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樋口可南子主演『卍』を見てくださったみなさんへ

 おととしリリースされたDVDがおかげさまでけっこう売れているようです。ビデオは何万本も売れたそうです。
 そこでみなさんにご提案いたします。『卍』を見て面白いとお感じになった方々と来年イベントをして変則的ながら「オフ会」が開けないだろうかということです。お集まりいただく人数によっては出演した樋口可南子、原田芳雄、高瀬春菜の3人の俳優のみなさんにもご出席いただけるかも知れません。(会場費とギャラの問題)
 『卍』のDVDは東映の関係者のことばでは「へたなハリウッド映画よりこちらの方が稼ぐ」のだそうです。このブログを読む人で『卍』をご覧になっておもしろがっていただいた方がいらっしゃればわたしあてに直接メールをいただけないでしょうか。お集まりいただく方が最少でも10名になりしだい、わたしはその方々とイベント会場で直接お目にかかってお話しがしたいと思っているのです。来年2月にDVDが発売(予定)になる『純』、『曖・昧・Me』についても同様の呼びかけをおこないたいと考えています。
 よろしくご検討のほどを!
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by hiroto_yokoyama | 2004-09-28 21:17 | ブログ

わたしのきょうの楽しみ

 いつも道具立てから入る悪い癖がある。高齢者の在宅歯科医療のバイトのときは上は会社の制服があるがズボンは自前と言われた。チノパンツを2本買おうか1つにしようか迷ったが、「来なくていい」と言われたときのことを考えてベージュのだけを購入したのは正解だった。
 わたしはきょう長靴を買おうと思う。さくばん3日間お世話になったタクシーを洗車して膝から下がずぶ濡れになった。乗るたびにこれではかなわない。何としても長靴がいる。あすも乗車する日、きょうじゅうに長靴を買おう。
 少し風邪気味だがプールにも行く。
 『信長公記』は読み残しが三分の一ある。あんちょこがわりに現代語訳(古川太古訳)『信長公記』(新人物往来社)・下を図書館から借りている。その期限は日曜日だった。延長して借りる。前回は窓口で「期日までに返却してください」と言われた。きょうもごめん、ごめんを何度言ってでもまだ読み終わっていないのだから頑張って手続をしないとならない。
 『小平次伝説(仮題)』のシナリオのために刑事に取材がしたい。飛び込みで警察に行ってもたぶん取り合って貰えない。いまわたしには地元警察へコネがない。わたしか長男かどちらがやったか分からない駐車違反がこじれて検事を怒鳴りつけもみ消したタイヤとアスファルトにチョークで線を引くやり方の非を認めさせるやり方をとったことが悔やまれる。あのときの検事と仲良くしておきさえすれば刑事のひとりやふたりはすぐに紹介してもらえたのに。
 馬鹿にされるかも知れないが警察の広報に正面からぶつかるしかないのだろうか。きょうはこんなことをああでもないこうでもないとあれこれ思い悩みながら体を動かそう。
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by hiroto_yokoyama | 2004-09-28 09:38 | ブログ

タクシー運転手と映画監督の共通点

 わたしが自らに課した3日間(タクシー運転手が勤まるかどうか)を終えたいま、誰かのように「自分をほめてやりたい」などとは思わない。うけとる相手によってはもっとキザにとられるかもしれないが、わたしは生きていく希望を持った(持つことができた)。
 タクシー運転手の使命はお客の望む場所に彼女あるいは彼を安全かつ迅速にお連れすること。映画監督は観客が希望するかどうかはべつにして、イメージでどこかまで(映画の終わりまで)引っ張っていくのが仕事。ともに客の手もとに物は残りはしない。充足が残れば誰も文句は言わない。わたしは両方とも自分の性分に合っていると確信できた。ともかく楽しいのです。
 あす(きょう28日)は来年リリースされる『純』と『曖・昧・Me』のDVDの件で忙しく動かないとならないのでもう寝ます。
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by hiroto_yokoyama | 2004-09-28 00:35 | ブログ

