もうひとつ本の記事を書く

 そんなこんなで図書館の本に書き込みや線引きしそうな奴らがこづかい銭を節約して話題の本なら何でも予約する風潮をなげきつつわたしは馬鹿たれどもの裏を行く。
 今朝の讀賣じゃなかった産経新聞(久しぶりに花田編集長の週刊誌を論評する記事を読みたくなりコンビニに買いに行ってきた)11面でギュンター・グラス『玉ねぎの皮をむきながら』という本のことを知った。これをさっそく図書館のサイトで検索し予約した。
 わたしが1番じゃないかと思ったがいるわいるわゴキブリみたいにケチどもが。でも『のぼうの城』みたいにポピュラーではないのですぐに借りられそう。
 ギュンター・グラスといえばナチの親衛隊員であったことを自ら暴露して最近(と言っても2年前)話題になったドイツのノーベル賞作家。
 古い話になるがわたしが監督デビュー作『純』をひっさげてカンヌ映画祭に出席したのは1979年の5月だった。早いものでもう29年もたってしまった。
 その年のグランプリがギュンター・グラス原作『ブリキの太鼓』だ。コッポラが裏で政治力を使い凡作『地獄の黙示録』を強引にグランプリに割り込ませた(このオマケがついてこの年だけカンヌはパルム・ドールが2本になった)。この男はグランプリねらいにツーバージョン作ったらしい。ウソかホントか知らないがカンヌ映画祭用と一般公開用だとかカンヌすずめたちがしきりにさえずっていたものだ。
 わたしはカンヌのフェスティバルホールでフォルカー・シュレンドルフ監督『ブリキの太鼓』を見終わってうなった。成長することを自らとめた主人公の少年(したがって主人公はずっと子供のままである)がなにやら叫ぶ(カンヌでの上映だから日本語の字幕などついていない)と大きな建築物のガラスがこなごなに砕けるのだ。このスペクタクル。よかったなあ。
 わたしはこの映画がまちがいなくグランプリだと確信した。
 表彰式には東宝東和の川喜多かしこさんに連れられてわたしもタキシードを着て出席した。タキシードは前の年にあげた結婚式のときにも着なかったから後にも先にもこのときだけ。恥ずかしかった。式場に入るときわたしのすぐ前をあこがれだったカトリーヌ・ドゥヌーブが赤い絨毯のしいてある階段を上って行く。胸のときめきをこらえてわたしは真っ直ぐに前を見る。するとドゥヌーブのちょうど尻のあたりに視線がいった。ベージュのカクテルドレス越しに彼女の腰回りの質感が出ている。今で言うメタボリック・シンドロームなのだ。あんなにあこがれていたカトリーヌ・ドゥヌーブだったのに。わたしの夢はこの時いっぺんに覚めてしまった。
 式場に入り何気なく二階を見上げると最前列にイヴ・モンタンがいた。大好きな女優のシモーヌ・シニョレの旦那さまだ。このモンタンの鼻の穴の大きさにも驚いた。親指の頭がらくに入りそうなくらい大きい。日本人によくあるがまん丸でないのがすくいだ。
 ずいぶん脇道にそれてしまったが、もうひと言申し添えます。
 わたしは1979年のカンヌ映画祭の表彰式の当日客席から壇上のシュレンドルフ監督を見た。頭が禿げているのが印象的だった。いつの日かカンヌのこの壇の上にきっと立とう、そう心ひそかに誓ったものだがついにきょうまで果たせずハゲだけがシュレンドルフに似てしまった。
 そんな訳でカンヌと言えば『ブリキの太鼓』、ギュンター・グラスと言えばわたしにはカンヌ国際映画祭なのである。グラスの自伝『玉ねぎの皮をむきながら』の順番がめぐってくるのを楽しみに待とう。
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by hiroto_yokoyama | 2008-06-16 08:23 | ブログ
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