文語アレルギーをなくす

 木下順二『古典を訳す』118ページにヒントがある。「……十八世紀の上田秋成は、九世紀末の『竹取物語』や、まして十七世紀の井原西鶴を読むのに、今日のわれわれが西鶴や秋成を読むのにはらうような語学上の努力を必要としなかっただろう。
 ……八世紀の『古事記』、『万葉』から十九世紀半ば過ぎまでの、今日学校の教科書が〝古文〟という用語でくくっているらしい文章に対して、それ以後に発生した現代口語文というのは、日本文章史上、唯一の変化だったといえるのではないか。それは『広辞苑』で〝文語〟を引くと、「平安時代語を基礎として発達した言葉の体系、または、それに基づく文体の称呼。現代では文章以外に用いない特殊の文章語」とあるようにである。そしてそうであるなら、日本古典の現代語訳というのは今日に特有な要請であり、たぶん必要な要請であるということになるのだろう。
 「現代語訳」に頼らず原文で古文を読む努力はたいへんなようだがなんとかわたしだけでもこのアレルギーを今度こそ取り除いてやろうかと張切っているのだがどのくらい持続してやることができるだろうか。
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by hiroto_yokoyama | 2007-06-24 09:55 | ブログ
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