「葬儀の世界にも異変」らしい

 東京新聞きのう(3月2日)の6面に「こちら編集委員室」というコラムが載っている。寺本峯祥という人の署名入りの記事。
 わたしは5年前にガンで胃の3分の2を取り去る手術を受けた。それ以来死ぬことをいつも意識するようになった。二男にわたしが病死であれ事故死であれ自殺であれ死んだときはどうするか、その時の段取りをメモに取らせて目立つように冷蔵庫の扉に貼りつけさせてある。心筋梗塞のとき、昨年のマロリー・ワイス症候群で下血・吐血で救急車を呼んだとき冷蔵庫のメモ通りにことを進めるように子供たちと妻に念押しをして家を出た。
 これでもう安心。人は暢気だと笑うかも知れないが放っておいて貰いたい。これがわたしのやり方だし生き方なのだ。
 で、見出しに書いたように葬儀の世界にも異変が起きているらしい。新聞の記事から引用させて貰う。
……病院から火葬場に直行して葬式を挙げずに身内だけが見守って荼毘(だび、ルビ)に付す「直葬」が急増している……
 わたしが息子にメモをさせたのはこのこと。なるほど直葬と言うのか。「じきそう」と読むのか「ちょくそう」でいいのか。そんなことはどうでもいいが誰しも考えることは同じなのだなあと感心して妻と子たちに読ませるつもりで切り抜いてある。
 このコラムのはじめは、
 「マンション坊主」と呼ばれる僧侶をご存じですか。
 だって。わたしは知らなかった。みなさんはべつに知らなくてもかまいませんがどうしても知りたい人は図書館にでも行ってみてください。
 この記事を書いた寺本氏の言いたかったことは、コラムの末尾から引用します。
 葬式仏教との批判に甘んじ、弔いの主役を葬儀社に任せ放しにしてきた檀家(だんか、ルビ)寺。死活問題に直面しているはずなのに、反応は鈍い。
 わたしははなから寺も坊主も信用していないしと言って葬儀社に頼むつもりもないのでなにも憂えてはおりません。
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by hiroto_yokoyama | 2009-03-03 08:05 | ブログ
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