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信長の父の葬儀の日

信長の父の葬儀の日_a0036325_10493719.jpg たしか小学生のころ近所の「ロマン劇場」で3本立て小学生40円で『若き日の織田信長』(東映、監督:河野寿一? )を見た記憶がある。中村錦之助扮する信長が、父の葬儀の日なのに遊びほうけている。家臣がむりに式場につれてくるのだが、汚い格好のままの信長が焼香するどころか抹香を父親の位牌に叩きつけるのだ。わたしはそのときの強烈な印象を40年以上たったいまも覚えている。幼いわたしはこの挿話はフィクションだとそのとき思ったのだが伯母(父の姉)と雑談しているときどうやら本当のことだと知って以来「どういうことなのだろう」と首をかしげっぱなしできょうまで生きてきた。
 『信長公記』(角川日本古典文庫)を見ると信長の父信秀は天文二十一年三月三日「御遷化」(ごせんげ)とある。天文十七、十八、二十年と諸説あるらしいが、そんなことはどうでもいい。要は1550年ころ、信長が親父の位牌に罰当たりにも灰(抹香)を叩きつけてどうしようとしたのか、わたしはそれが知りたい。
 二十歳のころ父方の祖父が死に、葬儀の日にわたしはそのことを思った。13年まえ父が亡くなったときも信長のことを考えた。信長の真似をしようなどとは露ほども思わず、父のときも祖父のときもわたしはしおらしく焼香した。
 信長はもしかしたら葬式というものは亡くなった人のためにあるのではなく生き残った周りの人たちのためにするものなので決然と抹香を叩きつけたのかも知れない。
 先週から在宅の高齢者の歯の治療で口の中を懐中電灯で照らすバイトを始めたが20人以上のお年寄りの口の中を見ていると、なんだか宇宙でも見ているような妙な気分になってくる。ある老婦人が「生きていくのはたいへんなことですよ」と口をもぐもぐさせながら歯医者の先生に言うのをそばで聞きながらわたしは「寝たきり」を暗いイメージで捉えていた自分を深く反省し、他人のことを頑迷固陋とか言って罵ったりするのはもうやめよう。わたしの方がもしかして勝手に自分の頭の中に作り上げた現実にありもしないことをこねくり回してばかりいるのかも知れない。こんなことで映画など撮ってもしょうがない。
by hiroto_yokoyama | 2004-08-22 10:50 | 独言
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