宮田毬栄著『追憶の作家たち』(文春新書、372)の部分読み

 年始めの読書は見出しに書いた本。7章からなっており真っ先に読んだのが「第五章 石川淳」つぎが「第六章 大岡昇平」。「第一章 松本清張」は途中まで読んでやめた。きょうは清張さんの章を読了したら「第三章 埴谷雄高」まで読んでいったんこの本は終わりにしよう。
 たしか著者の宮田さんは松本清張記念館の館長・藤井康栄さんの妹さんのはずだ。裏表紙の写真を拝見するとなかなかの美人。故・中島梓氏のもと秘書のSさんに似ているような気がする。
 それにしてもこの姉妹編集者はお二人ともたいへん優秀な方々なのだなあとつくづく思う。映画界には残念ながら出版界と違い女性ですぐれたプロデューサーはどこを探しても見つからない。わたしのひが目だろうか。
 『追憶の作家たち』「第六章 大岡昇平」(205〜206ページ)から気になるところを引用させていただこう。
 埴谷さんは悲しみを胸にためて、涙を見せないひとであったが、大岡さんの死の時は別であった。埴谷さんの涙はなかなか乾かなかった。
 いつだったか埴谷家の茶の間で雑談していて大岡昇平の話になった。私が「大岡さんには名作や大作がいっぱいあるけれど、どれが好きかといわれれば、自伝的な『幼年』とか『少年』じゃないかと思います」と言うと、埴谷さんは「あれはいいんだよね。ぼくもそう思う」と呟くような言い方をした。
 知的で怜悧で都会的で華やかで攻撃的であった大岡さんの相反する面をその二作は冷厳に解剖してみせる。凍った湖を風が渡ってゆくような静けさが漂う。
……
「私はそのような卑しい母から生れたことを情なく思った。暮れかかる月島の町工場の並ぶ埃っぽい通りを、涙をぽたぽたたれ流しながら歩いている、小学生の帽子をかぶった自分の姿は、いま思い出しても悲しくなる」(『少年』)……
 わたしは「ある映画監督の秘密の生涯」というものを書こうとしてむかし読んだ大岡昇平『少年』を参考資料として図書館に予約しているのだがこういうくだりを見るとやっぱりこの本は文庫でもいいから買い直そうかという気になる。
 『少年』と言えば同じタイトルの大島渚監督の映画をわたしは氏の映画でいちばん好きだ。大島監督も大岡版『少年』を読んでいらっしゃるに違いない。
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by hiroto_yokoyama | 2010-01-02 05:08 | ブログ
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