『方丈記』についての堀田善衛の解説を聞く

 わたしは堀田氏にお会いしたことなどないのになぜかテープから流れ出した氏の声を聞くとなつかしくなった。もう忘れてしまっているが若いころテレビのインタビューかあるいは講演会などに行ったことがあるのかも知れない。覚えているのは氏の声だけだ。
 図書館から借りてきた『新潮カセットブック・日本の古典〔一〕方丈記』をきょう返すのでコピーなどとったりせずにいま全部聞きおわった。
 NHKの「ラジオ深夜便」をいつも聞いているという人やテレビで「朝までナマテレビ」を見たので眠いと言った人の話を聞いてわたしは口先じゃ「それじゃいっぺん見てみよう」とか「ぜひ聞いてみよう」などと言いつつ1度も見聞したことはない。内心「こいつ馬鹿じゃなかろか?」などと思ったことがある。それなのに朝っぱらから猫どもにエサをやりながらラジカセで妙なものを聞いているわたしって何者なのか。そんなことを思いつつ聞いた。
 『方丈記』を書いた鴨長明という人は「おもしろい人で」と堀田氏がなんども言う。どんなところを面白がっているのか。福原へ遷都したてのころ長明は26歳だったらしいが用もないのに「ついでがあってなのか」わざわざ都としての機能を果たせていない福原を見にいったりとか。鎌倉くんだりまで実朝に会いに行きしかも1度だけではなく何度も会っている(「吾妻鏡」に書いてあるらしい。実朝もどこの馬の骨とも知れない鴨長明などによく会ってくれたものだとわたしは感心した)。平安末期。時代が大きく変わろうとするその気配を肌で感じた両名は何度も会見していわば情報交換をしたのではないだろうかと氏は推測する。その翌年に長明は『方丈記』をさっと書いた(原稿用紙で20枚ちょっとの長さなんだそうだ。とても短い)。地震があったり、大火事があったり天変地異を体験したり見聞すると長明はじっとしておられずに火事の発火場所などを現地にいって調べたりなどする。今で言うルポルタージュ作家であるような側面を堀田氏は面白がられている。
 「諸行無常」などと簡単に片づけてはいけない重さが『方丈記』にはあると堀田氏は強調されていた気がする。氏の『方丈記私記』は題名は知っていても読んでいない。モンテーニュのこともミッシェル何とかと副題がついたものが文庫本にもなっているがこれも書店でちょっと手にしただけで買わなかった。
 むかしは短い期間だったが堀田善衛のものをむさぼり読んだが解説の声を聞いてまたぞろ氏の本など読んでみようかと朝早くに考えているわたしなのであります。
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by hiroto_yokoyama | 2008-06-04 06:32 | ブログ
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