よしもとばななを少し見直す

 若い世代は吉本隆明氏をばななのお父さんというだろうが、わたしはばななは吉本氏の娘にすぎない。変な名前だと、思ったきり、彼女の本は1冊も読んだことがない。
 どうも調子が出ないので郵便受けから新聞をとってきて頭を切りかえようとした。
 毎日新聞10面文化欄。左側に渡辺保「加藤周一氏をしのぶ」という記事。タテ見だしで「もっとも美しい「文体」の散文を書いた人」とある。
 渡辺氏は
……私にとっての「文章読本」。その要諦(ようてい、ルビ)は、森鴎(わたしの安いパソコンではちゃんとした字が出せない)外が、木下杢太郎がそうであったように、加藤さんが医学者であったことと深くかかわっていたにちがいない。
 と書いている。なるほどと思う。しかしわたしはこの程度のことでは元気になれない。木下杢太郎という名は知っているがこの人のものも1つも読んだことがない。
 ふと右側の「語る」という欄に目がいった。タテ見だしは「よしもとばななさん 「彼女について」を刊行」。ヨコ見だしの「理屈を削るのが小説」のところを読んだ。わたしがいいなと感じたところを引用させていただく。
 小説を書くとき、一番大事にしていることは何か尋ねると、すぐに「思っていないことを書かないこと」と答えが返ってきた。……
 そうだろうな、とわたしは分かったような気になった。すぐに続いて、
 「調子が悪いと理屈っぽくなるのです。疲労がたまって、ちょっと気を抜くと、すぐそうなる。……一番理屈っぽいところから減らす作業をします」
 なるほど。なるほど。直結で、
 「理屈っぽい」とはどういうこと?
  「自分の結論を書いてしまいそうになるのです。結論を言葉にするのは小説で一番つまらない。
……」
 映画でも同じことだとわたしは思う。ここのところまで読んだらなんだかムクムクと体内から力がわいてくる気がしてきた。しかしよしもとばななの新刊『彼女について』をわたしが読んでもたぶん理解できないのではないだろうか。二男に読んでもらって感想など聞きたいが息子もいまスランプのようだから読んでくれそうもない。
 ぶるぶると体をゆすって自らを鼓舞しているわたしなのであります。
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by hiroto_yokoyama | 2008-12-08 07:08 | ブログ
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