吉本隆明『老いの超え方』(朝日新聞社)から

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――遊び
吉本 やはり猫さんじゃないでしょうか。僕が行くと、ニャンと泣いて寄ってきて一緒に寝そべっているみたいな、そういう猫が一匹、うちにいます。それも遊びの中に入れば猫じゃないでしょうか。

 わたしは表で野良猫2匹(花子、クロ)家で3匹(寅彦、さくら、リボン)計5匹も飼っている。これ以上増やさない心構えが必要だ。
134ページ
――老年期
吉本 太宰治の「アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。人モ家モ暗イウチハマダ滅亡セヌ」(『右大臣実朝』)というのが好きです。僕らもそうで、まだおれは暗いから滅びないというか、まだ仕事ができるという感じですね。

 「明るさは、滅びの姿であろうか」というのを電車の中吊りか何かで見たことがある。いいなと思った。『右大臣実朝』にある、というのははじめて知った。
196ページ
――この章では老いと文学について伺いたいと思います。
吉本 文学で、僕が典型的に思い浮かべるのは室生犀星です。若いときは詩をたくさん書いて、途中から小説家として作品を多く残しました。多分、病気で最後の入院のときだと思いますが、それを主題にした『われはうたへどやぶれかぶれ』というのがあります。
……
 『われはうたへどやぶれかぶれ』というのは知らなかった。タイトルがいいですね。さっそくどんなものか目を通してみたいです。
232ページ
吉本 僕が好きな中世の宗教家で親鸞という人がいます。この人の考えと、僕が一番影響を受けている死についての考え方は、フランスのミッシェル・フーコーという人の『臨床医学の誕生』という本の中の死の考え方がいいというか、ある意味では親鸞も似ているところがあります。
 ミッシェル・フーコーは名前だけ知っている。さっそく『臨床医学の誕生』を手にしてみたい。
248ページ
吉本 要するに、一つはもちろんあの世とか浄土、天国、そういうものはないよということが重要なことではないでしょうか。「死ねば死にきり 自然は水際立っている」という二行で、後の「自然は水際立っている」というのが、とても高村光太郎の自然観、自然概念の重要なところではないでしょうか。つまり、毛沢東流に言えば自然には勝てませんと言っているのと同じで、浄土で再び生きるというようなことは一切無用であるし、ない。そういうことに対して自然がそういうふうにできているということを、「自然は水際立っている」というもう一行で言っています。これは奥さんが亡くなったときのものですが、そういうことを言っています。それは、宗教家でもない認識にとっては重要な、大変いい考え方ではないかと思います。
 いいですねぇ。「死ねば死にきり 自然は水際立っている」
 吉本さんの『老いの超え方』は最近文庫になりました。興味のある方は本屋さんでお求めください。わたしは図書館の単行本を見たのですがなるべく早く返却します。
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by hiroto_yokoyama | 2009-11-11 10:28 | ブログ
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