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司馬遼太郎『国盗り物語』をようやく読了

 やすみの2日目。古本屋で新田次郎『武田信玄』(文春文庫、全4冊)と森村誠一『異型(いけい)の白昼』(サンケイ)を買う。後者は文庫が九州の実家にもある。これで同書の古書を購入するのはたしか3度目。
 『国盗り物語』の4巻目は2月2日に新刊でもとめた。まだ読み終わっていないのに『武田信玄』を購入したやましさから夕方読み終えた。1冊の文庫を読むのに40日というのは時間のかけすぎ。読後感はそのつもりもはじめっからないが司馬遼太郎原作での映画化は無理だということ。金が集められないからではない。『トロイ』よりずっとつまらないものになるだろう。
 『卍』を撮ったとき脚本家の馬場当(あたる)氏が「原作で面白いところは全部すてないとつまらない映画になってしまうんだよ」とわたしに教えて下さった。氏の言葉が思い出される。小説『国盗り物語』はおもしろすぎる。まだ読んでいない方は是非お目通し下さい。
 信長を映画にするなら彼を主人公にしてはならない。光秀から描くというのもない。暗い映画になる。『信長公記』を原作にするのはもっとダメ。やはり島津義弘から信長を見るのがいいのか。秋山駿氏の『信長』をいっそのことベースに戦闘シーンのないスペクタクル映画を自分の小遣い銭でひとりで映像化するというのもあるのか。次回作のことをいろいろと考えるのがいちばん楽しい。
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by hiroto_yokoyama | 2005-03-27 22:25 | ブログ

孫、三木谷、堀江のランク付け

 ひさしぶりにテレビでソフトバンクの孫社長を見た。もちろんわたしは孫氏と面識などない。ただ「ふくおか映画塾」のたった一人の生き残り門下生(33歳。女性)が映像制作の仕事をソフトバンクから貰ってきのうプロ野球ソフトバンク対日本ハムの舞台裏の取材に行った、と聞いている。
 だから言うわけではないが、かねがねわたしは孫、三木谷、堀江の人間性についてランク付けをしていた。この3人の人間としての質は見出しの順番通りではないかとわたしは推察している。会ったこともない方々だがわたしの見方がはずれていないことはライブドアV.S.フジテレビの泥仕合がこんご収まるにつれ証明されるに違いない。
 わたしが言いたいのは人間性についてばかりではない。いまはまだ玉石混淆の情報がたれながされっぱなしのインターネットだがそのネットでちゃんとしたコンテンツを提供しそれをビジネスにしようともしかりにこのお三方が本気で考えているなら、3氏のなかでは孫氏がずば抜けていると思う。わたしはここ10年間映画をネットで配信したいと動いてきたがふくおか映画塾の運営に失敗しインフラ整備はわたしの仕事ではないとようやく悟った。
 孫氏はもしかしたらネット事業で大事なことはすぐれたコンテンツ、そして最も必要なことは良質のコンテンツを作る人間を育てることであるという認識をもちはじめているのかもしれない。氏のさらに薄くなった頭部をテレビ画面で見ながらそんな感想を持った。わたしの氏への評価が買いかぶりでないことをひたすらに祈るばかりである。
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by hiroto_yokoyama | 2005-03-27 10:55 | ブログ

「女は三界に家無し」

 きょうの大岡信『折々のうた』(朝日新聞1面)を興味深く読んだ。岩手康子さんという人の歌「三界(さんがい)に家なしと言いしは過去のこと女一人が優雅に暮らす」に女性なら誰でも目がいくはず。大岡氏は「三界」を「仏教用語で、衆生が活動する全世界」と説明なさったあと、「これに並ぶ歌」と末尾にもうひとつ岩手さんの歌を紹介なさっている。これがいい。
 「わが鬱を映したくなし三面鏡小さく開き化粧をおとす
 わたしは57歳。男を卒業したと自分では思っていても世間はそうは見ない。「女性の自立を助けたい」などと口先では言うが下心というか実はハラのなかはいやしい野心に満ちていると猜疑のまなざしで見られることが多かった。これからもきっとそうだろう。問題は時間。「優雅に暮ら」しながらも「鬱を映したくな」い女性たちとおもて(ネット外で顔をつき合わせて)で知り合いネット上で仕事が出来そうなところにいまはいる。
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by hiroto_yokoyama | 2005-03-27 09:56 | ブログ

