カテゴリ:独言( 11 )

わたしのようなガキが「大人になることの難しさ」を思うと

 「あっちを見てもこっちを見ても、ガキみたいな大人が増えた」となだいなだ氏が言っています。(「ちくま」(2004№400)7月号2ページ「大人になることの難しさ」)
 なだいなだ氏はわたしが高校生のときたしか芥川賞の候補になったりなさった作家でもあり精神科のお医者さんでもある著名人です。さいきんは
「老人党」というウエブサイトを立ち上げられてご活躍中の方です。
 話を「大人になることの難しさ」に戻します。(なだ氏が)ある四十歳くらいのジャーナリストと話していたら(その彼が)「なぜ人間は人格的に成熟しなければいけないのですか」と尋ねたらしい。なだ氏はガキみたいな大人が増えたのは「……自由社会は、だんだんと規制の社会になり、規制に頼っているうちに、人間が自立し大人になる努力を忘れていった……」からだとおっしゃっている。まさしく正論です。
 では、どうしたらいいのか? ガキたちはどうすべきかは、なだ氏はおっしゃらない。氏の「大人になることの難しさ」は分析だけで終わっている。それはきっとなだ氏ご自身がご自分を立派な大人であると認識なさっているからなのだろう。わたしなどは自分のことを「どうしようもないガキだ」と日々忸怩(じくじ)たる思いで生きているのでなだ氏が分析なさった地点で立ち止まったまま足踏みを続ける訳にはいかないのです。
 ブログを見ると「たぶんサゲマン女のあんがい平凡なじんせい」にでてくる「妻子のある50代後半の男性」とか「三十路のため息」にでてくる「部下をねぎらういい部長」などガキみたいなおやじがたしかにものすごい勢いで増えているようにわたしにもみえる。わたしもガキだが上に書いた「妻子ある男性」や「部長」などどうしようもない人たちに比べると「人品骨柄」の点で彼らには申し訳ないがわたしの方がはるかにまさっているように思えてしかたがない。わたしは何も自慢したいわけではない。目くそ鼻くそを笑うという次元のことととってもらっては困る。
 妻子もちや部長などとわたしがどこの点で違っているのかを言えばそれは彼らがたぶん社会の陽の当たる場所を「規制に頼って」小利口にたくみに生きてきたのに対しわたしは自分の好き嫌いだけでものごとをほとんど判断してわがまま勝手に生きてきたことの差によるのではないだろうか。わたしは相手との間合いを計るとき「損得」で計らない。男に対しても女に対しても「好き嫌い」が尺度だ。極端に言えばこの人が突然死んだらわたしは内心手をたたいて喜ぶだろうな(ぶっ殺してやりたい人を自らの手で刺せば自分が損をするという計算はわたしは誰よりも早い。動物的なのだ)とか、わたしはあの人の葬式にはどんな用事があってもきっと参列するに違いないなどとバスを降りたりしたときなどにときどき思う。彼らがわたしと同じガキでありながら決定的に違うのはこの点においてではないだろうか。
 わたしはどうしようもないガキであるだけに社会に対してとる態度を局面局面により動物的にくるくる替えてきた。協調性などまるでないのだ。規制に振りまわされて生きてきた協調性のある人たちがさきに斃れるか、こちらがさきか、どうせわたしの方が死ぬのはさきだろうが、ガキを世の中から駆逐するにはまずは「女性の社会的自立」を願うのが1番早道ではないかと考えている。
[PR]
by hiroto_yokoyama | 2004-09-04 08:16 | 独言

