カテゴリ:ブログ( 775 )

石原、橋下両氏に期待する

大賛成! 石原、橋下両氏に期待します。お二方には他の政治屋と違って実行力がある。あとの奴らはみんなうどん屋の釜だ。ゆー(湯)ばっかり。石原氏は「最後のご奉公」と言っている。石原総理を待望します。YOMIURI ONLINE(読売新聞)橋下氏「石原総理見たい…その下で僕が暴れる」
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by hiroto_yokoyama | 2012-11-20 13:31 | ブログ

再開する

1年以上のご無沙汰。もう閉鎖されていると思ったがまだあった。とてもありがたし嬉しく思う。ブログを始めた頃までさかのぼって書き直したりしながら次回作へ向かって徐々にテンションをあげて行くつもりです。おヒマな方はお付き合いください。
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by hiroto_yokoyama | 2012-11-19 11:08 | ブログ

暗殺、是か非か(でもやっぱり非)

 きょうの国会中継(「参議院予算委員会集中審議」)で菅の無様な答弁を見ていると来島恒喜(1860年1月31日(安政6年12月30日)― 1889年(明治22年)10月18日)のことが頭を去来して困った。彼はご存じのように(知らない人は検索してみてください)大隈重信(当時は外相)の条約改正案に反対し大隈の乗った馬車に爆弾を投げつけた人。その場で頸動脈を切って自死したと教わった。
 Wikipediaには「日本の右翼活動家。筑前共愛公衆会、玄洋社の社員」とあるがコトバンクでは「頭山満らの玄洋社社員となり、のち中江兆民の仏学塾にはいる」となっている。わたしは玄洋社が右翼団体でないのと同じように来島恒喜を右翼とは呼べないと考えている。
 なぜ来島恒喜のことが頭に浮かんだかと言うと菅の往生際の悪さに殺意を覚えたからだ。大隈重信は爆弾で片足(右か左か知らないが)を失った。しかもその上に条約改正は遂にならなかった。つまり来島は条約改悪にストップをかけたのだ。いま菅を殺せば民主党の誰かが菅に代わるだろう。復旧のスピードも少しは速まるだろう。しかし…やっぱり人を殺めるのは恐い。恐怖が先にたつ。
 社会党の浅沼稲次郞が山口二矢に殺されたのは、わたしが12才のとき1960年だった。眼鏡がずり落ち両手で防ごうとしている浅沼に向って山口が短刀を腰だめにしている写真は確かピュリッツアー賞を貰ったはずだ。わたしはその事件の夜は眠られなかった。「暗殺」という言葉が胸に焼き付いて離れない。もし人をひとり殺して世の中が変わるなら、それもまたあるのか(男子の仕事と呼べるのか? )。だが時代は浅沼の死によって変わることはなかった。
 しかし変わる変わらないはやってみないと分からない。実行できない言い訳でそんなこと(暗殺)しても仕方ないというのは卑怯者の理屈でしかないのではないか。
 原発事故の起きた福島出身の若い女性ときょうツイッターで知り合った。彼女の家族がどうなさっているかわたしは知らない。10万人を超える人たちが丸3ヶ月もの長きに渡って困窮している。政治はなにも出来ないのか? しかし政治をあてにするしかない。
 国会は何をやっているのかと憤っている被災地の方々の声をテレビで聞くにつけ菅をやればスピードが増す(のは間違いないだろう)なら…。でもやっぱりそう考えるのはいけないことなのだと自分に言い聞かせて、せめてブログで愚痴ってみる次第なのです。
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by hiroto_yokoyama | 2011-06-03 21:28 | ブログ

丸山健二氏のフォロワーになった

 きのう(5月31日付け)の朝日新聞夕刊で丸山健二氏がツイッターを始められたことを知った。氏は『夏の流れ』で1966年に芥川賞を受賞なさった。わたしは高校を出て医学部浪人1年目。たしか文藝春秋で拝読。暗い気持ちのなかに光明が差す思いがした。このままではいけないと思いながらもダラダラと浪人を続けやっと1970年の秋に映画監督になろうと意を決して上京した。その日は11月25日。奇しくも三島由紀夫の自決の日であった。あれから40年。丸山氏のツイートを拝読しながらまた一筋の光をわたしはみている。
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by hiroto_yokoyama | 2011-06-01 10:58 | ブログ

ビンラディンが死んだ

10年前の9月11日に米同時多発テロがおきた。このことはほとんどの人が知っている。その2日前9月9日にわたしと同学年の映画監督・相米慎二が亡くなったことを覚えている人はあまりいないだろう。
当時失意のどん底にいたわたしは夕刊を見ていた妻が「あ、相米監督が亡くなった」という声で新聞をとって見た。こちらが「死にたい」と思っていたのに日本でたったひとりしかいない同年の監督のあまりにも早すぎる死。わたしは死にたいなどと甘ったれた思いを抱いたことを恥じた。
あれから9年8ヶ月がたった。わたしはこの間1本の映画も撮ることができないできた。3月11日には東日本大震災という最大の国難が生起した。わたしは今後もいたずらに馬齢を重ねるのみなのか。たまたま生きているのならそろそろ新しい映画を撮ろうとしない訳にはいかないだろう。
ビンラディンの死を報じた新聞を前にそんなことを密かに考えた。
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by hiroto_yokoyama | 2011-05-03 08:55 | ブログ