『純』と『曖・昧・Me』のDVDリリース前の最終打ち合わせをした

 数ヶ月前にDVDの女性ディレクターのことを書いたが、その彼女とジャケットなどパッケージについての詰めをさきほどやった。わたしから特別におねがいしたのは解説にこのブログのURLを入れていただくこと。
 2つのDVDのどちらかを買った人がこのブログの存在を知りアクセスして下さるかもしれない。するとどうなるか? どうもならないだろうがこの拙いブログを読んでくださる人がさらに微増する可能性はある。
 このブログを読んでわたしにメールをくださる人がたまにいる。その方々と接触して感じることはほかの読者のほとんどが外野席から眺めている分にはいいが、こいつに関わると事件(とまで云わないでも面倒)に巻き込まれるのではないかと懸念するか、自分のやりたいことを実現させたいがこいつとつきあうと遠回りさせられるかつぶされるのが心配になる人がほとんどのようなのだ。このブログは敷居が高い(ワザとそうやっているのだが)。矛盾するがわたしは敬遠されて少しさびしい。
 きのう(3月23日)の朝日新聞の広告で知ったのだが「Newsweek」3月30日号の『ブログの破壊力』いう記事が読んでみたい。(近所の本屋でこの雑誌を扱っていないので買えなかった)「ニュースの裏を暴くゲリラ報道を武器に、アメリカや韓国では今や名門メディアを脅かす存在に。ネットジャーナリズムの台頭でメディアはどう変わるのか」
 わたしは「メディアはどう変わるのか」などと客観的に考えない。ブログの出現はだいそれていようと「思いあがるな! 」と言われようと「メディアをどう変えるか」「どう変えたいか」を試行錯誤できるところへわれわれを運んでくれたと評価するし期待もしている。仮名や匿名のあってもなくてもどうでもいい湯気のようなブログは淘汰され実名で中身のあるブログをはじめる人が今後ますます激増するだろう。
 わたしはわたしの作った映画がDVDになることを利用して激動するいまの時代にあった映画作りをブログを使ってみなさんと模索したいのです。
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by hiroto_yokoyama | 2005-03-24 22:04 | ブログ

追突事故を起こしてしまった

 おととい(3月22日)わたしはタクシー運転手としてやってはいけない最低なことをしてしまった。客を乗せて(実車中)交差点のなかでどうしていいか分からず停まった(道路交通法では交差点の中で意味なく停まってはいけないのです)下手くそなドライバーの運転している商用車のうしろ左側(バンパー)にタクシーの右側のかど(方向指示器)をぶつけてしまった。
 タクシー会社の担当部長が現場にきて処理をしてくれた。社内の事故報告書までわたしにかわって書いていただいた。警察へいき調書をとられ破損させたタクシーを社内の修理工場から引き取ってもらうまでに要した時間は3時間ちょっと。
 処理が済んで迷惑をかけた部長に挨拶したら「どうだ。きょうはこれからべつの車に乗るか? ほかの車、手配してもいいぞ」と尋ねられた。「そうですね。こんなときほかの人はみなさんどうしますか? 」と聞くと「ショックをうけたあとだからあがる奴の方が多い」との答え。「じゃ、わたしもきょうはこのまま帰らせていただきます」とことわってタクシー会社をあとにした。
 わたしは心の平衡をとらないとならない。帰り道行きつけの書店に駆け込んだ。デヴィッド・O・セルズニック制作『キングコング』(1933年、アメリカ)のDVDを500円で買う。山川出版社の新しくなった歴史散歩シリーズ11『埼玉県の歴史散歩』も購入。
 家に帰ってすぐに発泡酒500ミリ・リットルをのみ『キングコング』を見た。と言うよりわたしは映画に逃げ込んだ。1933年は日本の年号で昭和8年。太平洋戦争前だ。この映画はアメリカでは無論、日本でも大ヒットしたらしいが見ていないならやむをえないが観客は国力の差に圧倒されなかったのだろうか。こんな凄い映画を作る国とよくもまあ戦争を始める気になったものだ。(えらい軍人たちは誰一人見ていなかったのだろうな)
 わたしがもしこの映画を故郷の映画館で見ていたなら「映画監督になろう」などと大それた夢をもつことはなかったかも知れない。おとなしく家業を継いで医者になっていたに違いない。
 双葉十三郎氏は何とおっしゃているだろうか。
 「コングはこわいだけでなく愛敬もあるので、エンパイア・ステート・ビルの頂上から墜落する光景では哀れをさそった」(『外国映画ぼくの500本』84ページ)
 この映画を見た若い人はほとんどいないだろう。是非500円だして買ってご覧になることをお薦めする。
 わたしはこの映画を見て事故を起こしてしまったショックから脱出できた。ハンドルを握るのが恐かったが運転席に坐るといつものように落ち着けた。2日つづけて事故ったら死ぬしかないと思いつつきのうは運転した。疲労はこれまでの倍。きょうはとてもプールで泳げる状態ではない。
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by hiroto_yokoyama | 2005-03-24 11:08 | ブログ