カントどころかスポーツ紙もとうぶん読めないだろう

 きょうはタクシードライバーの初日。「真善美を追求する」わたしとしては、まず生活を安定させる(本当はそんなことはどうでもいいのだがどうでもよくない。)目的でタクシー運転手を始めたものの、真の狙いは「人間観察」、読書、ロケハンだったはずなのに、駅で客待ちのとき日本経済新聞を買った(ディリー・スポーツにしておけばよかった)にもかかわらず、ほとんど1行も読めなかった。 
 魚釣り(など小学生以来やったことがないくせに)のときにウキを気にするように改札を出てくる人が気になって気になって、客を乗せれば目的地が家の近所でもはじめて聞く地名のような気がしたりして、1日てんてこ舞い。お釈迦様の手のひらではないが200キロはじゅうぶんに走ったと思っていたがメーターを見るとたったの99キロ、がっかりした。これでは先が思いやられる。それでも楽しかった。
 東京新聞のきょうの夕刊2面の「太郎の国際通信」という記事に
「『ブログ? 居間からパジャマ姿で情報を発信している奴らの話なんて信用できるか! 』
 CBSの関係者は、他社のテレビ番組に出てこう言い放ったという。」
 とあるのが気になった。
 この記事を書いた木村太郎さんはたしかNHKの解説委員だった人ではないだろうか? もしそうなら海老澤会長によろしくお伝えください。間違っていたらごめんなさい。
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by hiroto_yokoyama | 2004-09-25 23:42 | ブログ

きょうだけの日記

○ 午前9時、車で妻をバイト先のブティックへ送る。
○ 午前9時50分。U内科クリニックに消化薬3週間分をもらいに行く。
○ 午前10時30分。プール。いつものように35分ほどクロールで泳ぐ。10日ぶりなので(いつもは週に2日)少しきつい。ツービートで泳ぎながら、つまらないことを思いつく。少子化の歯止めになりはしないだろうか? セックスは全身に力を入れないでゆっくりゆっくり要所要所(手で水をかいたりキックしたりするほんの瞬間)でほんの少し力を入れる泳ぎ方と同じではないか。水と一体になると言うか、水に溶け込んでしまうと言うか。女性も水と同じかも知れない。ただセックスの前に相手の女性が早口でしゃべり出したり、急き込んだり、焦ったりなどしているときは、さっさと一体にならずに降参すること。ガツガツしたり、頑張って「男らしい」ところを見せようなどとさもしい根性を持たないこと。ここが泳ぐこととセックスの共通点なのではないかとかってに独善的にうなずきながら(うなずくと鼻から水が入るが)1キロを何とか泳ぎ終わる。
○ 午後1時。タクシー運転手の研修10日目(最終日)。独立行政法人自動車事故対策機構という長い名前のところでグリーンナンバーを運転するうえでの適性診断を受ける。
 わたしは
 「気持ちのおおらかさ」(ふつう歳をとれば「おおらか」になるはずと言われた)
 「安全態度」(これも歳のとりがいがないらしい)
 「動作の正確さ」(これは歳だから仕方がないとのこと)
 の3点に注意しないとならないようだ。
○ 午後4時。タクシー会社のS社長に挨拶。
○ 午後5時。コンビニから月末の銀行引き落とし不足分を口座へ入金。先月高齢者の口の中を懐中電灯で照らすバイト(研修を受けただけで終わったが)を6日間やったがその賃金が振り込まれていた。
○ 午後6時。二男の運転で妻を迎えに行く。わたしひとり下車して駅前の一杯飲み屋でビールと日本酒を飲む。100円ショップでタクシー乗務の備品を5点ほどそろえる。バスで帰宅。
 1979年5月、カンヌ映画祭出席のための初めての外国旅行をする前の日。
 1990年6月、文化庁在外研修生としてニューヨークへ行く前の日。
そして
 2004年9月24日のきょう。天下分け目の戦いを迎えるような緊張を覚えている。こんなときは早く寝るに限る。どうせ夜中に何度か目が覚めるに違いないが。
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by hiroto_yokoyama | 2004-09-24 21:20 | ブログ

