小田島雄志『シェイクスピアに学ぶ老いの知恵』(幻冬舎)を覗く

 小田島先生はわたしが文化庁の在外研修生としてニューヨークに行ったときの試験官のおひとりだった。1988年の秋、故・田山力哉氏に「今年限りで試験官をやめるのでいまならなんとかなる(合格させられる)」から芸術家在外研修生制度を受験してみてはどうかと勧められた。ふたりの息子たちはまだ小さかったが幸いなことにこの夏、妻の両親が浦和市大牧に建てた300坪の豪邸に同居させてもらうことになり転居したばかりだった。わたしは早速応募した。文部省で試験がありのこのこでかけていくと小田島先生が「あなたは英語がしゃべれますか? 」と質問された。わたしが「いいえ」と即答したら先生はじめ数名の試験官たち(むろん田山氏もその中にいらした)がいっせいに笑った。ニューヨークに1年間滞在するのに英語はひとこともしゃべれないとは何事かと呆れたのだ。小田島先生はニコニコしながら「しゃべれないと困りませんか? 」という意味のことを聞かれたので「すぐにでもアテネフランセに通って泥縄式でなんとかします」と素朴に素直に答えたのが試験官全員に好感を持たれたようだ(その日の夜の田山氏からの電話)。
 前置きが長すぎました。同書16ページにマクベスの台詞が載っている(もちろん小田島雄志訳)。太字のところだけを引用する。
思えば長いこと生きてきたものだ。おれの人生は黄ばんだ枯れ葉となって風に散るのを待っている。
 「それなのにどうだ、老年にはつきものの……」と続くのだが「おれの人生は黄ばんだ枯れ葉となって風に散るのを待っている」のところがいまのわたしの心境にぴったりなのです。
 わたしは映画監督としては黑澤明のようなナンバーワンにはおよそほど遠かったが人間としてはわがまま好き放題に生きてこられオンリーワンであった(そうとうにはた迷惑だっただろうが)とひそかに自負している。のこりあとわずかの人生を力一杯生き抜こうではないかと年頭にあってタクシー業務あけの日の夕方あめ玉を舐めるようにピチャピチャ音を立てながらひとり部屋でこの思念にとらわれているのであります。
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by hiroto_yokoyama | 2008-01-13 18:11 | ブログ
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