裸足のイサドラとアベベ選手

 わたしはアテネ・オリンピックがはやく終わらないかと念じている。テレビとパソコンが売れたか売れなかったか知らないがオリンピックはつまらない。なぜこんなことを書くかといえば女子マラソンの野口選手の履いていた靴は神戸の会社の製品らしい。金メダルを取ったとたんにその靴メーカーに「野口選手の靴がほしい」と予約が殺到したという新聞記事を見た。「なるほど、ヘェー」と勘の悪いわたしはその時思っただけだったのだが、さっき気がついた。
 昭和39年(1964年)東京オリンピックの男子マラソンの金メダルはアベベというアフリカの黒人選手だった。たしかアベベはあのとき裸足で42.195メートルを走って優勝した。「はだし」で、ですぞ。わたしは感動とかいうものを通り越して、次の日から学校に裸足で通った。みなに馬鹿にされたが1ヶ月は続けたと思う。わたしのなかでオリンピックはあの時終わった。
 裸足で踊ったダンサーがイギリスにいたらしい。高田馬場の名画座で『裸足のイサドラ』という映画をむかし見た。監督は『孤独の報酬』という映画を撮ったカレル・ライスではなかっただろうか? イサドラを演じたのはバネッサ・レッドグレープだった(これも不確かです。どなたか映画好きのブロガーの方が調べてくださればそれでいい)。彼女はトニー・リチャードソン監督の奥さんだった人。そんなことはどうでもいい。映画は長いだけでわたしにはちっとも面白くなかった。
 わたしが言いたいのは裸足で踊ったり、走ったりすることが「記録」などよりわたしの記憶に残っているということ。素足で踊るダンサーはイサドラ・ダンカンだけではないかも知れない。ダンスはスポーツとはちょっと違うだろうから裸足で踊ると聞いたらわたしはその人の踊りを入場料払ってでも見に行くかもしれない。マラソンで靴も履かずに金メダルを獲ったのはアベベの先にもあとにもアベベだけ。わたしにはクーベルタンのオリンピックはアベベでとっくに終わっているとしか思えない。
 へそ曲がりなことを言ってしまいました。ブロッガーの方々はきっとほとんどが反論のある人ばかりだとお察しいたします。武士の情け、どうかわたしをそっとしておいてください。それでも許せないという方がいらしたら、仮名とか匿名ではなく実名でコメントください。とことんブログで論争しましょう。
[PR]
by hiroto_yokoyama | 2004-08-29 21:40 | 独言

信長の父の葬儀の日

a0036325_10493719.jpg たしか小学生のころ近所の「ロマン劇場」で3本立て小学生40円で『若き日の織田信長』(東映、監督:河野寿一? )を見た記憶がある。中村錦之助扮する信長が、父の葬儀の日なのに遊びほうけている。家臣がむりに式場につれてくるのだが、汚い格好のままの信長が焼香するどころか抹香を父親の位牌に叩きつけるのだ。わたしはそのときの強烈な印象を40年以上たったいまも覚えている。幼いわたしはこの挿話はフィクションだとそのとき思ったのだが伯母(父の姉)と雑談しているときどうやら本当のことだと知って以来「どういうことなのだろう」と首をかしげっぱなしできょうまで生きてきた。
 『信長公記』(角川日本古典文庫)を見ると信長の父信秀は天文二十一年三月三日「御遷化」(ごせんげ)とある。天文十七、十八、二十年と諸説あるらしいが、そんなことはどうでもいい。要は1550年ころ、信長が親父の位牌に罰当たりにも灰(抹香)を叩きつけてどうしようとしたのか、わたしはそれが知りたい。
 二十歳のころ父方の祖父が死に、葬儀の日にわたしはそのことを思った。13年まえ父が亡くなったときも信長のことを考えた。信長の真似をしようなどとは露ほども思わず、父のときも祖父のときもわたしはしおらしく焼香した。
 信長はもしかしたら葬式というものは亡くなった人のためにあるのではなく生き残った周りの人たちのためにするものなので決然と抹香を叩きつけたのかも知れない。
 先週から在宅の高齢者の歯の治療で口の中を懐中電灯で照らすバイトを始めたが20人以上のお年寄りの口の中を見ていると、なんだか宇宙でも見ているような妙な気分になってくる。ある老婦人が「生きていくのはたいへんなことですよ」と口をもぐもぐさせながら歯医者の先生に言うのをそばで聞きながらわたしは「寝たきり」を暗いイメージで捉えていた自分を深く反省し、他人のことを頑迷固陋とか言って罵ったりするのはもうやめよう。わたしの方がもしかして勝手に自分の頭の中に作り上げた現実にありもしないことをこねくり回してばかりいるのかも知れない。こんなことで映画など撮ってもしょうがない。
[PR]
by hiroto_yokoyama | 2004-08-22 10:50 | 独言

