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映画は誰にでも作られる 5. 宣伝力

 せっかく苦労して作った映画も人に見て貰えなければ、その映画は存在しないのも同じだ。そこで宣伝力がものを言う。
 『純』のヒットは作品の力というより宣伝がいきとどいたためである。自分が監督した映画だから「自分がヒットする映画を作った」などとひそかに誇る気持ちはわたしには初めからカケラもなかった。宣伝といっても新聞雑誌に広告を掲載したりテレビでコマーシャルを流す方法(アドバタイズメント、ものすごく金がかかる)とミニコミ誌や新聞の文化欄などにとりあげてもらういわゆるパブリシティ(金がかからない。逆に執筆料や取材費として金をもらうことさえある)の2つに分けられる。『純』の場合宣伝はもちろん後者のみだった。
 雑誌の「ぴあ」のいま重役になった人や北野武監督の映画の宣伝をいってに引き受けてやっている会社の社長になった人など数名の方々が『純』のパブリシティのために動いてくださった。その方々のおかげで新聞や雑誌にとりあげられた記事が大判のスクラップブック3冊にぎっしり貼って残っている。
 あの頃と今はどこがどう違ってしまったのか。それはよく言われることだが、人びとの嗜好や趣味が多岐にわたっている(拡散しきっている)ため宣伝を誰に向けるのかのターゲットが絞りにくくなっているところだろう。金をかけて宣伝したら客が必ず来るというものではない、いまや分かりきった話だ。しかし宣伝しないと客は来ない。宣伝費がまったくないなら絶望なのだろうか? 金をかけずに宣伝する方法はいまでも果たしてあるのか?
 野口悠紀雄『ホームページにオフィスを作る』(光文社新書011)の195ページに興味深い記事がある。
「テレビの独占を崩せないか
 ……現代世界でのテレビの力は絶大だ。
(196ページ)しかし、テレビ放送には、重大な弱点もある。それは、多数の視聴者の要望に応えるために、万人向きの内容にならざるをえないことだ。しかし、ある種の映像だけを詳しく見たいという人もいるのである。
 通信回線が高速化し、動画が簡単に送れるようになれば、……テレビの独占は崩れる可能性がある。」
 わたしはいまやテレビの独占はすでに崩れ去っていると認識している。『純』を公開したのは1980年。日本全国でおよそ100万人の人たちが見てくださった。観客が当時中学生ならいま37、38、39歳。大学生なら43、44、45、46歳。放送局、新聞社、出版社などマスコミ関係の方にお会いするといまでもわたしは必ず「ぼく『純』を何回みました」と言われる。100万人の『純』の観客のなかにはこのブログに接する方が必ずいらっしゃるはず。その方々の何分の一の人たちでもいいから是非わたしに力をお貸し願いたい。
 わたしがインターネット上(いやはっきりブログでと言いきってもいい)で「みんなで映画を作ろう 」という提案をおもしろいとお感じになる方がいれば鬼に金棒。企画のそもそもの発端から多くの人たちに知って貰える。じっくりとパブリシティ効果がでるのではないか。ひいては映画が完成するときまでにはあらかじめ観客数が見込めることになりはしないだろうか。
 宣伝などと旧来型の方法をもちいなくても全国で1万人の人たちにまず見て喜んでいただける映画を作ることから始めなければ街の映画館で「日本映画」が見られることは早晩なくなるとわたしは予測している。ハリウッド映画と韓国映画と数本のアニメとテレビ映画の劇場版だけで充分だよと興行にたずさわる方々は思っていらっしゃるかも知れない。いや興行界にとどまらず一般のだれもがもはや日本映画をだれも必要としていないのかも知れない。
 それは「日本がなくなることを意味する」と考えるのは神経過敏なわたしひとりだけなのだろうか?
by hiroto_yokoyama | 2004-09-03 09:49 | 映画
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