今度こそ三日坊主でなくて済みそう

 2年半ほどまえ(2002年2月)一大決心をしてホームページ(Webサイト)を作った。タイトルは「映画監督 横山博人 独言」と名付けた。1、2回で消滅。
 そのときの決意表明みたいなモノを以下にそっくり載せる。

(20020210)
 遺言のつもりでホームページを作ろうと思う。

 理由は2つ。「遺言」だったら、本心を言いやすそうだ。2つ目は、この1、2年やりたいことが進まず、ときどき嫌になって逃げ出したくなる。ホームページを作ってその「更新」作業を自殺抑止力にしてやろうということだ。

 きょうはその「やりたいこと」について話す。

 1995年10月に『眠れる美女』(原作、川端康成)という映画を撮って公開した。この作品が興行的に大失敗して多額の借金をかかえ込んだ。そのままでは立ち行かなくなるので、なにか新しいことをはじめようと考えた。

 ブロードバンド時代の到来を見越して、地方にネット配信映画の制作拠点をつくる、これを目標に据えた。1996年1月4日、御用始めの日に福岡県飯塚市(横山の出身地)役所の企画調整部にこの「構想」を持ち込んだ。石炭六法の期限切れ(現在、同法は失効した)をひかえ担当部長が興味を示した。しかし、市長がかわったら「事業策定委員会」は中断したまま、なんの音沙汰もなくなった。

 一方福岡県も通産省出身の知事が、この「構想」に乗っかり「マルチメディア・アライアンス福岡」という団体らしきものを作った。その顧問に祭りあげられたがこの団体が動き出す気配はまったくない。

 そんなことで首都圏と福岡を行ったり来たり丸7年もつづけてしまった。今年こそ「構想」を小さな規模で形にしたい、と年初からはりきっているのだが、まだ形にできるという確信に至らない。

 誰が読むかも分からないが、穴にむかって「王様の耳は、ロバの耳! 」と叫んだ男のように、腹の中のものをできれば毎日このホームページで吐きだす所存だ。

(20020211)
ヘーゲル『精神現象学』をやっと読んだ

 1973年4月、伊藤俊也監督の紹介でぼくは東映東京撮影所に契約助監督になった。日大の映画学科に籍をおいたまま、助監督をちょっとやってみようという軽い気持ちだったが、すぐ間違いに気づいた。先輩たちに、毎日いじめられた。「お前にとって映画とは何か? 」と問われて応えられないことが悔しかった。
 自分がとてもいい加減に存在していることに気づいたので、何かとっかかりを見つけようと「つん読」状態だった吉本隆明さんの全著作集を、毎晩寝る前に布団のなかですこしずつ読んだ。本を持ったままつい眠りかかって顔の上に本が落ちてくる。あわててスタンドを消して就寝という日課だったような気がする。
 その著作のなかに、『精神現象学』の引用があり、とても気になり河出書房の「世界の大思想」(樫山欽四郎訳)をさっそく買った。しかし数行読んだだけで眠くなり、そのままになった。もう少し年を重ねれば理解できるようになるだろう、と暢気なことを考えながら、馬齢をかれこれ27、8年も重ねてもうじき54才になろうとしている。
 さいきん書店でたまたま平凡社ライブラリーという文庫版を見つけ約半月ほどかけて『精神現象学』を読み終わった。読み終わったというより上下各500ページ弱の字面をただ追っただけというのが本当のところだ。
 長谷川宏さんの訳も持っているので、こんどはそれを読めば多少理解が行くかもしれないと楽しみにしている。

 2、3日まえに行きつけの古本屋を覗いたら、『ヘーゲル・大人のなりかた』(西研著、NHKブックス)というちょっと変わったタイトルの本を見つけた。著者の西さんは、1957年生まれとカバーにあり、ご自身「ポスト・モダニズム的だった」と言っている。ぼくより9才若い人はどんな読み方をするのだろうか、「あんちょこ」にするつもりで読んだ。
 西さんには失礼だが、とても拾い物だった。とくに「終章 ヘーゲル哲学をどう受けつぐか」が興味深い。若いスタッフと日々接して彼らのことがどうしてもぼくには理解できない、そんな悩みが少し和らぐ思いがした。

 ほかにも「映画監督 横山博人との対話」などとタイトルを付けたWebサイトを始めたような気がするが、原稿がどこかへ行った。
 なぜ、Webサイトを始めたのにすぐに挫折したか。理由は簡単。作るのに手間がかかる。その技術が当方にまったくない。
 その点、ブログは簡単。ブログの意味さえ理解できていないのに、今回は3日以上続いている。
 遺言のつもりで死ぬまでつづけられそうで今はとても愉快だ。                           
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by hiroto_yokoyama | 2004-07-16 09:25 | ブログ
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