きのうからバイトを始めた

 盆前の8月9日ヤンガーと社長を付き添わせてわたしは生まれてはじめて職業安定所(ハローワーク)に仕事を探しに行った。(ほんとうは2度目。『純』のシナリオは東映の助監督を辞めたあと失業保険をもらいながら書いた。そのとき何度か職安には行っている)
 わたしは東映の助監督のとき将来食いっぱぐれないためタクシーの運転手をいつでもやれるよう普通免許の第2種をとっていた。ヤンガーが「監督は運転手をやっても乗客とすぐに喧嘩するだろうからタクシーはやめておけ」と言う。
 それ以外に56歳で仕事などあるのかと思っていたらあった。「運転手」で検索したら寝たきり(かそれに近い)の人むけの歯医者さんの往診の手伝い。わたしはむかし両親の往診の運転手を自分からすすんでやっていた。それに近い仕事のようなのでわたしのような者にも勤まるのではないか? 面接をうけたら採用された。きのうから見習いを始めたというわけである。
 わたしはもう1本映画を撮りたいと思っている。最後の1本を撮って「あれほど自由奔放に生きて死んでいった監督はめずらしい」ということで後世に名前を残したい。(スタンダールの墓には「生きた、書いた、愛した」(順番が不確か)と刻んであるらしいではないか)巨匠などになれるはずもないので「珍しい監督がいた」くらいは言われたい。それ以上にこの世の中で何ものにもとらわれず自由に生きる人間の見本になりたいのかも知れない。
 そのためには生きつづけなければならない。
 胃を三分の二切ったあとの体力がどのくらい回復しているか正直まだ自信がないが「もう来なくていい」と言われてクビになるまでは続けるつもりだ。
[PR]
by hiroto_yokoyama | 2004-08-19 07:46 | 独言

ロンドンのハーフミラーのトイレと手鏡先生とブログの関係を考察する

 NHKのニュースで見たのだが、ロンドンの街の中の公衆便所がリニューアルされたらしい。四方がハーフミラーで覆われている。大便小便をしながらトイレのなかから表の様子が見られる。イヌの散歩をしている婆さんか何かが映し出されていた。ハーフミラーなので表からは絶対中は見えない。おもしろい施設ができたものだ。
 わたしはそのトイレではぜったい気張れないだろうと思ったらやっぱり。アナウンサーのコメントでは「あまり人気はないようです」とのこと。すこしほっとした。
 手鏡先生のことが気になって夜も眠れない。あの先生の心の内は闇だ。テレビの報道番組でこの大学院の先生の顔を何度か見た。なかなかの優男(やさおとこ)。クールだしこの人女子大生なんかにもてるだろうなと少し妬ましかった。ところがよりにもよって桜島大根のような太い不気味な足をルースソックスで、恥垢まみれのアソコをズロースで隠しているのをさらに鞄で見られないように涙ぐましい努力をして階段を上がる乙女の股ぐらをなぜ覗きこもうとしたのだろうか? わたしの理解をはるかに超えている。あの事件はなんとしても冤罪であってほしい。
 さ、それでトイレと手鏡まではなんとなく関係づけられるのだが、この2つとブログにはどこか共通点があるように思えるのだが、わたしの悪い頭ではいくら考えても知恵をしぼっても関係性を解明できないのである。もともと乖離なのだろうか?
 東大とか京都大学を卒業した同世代の学生運動に青春をかけた人びととわたしは議論を戦わせてみたいのですが、どなたか売られた喧嘩を買って下さる方はいらっしゃらないでしょうか。バトル! ね、お父さん。子供たちの前で自殺したりなんかしないで命がけの戦いをして見せましょうよ。
[PR]
by hiroto_yokoyama | 2004-08-13 13:33 | 独言