最近めっきり刺激的なポルノ小説がなくなったと思いませんか

 きのうフジテレビ「報道2001」に野田聖子代議士が出演していた。わたしはくいいるようにテレビを見た。テーマは「少子化」。見ていて寂しくなった。悲しくなった。野田女史が可哀相になった。
 番組を見た方は多いだろう。女性の方々はどのようにご覧になったのだろうか? エッチな気分になることは決して悪いことではない。やましいことではないのですぞ。イヤらしい気分でエッチをしないといい子は生めません。野田女史はご亭主の参議院議員と貧しいセックスをしているのではないだろうか。余計なお世話かも知れませんが、わたしは女史に同情しました。
 女性の「劣情」をそそるポルノ小説をわたしはいよいよ執筆しないといけない義務感というか使命感みたいなものを今日一日感じつづけましたがあすはタクシー乗務の日なので想を練るところまで行けません。あしからず。
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by hiroto_yokoyama | 2005-03-21 21:56 | ブログ

ジョン・フォード『駅馬車』とキャロル・リード『第三の男』を見た

 『第三の男』はきのう『駅馬車』は数日前に。後者は不覚にも発泡酒を飲んだためあの有名な駅馬車がアパッチに襲われるシークェンスのところは眠って見なかった。残念。
 双葉十三郎氏はこの2作品を絶讃しておられる。(『外国映画ぼくの500本』P.46に『駅馬車』が『第三の男』はP.159。双葉氏の採点は前者が90点。後者は85点。ちなみにこの本では100点満点はなく90点が最高点)
 映画少年だったわたしは2作品とも見ているのだが、はじめからありがたがって見たわりには当時なんの感慨もなかった。改めて見直して見ても、どこをどう叩いても「映画の教科書」を見ている域を出られない。
 『第三の男』は、あ、あの監督があの映画で真似した(影響を受けている、と言うべきか)なとかつまらないことを思い浮かべながら一応ちゃんと見た。アントン・カラスのチターの音色とモノクロームの映像はひと晩たっても頭に焼きついて離れない。アリダ・ヴァリがいいのは分かりきったこと。(わたしは『かくも長き不在』しか彼女の出演した映画は見ていない。双葉氏はこの映画の「ヴァリは『第三の男』をしのぐ好演」とおっしゃっている。同書P.65)
 アリダ・ヴァリはシモーヌ・シニョレやジャンヌ・モローとおなじように骨太でいかついがとても魅力的だ。若い女性は画一的な雑誌とかコマーシャルを見て真似たりするのはもうやめて彼女たちの映画を見てものごしや喋り方をとりいれるといいですよ。あ、また余計なことを言いました。
 『駅馬車』は途中で寝たものの双葉氏のおっしゃる「フォードは、…最もよく映画を知る人である」ことにわたしはただ黙ってひれ伏すばかりだ。ただひとつ生意気を言えばジョン・フォードはアップを撮るとき俳優にぜったいに芝居をさせていない、と思われそれがわたしには嬉しかった。ちがう言い方で簡単に言えば「なるべく無表情に。顔をごちゃごちゃとしかめたり動かしたりなどしない」と撮影現場で指示したくなる気分は正しいのだと確信した。石井輝男監督にも撮影現場でサード助監督だったわたしがワンシーンを撮らせてもらったとき「横ちゃん。それでいい。それがいいのだ」とお褒めいただいたことなど思い出した。
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by hiroto_yokoyama | 2005-03-21 10:52 | 映画