テレビ東京で『es』を見た

 9月17日にC.M.さんという方からメールをいただいた。
 9月1日にわたしがこのブログで書いた記事「ヒトラーの映画が出来たらしい」を読んでくださったようだ。ヒトラーの映画のタイトルは『Der Untergang』(「破滅」という意味か? 横山)、監督はOliver Hirschbiegel (オリバー・ヒルシュビーゲル)だと親切に教えてくださった。
 Oliver Hirschbiegelは2001年に『Das Experiment』で監督デビュー。日本では『es』というタイトルで公開されビデオ、DVDもすでに発売されているということ。そのうちDVDを借りて見るつもりだったが、たまたまきょうテレビでオンエアされた。
 それにしてもテレビで映画を見るのは何年ぶりのことか。『es』は面白かった。『マラー/サド』(本当はものすごく長いタイトル。監督はピーター・ブルックだっただろうか? )を思い出しながら見た。C.M.さんのメールに『Der Untergang』(『es』ではない)は「人間の恐ろしさの表面をひっかいただけ」という批評が「ドイチェ・ヴェレ」というウェブサイトにあったらしいが、デビュー作の『es』も頭でっかちというか底が浅いという感想をわたしは持った。底が浅かろうが観念的であろうがわたしはこの手の映画が大好きだ。
 『Der Untergang』の日本での公開がとても楽しみ。
 C.M.さんいろいろ教えてくださってありがとう。この記事を読んでくださる方も是非『es』を見てみてください。
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by hiroto_yokoyama | 2004-09-23 23:41 | ブログ

プロの道具

 バスに乗るとわたしは運転手さんの真後ろにすわる。運転席のまわりに運転手さんの私物が置いてある。どんなものを持っているのかをそれとなく観察する。それと計器類の近くに必ずと言っていいほど運転手さんは自分の時計をおいている。針ではなく数字が出る量販店などで売っているデジタル・ウオッチが多いようだがいわゆる「鉄道時計」と言われる定番の時計もたまに見る。雑誌で見て知ったので10年前にすぐ買った。いまでも大事に使っている。
 大工さんのカンナとかのこぎり、カナヅチなども見るのが好きだった。大工さんにことわってよく触らせてもらったことを覚えている。
 お巡りさんの警棒と拳銃。あれもプロっぽい。さすがに触らせてくれと頼んだことはないが、本気で交番から盗み出したくなって夜中にまわりをうろついたことがあった。わたしはモノマニアックなのだ。
 衣料量販店できのうトートバックを買った。タクシーに乗るときに必要なもの、例えば地図、磁石、双眼鏡(もしくは単眼鏡)、計算器などを入れるためだ。それにしてもプロの道具というものがなかなか見えにくい時代になっている。大工さんの手入れのいきとどいた道具などいまでは滅多にお目にかからない。コンビニやスーパーの店員が持っている大型のカッターなどもプロの道具と言えばそうなのだが、大工さんのノミの刃の光にくらべると薄っぺらい。
 映画監督の道具といえば小津安二郎監督が監督協会でまとめて発注して作らせたストップウォッチを鎌倉文学館かどこかで見たことがある。そのストップウォッチには35㎜フイルムのコマ数が秒数の刻みの横についていた。わたしはいまでもあのフィルムのコマ数が見られるストップウォッチがほしくてならない。しかしいまやビデオで映画を撮る時代。あの小津さんのストップウォッチはプロの道具ではなくなった。
 わたしはタクシーの運転手をしながら新しいプロの道具をひそかに自分で作りあげようと企んでいる。さしずめきょうはGPSとカメラのついた携帯電話が1円で加入できるなら新しい携帯を調達するつもり。その前に道を覚えないとならないが。
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by hiroto_yokoyama | 2004-09-23 09:29 | ブログ