きょうは死ぬにはいい日だ

 2週間前だったろうか? 昨年の自殺者は過去最高、60代が一番多い。つぎが50代。ニュースで聞いて、愉快になった人はあまりいないだろう。わたしは56歳だ
が死にたいと思うことはしょっちゅうあっても多分自殺することはない。
 昼間エルダー(長男のこと)と近所のラーメン屋へいった。新しいバイトの小母さんが釣り銭をまちがって1000円多くくれた。エルダーが支払ったのだが、親子で喜びあった。
 きょう発売の「文藝春秋」9月号をわたしが1000円多い釣り銭で買いにいくことにした。モブ・ノリオさんの『介護入門』をヤンガー(二男)かエルダーに先に読ませるつもり。わたしはほかに読むものが多いので、読むとしてもずっと後になる。
 チョイノリで帰宅する途中、以前雑誌の特集で読んだ「死ぬにはいい日だ」という言葉を思い出して「独言」に書いてみたくなった。アメリカ・インディアンはきょうは死ぬにはいい日だと思ったらすぐに死ぬのだろうか? あの雑誌をちゃんと読んでおけばよかった。
[PR]
by hiroto_yokoyama | 2004-08-12 14:05 | 独言

ガンの手術をうけて約9ヶ月たった

 昨年(2003年)9月17日わたしはガンの宣告をうけた。さいたま市の健康診査を受診して分かった。クリニックの先生から「どうやら、悪性のようです」という電話をいただいたときにはアタマのなかが真っ白になった。
 とっさに思い出したのは黒木和雄監督に教えてもらった太宰治の『晩年』のこと。

       死なうと思つてゐた。今年の正月、よそから着物を一反もらつた。
      お年玉としてである。着物の布地は麻であつた。鼠色のこまかい縞
      目が織りこめられてゐた。これは夏に着る着物であらう。夏まで生
      きてゐようと思つた。

(どうも横書きでは感じが出ない。旧仮名遣いではとくに感じが出ない。そう言いつつ、わたしはいい加減なので、この初めの部分しか読んでいないが)
 わたしの二男はそのとき高校三年生。大学受験を控えている。いま死んだら、息子の受験に差し障る。二男がどの大学に落ち着くかどうしても見届けたい。わたしは「来年の春までなんとしても生きていよう」と決心した。
 10月20日福岡市の浜の町病院でわたしは7時間半にも及ぶ大手術をうけた。胃を三分の二摘出されてしまった。9ヶ月たったいまも食べ過ぎると、すぐに苦しくなる。
 年が明けて春が来た。息子は夜間大学に通うことになった。いまは夏。『お友達になりたい』の上映も終わり、つぎの目標を急いで決めないとならない。
 わたしは大学生になった二男に手伝わせてどうしても撮りたい映画を親子2人きりで小規模に作ってみようかと考えはじめている。
[PR]
by hiroto_yokoyama | 2004-08-06 12:02 | 独言

