を覚えた。この国営放送を生きのびさせる条件はラジオとテレビで音楽とニュースだけを出来ないのなら無理に判断せず24時間垂れ流しつづけるのがいいのではないかと考えた。なんの意見も考えもない自分がない阿呆ブロガーは400万人を超えたらしいがマスコミのあり方と役割が大きく変わろうとしていることを感じとっている庶民はこの日本にはどのくらいいるのだろう。
 さいごはきのう315円で古本屋で購入した中村尚美『大隈重信』(吉川弘文館、人物叢書76)からわたしが興味のあるところ(221ページ~223ページ)を引用する。
「…この閣議のあと、大隈は馬車を駆(か、原文はルビ。横山)って官邸に帰ろうと外務省門前にさしかかるや、突然もの陰から走り出た福岡玄洋社員来島恒喜(くるしまつねき、ルビ)に爆弾を投げつけられて重傷を負い、不幸にも右脚を切断しなければならなかった。この日の加藤の『条約改正日誌』には、「十月十八日、大臣凶変ニ遭フ」と書かれている。ここに至って、かれが政治生命を賭(か、ルビ)けて突進して行った条約改正の大事業も、ついにかれ自身の手によって成功を見ることはできなかった。
 一○月二五日、黒田内閣の辞職によって大隈も外相を辞任し、条約改正事業はふたたび中止のやむなきに至ったのである。


       第五 立憲政治の実践
一 国会開設と改進党

 遭難後の大隈は、ほとんど外出もせず、ひたすら療養につとめた。その甲斐があって、二三年(一八九○)五月頃には、負傷もほとんど全快した。
 何年かまえこの時なくなった大隈重信の脚がふるさとの佐賀県に帰ってきたと新聞報道で知った。ホルマリンにつかって佐賀市のある寺に保存してあるらしい。見学させて貰えないだろうか。(「大隈重信っていったいなにもの? 」と言う馬鹿者と若者に教えてあげる。大隈重信はあの早稲田大学の創設者らしいですぞ)
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by hiroto_yokoyama | 2005-12-06 20:21 | ブログ
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