ご無沙汰しています

ひさしぶりにブログを開いてみようとして驚いた。IDもパスワードも失念している。63才にしては老けるのが早いのかも知れない。で不精者のわたしとしましてはツイッターを細々と続けているのでブログの埋め合わせにtwilogというのを始めました。http://twilog.org/yokoyama_hiroto
お茶を濁そうというわけです。facebook や mixi などもやっております。気が多いというか昔からの浮気性は治りませんね。ただ自分でも不思議なのは雨月物語の黒髪の話などに妙に惹かれるところもあるのです。近々またブログに戻ってくることもありましょう。みなさん骨になっても待っていて下さいね。 
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by hiroto_yokoyama | 2011-04-27 09:44 | ブログ

日本書紀を読んだ

 読むと書いたがいつものように字面を追っただけ。それでも手にしないよりはまし。
 ツイッターのフォロワーの女性が弊ブログに目を通してくださるので短くても書き続けます。
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by hiroto_yokoyama | 2010-11-15 19:54 | ブログ

NHKアーカイブス『氷雨』(松本清張、西川清之共作)を見た

 7月23日だったと思う。暑い中を横浜・黄金町まで、あとでけったくそ悪い思いをさせられた女が撮ったビデオを見に行った。以来80日近い間があいたが、久しぶりに映像を見た。
 DVDのパッケージに[注]として興味深いことが記してある。まんま引用する。
このドラマは松本清張の短編小説「氷雨」(昭和33年)とは異なるオリジナル脚本との説もあります。脚本共作者・西川清之氏も既に他界しているため、現在では解明する術がありません。ご了承ください。
 たしかに同名の短編とは登場人物の名前くらいは同じ(未確認)かも知れないが内容はまったく異なる。前半は夫の西村晃が自殺するまで後半は淡島千景の未亡人が夫の復讐をとげるまで、という具合で面白い構成になっている。
 この作品は昭和34年(1959年)にNHKでオンエアされているようだが、丁寧に撮られているためもあって当時を知るものにはノスタルジーを感じさせる。清張ファンならずとも一見にあたいする。
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by hiroto_yokoyama | 2010-10-09 17:35 | ブログ

ブログどころではなかった

 家族と話し合って7月から浦和駅の近くに部屋を借りた。春先にうつ病の薬を減らした反動だろうか、夏は寝たきり老人のようだった。8月末妻の母が亡くなったりなどしてわたしの生活環境は激変した。
 きょうやっと本棚を運び込み死ぬまでに必ず読んでしまいたい本だけを置くというルールを作り、自伝、シナリオ、短編小説の執筆に明け暮れようと考えている。その合間にブログを書く。ついでに1度やめたツイッターも再開することにした。
 わたしの拙い文に今後もおつきあいいただければ幸甚です。
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by hiroto_yokoyama | 2010-09-21 20:56 | ブログ

田宮虎彦『寛永主従記』を読んだ

 作者・田宮虎彦の名前は『絵本』『足摺岬』などで知っていた。知っているだけで作品を読んだことはなかった。この『寛永主従記』を図書館から借りたときから読み惜しみをしながら読み進めた。興味深くて急いで読み終わるのがもったいない気がしたのだ。
 巻末の萩原得司氏の「解題」からいくつか引用させていただく。まず評言。
 河上徹太郎氏の「玄人の純真さ」、三島由紀夫氏の「小説家としての持ち前を持って居ながら詩人の心を持っている人」、滝井孝作氏の「これらの歴史小説には性根のある人物が出てくるので私は好きです」、大岡昇平氏は「歴史文学論」で、状況設定・人物心理の「造型に殆ど完全に成功している」と述べ、城山三郎氏は「人生に真正面から取組もうとする誠実さを押し貫いた末に、広々とした歴史の世界の中に、その鮮かな花を咲かせた」と森鷗外氏以来の硬質の歴史小説のよみがえりを見ている。
 田宮虎彦自身の言葉2つを引用。
 歴史小説を書くものは、歴史の中の人物が行為したところとしてかならず封建思想、封建制度、封建道徳と対決せねばならぬ。それを作品の世界でどのように解決するかが、作品を決定する重大な要素になることも、もちろん、いうまでもない。しかも、作家が生きている現実をふんまえて、それがなされねばならぬのである。
 もうひとつ。
 私は、人間の幸福をまもりぬきたいと思ふ。すべての人間の幸福をである。限られたごく少数の人の幸福のために、多数の人々の幸福をうばはうとする人があつたら私は、自分の幸福を賭してもたゝかひたいと思ふ。
 今の政治屋どもの多くについて言っているようにわたしには聞こえて仕方がない。
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by hiroto_yokoyama | 2010-07-07 08:45 | ブログ