阪神・金本の701試合フルイニング連続出場について

 8月1日阪神―巨人戦8回裏ツーアウト満塁の場面をテレビで見ていた。前日はこの阪神の4番は見事なプッシュバントを決めたが、このだいじな場面では凡退した。情けなくなった。
 まず岡田監督。この人はつくづく「いい人」なのだと思う。「監督」にまったくむいていない。戦える人ではない。
 金本は7月29日に左手首にボールが当たった。もしかしたら骨折しているかも知れない。翌30日の試合にはテーピングをして出場したに違いない。恐らく痛み止めもうっていただろう。左ヒジのちょっと下の筋のうえにピップエレキバンか何かを貼っているのが見えたが、とても痛々しかった。
 結論。金本は連続試合出場700で終わった方が歴史に残った。彼は新記録にこだわりすぎた。卑しさだけが残った。フォアザチームもへったくれもない。自分さえよければというさもしさが残った。去年の打順は3番。金本がいたから阪神は優勝した。ことしは(たぶんフリーエージェントで去年入団してくる時から)4番と決まっていたようだ。キャンプから筋肉トレーニングに邁進していることがスポーツ紙で紹介されていた。なんのために? おのれの新記録のために!
 戦いというモノは滅私奉公でなければならない。自分の都合は二のつぎ、三のつぎ。わたしが監督なら1日の対巨人戦、金本から殴られようとファンになんと罵られようと、左腕がまったく使えなく凡退する金本に早い回から代打を送っていただろう。戦争とはそういうものではないだろうか?
 8月1日の阪神―巨人戦が終わって確信したことはことしの阪神優勝のメは120パーセントなくなったということ。悔しい!
 蛇足だが映画の話をする。若い人はご存じないだろうが、『長距離ランナーの孤独』というイギリス映画の名作がある。原作はアラン・シリトー、監督がエイズかなにかで死んだトニー・リチャードソン。高校三年生の時、左足を骨折して3ヶ月入院した。松葉杖をついて病院を抜け出してわたしはこの映画を見に行った。少年院にいれられている主人公が少年院対抗の長距離走レースで1番になる。憎い少年院の院長が見ているゴール寸前に、この主人公はわざとテープのまえで立ち止まってしまった。「院長め! ざまを見ろ」とでも言いたげな主人公の表情が忘れられない。あの俳優はたしか、トム・コートネィという俳優ではなかったか。
[PR]
by hiroto_yokoyama | 2004-08-03 15:30 | 独言

阪神・井川はもったいない

 阪神・中日戦をいまテレビで観戦している。5回おもて井川が打たれた。このあいだから気になっていたのは、あのサングラス。井川は色盲なのだろうか?
 わたしは映画の監督。野球の監督と同じ監督ということで通じるモノがあると思う。去年は星野監督、ことしは岡田監督。わたしが阪神の監督だったら、井川にサングラスなどかけさせない。マウンドで、殴るわけにはいかないから、試合の始まるまえ井川がマウンドに上がる直前につかまえてベンチでボコボコにしてやる。前星野監督は、彼のサングラスについて、どうお感じになっているだろう。
 皆さん、星野監督に聞いてみたいと思いませんか?
 もう1つ、アリアス選手。バッターボックスに立ったとき、つばを吐きすぎる。見ていて汚い。わたしはホメロスの『オデュッセイア』を映画にしたいのだが、主演のオデュッセウスのイメージはジョージ・アリアスだ。アリアスはギリシャ系なのかな? ちょっと教養がなさすぎるよ。
 黒いほおひげを見て、そんなことがアタマをかすめる。
 きょう阪神はついに6連敗するのだろうか、井川はサングラスをはずして6回のマウンドに立っている。阪神ファンの方、どなたか実名でコメントいただけませんでしょうか。あ、井川がまた打たれた!
 監督は選手を甘やかしすぎてはいけないと思います。おい! 岡田、ペコちゃんよ! ベンチで目をパチパチばかりさせていないで長嶋監督のようにヤカンでも蹴飛ばしてみんかい。
[PR]
by hiroto_yokoyama | 2004-07-29 19:53 | 独言

虚脱感におそわれた

 『お友達になりたい』の公開を7月17日にはじめたばかりなのに思わぬ虚脱感におそわれている。
 きのう(7月21日)藤川美和が大手家電メーカーの元同僚というか上司の男性から貰ったメールに
「作品の意図は自分はよく理解できない気がするが、藤川さんの裸はとても綺麗でした」とあったらしい。この報告を受けて、虚脱感から脱出できそうだ。
 ふりかえれば『お友達になりたい』に丸3年を費やした。今回のシナリオを始めたのが3年前。知り合いのプロデューサーから城戸賞受賞作におもしろいシナリオがあると聞いたのはたしか1994年のことだった。そこから数えるともう10年がたつ。
 劇場公開したら、虚脱感がおそうのは当たり前かも知れない。
 出身地の飯塚市で開業医をやっている友人のこの映画についての感想も、上の藤川の元上司の言葉と重なっている。つまり『お友達になりたい』の世間の評価はくだったのでぼくは次なる企画へ邁進できる、という気がしている。
 ブログに書くことも、いっぱい出てくるのでまずは安心。
[PR]
by hiroto_yokoyama | 2004-07-22 06:57 | 独言