イッたふりする女、それに騙される男

 わたしはよほど間の抜けた、人のいい顔をしているのか街を歩いていてよく見知らぬ人から道を尋ねられる。若いときはなんだか馬鹿にされたようで反発心から意地悪な応対をしてみたりした。ある日などデパートのエスカレーターに乗り込んできた赤ん坊と目が合った。その子がいきなり「パパ! 」とわたしに腕を伸ばしてきた。「何を言うの! 」と若い母親は男の子がわたしに行かないように抱きすくめた。その女性の狼狽ぶりは、ちょっと気の毒なくらいだった。
 人間ばかりではなく、犬や猫からもわたしはあまり警戒されない。わが家で飼っているヒデユキという猫は駅前でわたしについてきてそのまま居着いた。
 前置きが長くなったが、わたしはたいへん早熟だったので10代のころから同級生や先輩の女性からよく相談された。わたしは相手に警戒心を抱かせないといえば聞こえはいいが、他人の秘密を聞き出すのがうまいのかも知れない。
 25歳で東映の助監督になってからは露骨な質問が多くなった。女性に接する機会が増えたからだろう。タイトルに書いたようなことをずいぶん聞かされた。この間、眠れないままに指折り数えたら数十名に及んだ。最初は「ほんとかな? 」と眉に唾をしていたのだが、話す女性の顔を見ているとまんざら嘘を言っているとも思えない。
 近松門左衛門を読み始めたころから、「あ、この問題は江戸時代にはぜったいに存在しなかった。むかしはイッたふりなどする必要はなかったに違いない」と思え始めた。ではいったいいつごろから演技する女や、まんまと騙される男が現れたのだろうか? なんの根拠もないわたしの憶測を言えば、日本の近代化の過程で妙な男女が増えてきたのではないだろうか。あてずっぽうだが富国強兵、脱亞入欧など教科書でならったあの頃からではないだろうか。データがあるわけではない。わたしはよきポルノ小説の読者ではないし、研究家でもないがクラフト・エビング(ドイツの変態性欲の研究家といわれた人のようだ)の翻訳本などにヒントになることが書いてはしないかと探すのだが、まだ見つけていない。
 わたしの結論。男女に限らず現代人は心を通わせることがなぜこんなに下手になったのだろうか。相手に対して猜疑心の固まりをもったまま、うわべだけの会話を延々とくりかえしても時間の無駄。疲れるだけ。何かあればすぐ人のせいにする。これでは気持ちが通い合うなどと言うことは永遠にない。まず裸の自分を見せること。逆に人間がどんどん小さくなってそうすることがますます恐くなる。それが今という時代。なぜこんなことになってしまったのか?
 『小平次伝説(仮題)』のテーマはこれかな? と考えている。
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by hiroto_yokoyama | 2004-09-22 22:38 | ブログ

番外・人気blogランキング/blog Rankingの不思議

 「人気blogランキング/blog Ranking」の(ジャンル別ランキング→インターネット・コンピュータ→ウエブログの)ウェブログランキングでわたしのこのブログは3日前から
「映画監督 横山博人ブログ
最新記事:2004/09/19 07:59 [わたしはなぜ生きているの…] [これでゆっくり読書ができ…]」
 と出ている。いくら更新してping(いまだにわたしは何のことかまったく理解していないのだが)をしつこく送っても例のあのupのチカチカが出ないのだ。その一方60位台から50位台、さっき見るとランキングは30位台に突入しているのでどういうことなのかと驚いている。upのチカチカを見たくてブログを更新していると言っていいほどわたしはものごとを逆立ちさせてしまう幼児性をもっている。だから気になって仕方がない。
 さきほど「人気blogランキング」のご担当あてにメールで問い合わせたのだが、果たして担当者の方はわたしのようなブログ初心者にご親切に教えて下さるのだろうか?
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by hiroto_yokoyama | 2004-09-22 16:39 | ブログ

『五辨の椿』と『エレクトラ』

 この2作に共通しているのは、娘が母親を殺すお話し。
 わたしはこの2本の映画が好きだ。高校生のとき福岡市内の映画館で封切りで見た。
『エレクトラ』(ギリシャ悲劇、監督:マイケル・カコヤニス、1961年ギリシャ)は中州の宝塚会館にあったA.T.G.の劇場。『五辨の椿』(原作:山本周五郎、監督:野村芳太郎、1964年松竹)は福岡松竹(とっくに閉館)。
 気になって仕方がないので10年ほど前に原作も読んでみた。どうしてこんなにこだわるのか?
 街でよく娘と母親が買い物をするのを見る。わたしの妻も母親と仲がいい。たぶん嫉妬心からなのだろうが、ふとしたときに違和感を覚える。気持ちが悪いとさえ感じるときがある。これはいったい何なのだろう?
 川端康成の『千羽鶴』は娘が母親の死後その愛人と交流をもつ話だし、たしか立原正秋にも同じモチーフの小説があった。
 エレクトラ・コンプレックスは結局は娘が母親と男を奪い合うということなのだろうがエディプス・コンプレックスと何がどう関係するのか、しないのか? 父と息子、母と娘、娘と父親、息子と母親そして男と女は人類の永遠のテーマ。(古今東西、文学の80パーセントが男女の話だと何かの本で読んだことがある)こんなことを考えているとまた今晩も眠れなくなりそうだ。サド、マゾまで頭に思い浮かんできたから今晩は徹夜だ。
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by hiroto_yokoyama | 2004-09-21 21:43 | ブログ