ソクラテスについて

 「太った豚になるより痩せたソクラテスになれ」とたしかずっと前の東大総長が言ったことを覚えている。顔見知りが東大総長になったりしたことがあるのでわたしにとっては総長とかいってもタダの人。そのへんにうじゃうじゃいるワンボックスカーや軽乗用車でカッ飛ばして喜んでいるような豚になることはまずないだろうがソクラテスにはなってみたいとときどき思う。
 F.M.コーンフォード著、山田道夫訳『ソクラテス以前以後』(岩波文庫)51ページにいいことが書いてある。少し長いが引用させて貰おう。
「「人生の終極目的とは何か」というこの問いは、今日と同じく当時もまた、問われることの稀な問いだった。ある人が医者になるとすると、かれは自分の仕事は病人を治療することだと心を決めたわけだ。それから先は、だいたいは日常の規則化された仕事をこなしながら生きてゆくことになる。つぎに何をしなければならないかを立ち止まって考えなければならないときも、手段について考えるのであって、その目的の価値について考えるのではない。「はたしてこの患者は治療を受けるべきか、それとも死んだほうがよいのだろうか。ほかの大切な事と較べて、健康であること、あるいは生きていることそのことにどんな価値があるというのだろうか」などと自問したりはしない。商売をしている人も「わたしはもっとお金を儲けるべきだろうか。富の価値とは何か」などとあらてめて考えたりしない。そんなふうにわれわれは、定められた目的のための手段を工夫しつつ、その目的ははたしてそのために生きるに値するものかどうか問うてみることなどせずに、一日一日を過してゆく。
 だがそういう問いがまさにソクラテスが提起した問いであり、人々に考察するよう無理強いして、そのために大いに不興を買ったところの問いなのである。人生を全体として取り上げて、われわれの追求している諸目的のうちのどれが、何か望ましく思われる別のものへのたんなる手段ではなく、本当にそれ自体として価値あるものなのかをかれは尋ねた。それのみが希求されるに値するようなただひとつの目的が人生には何かあるのだろうか。
」 
 ここまで読んでもう頭が痛くなった人もおられることだろう。わたしは頭が痛くなろうが気が狂おうがこの種のことを考えないと充実した日々は送れないものだと確信しているがそれを人に押しつけることはしない。だから、どう逆立ちしてもソクラテスになることなど出来ないのかも知れない。豚になることは100パーセントないのだから良しとしておくか。
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by hiroto_yokoyama | 2007-06-28 09:55 | ブログ
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