チョーセン、チョーセン、パカするな!

 見出しはわたしの育った筑豊地方のガキの戯れ歌。
「チョーセン(朝鮮)、チョーセン、パカ(馬鹿)するな。オナシ(同じ)冷や飯食ってヌククソ(暖かいウンコ)タレテ、トコ(どこが)違う」
 わたしが竹島問題を考えるについての原点は小学校のころのはなたれ同級生が在日朝鮮人、在日韓国人のこどもたちをからかって歌っていたこの歌である。わたしの曾祖父は高取家(秀吉が400年くらい前に朝鮮からつれてきた陶工の末裔)から横山家へ養子に来た。したがってわたしの体には朝鮮民族の血が何分の一か流れている。わたしはそのことをずっときょうまで誇りに思ってきた。
 竹島問題について日本は韓国に一歩も譲ってはならない。鳥取の県議会よ、あっぱれ! その祖父が入れ墨をいれていたらしい薩摩出身の小泉総理大臣頑張れ! 朝日に負けるな。韓流ブームの火付け役、日本の馬鹿女どもは北朝鮮に亡命して慰安婦になったらいい。そうすればわが日本はいさぎよく朝鮮の属国になられる。男性諸君! みんなでなリましょう、シモベに。
 もう一つわたしの好きな戯れ歌。
「あのネエ(姉)ちゃん、ウッチ(美し)いな。でもチンチンクーッサイナ(女にチンチンはない。あそこが臭いという意味か? )」
 これで朝鮮民族とわが大和民族のあいだの民族問題は帳消しに出来るのではないか。わだかまりが解消するかも知れない。中東問題が明るい方向に進展しそうないまわたしは少し過激なことを考えているのですが、皆さま方はいかがお感じになりますでしょうか?
 敵につくもよし、我につくもよし。こころして決めい! (東映映画『赤穂城断絶』の惹句)
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by hiroto_yokoyama | 2005-03-19 20:41 | ブログ

ある時は片目の運転手そしてまたある時は…

 見出しは東映映画・多羅尾伴内シリーズで片岡千恵蔵が言ったセリフです。年配の映画ファンなら覚えているかも知れない。しかしこのセリフが嘘だとは映画を見なくても分かる。片目では車は運転できない。
 タクシー運転手をアルバイトではじめて半年が経過した。タクシー運転手は趣味、本業は映画監督。このわたしがタクシードライバーをいま定義してみるなら「タクシー運転手は透明人間である」となる。
 そうわたしはついに透明人間になった。だれでも透明な存在にすこしは憧(あこが)れたことがあるのではないだろうか。その「透明人間」のわたしはこの半年間およそ3000人ほどの乗客を乗せてタクシーを走らせてきた。日々実感できたのは人間の器量についてだ。驚くのは老若を問わず男性客のほとんどが人間として小さい。わたしが感動するような男はほとんどひとりもいなかった。反面年配の女性はいい。すてきなおばあさんにたくさん出会えた。エピソードを披瀝したいところだがシナリオのいいネタなのでここでみなさんに紹介するわけにはいかない。同じ女性でも若い人はつまらないのが多かった。ここ最近、あ、この人はと思う若い女性客が目につき始めたのはわたしがこれから先もタクシー運転手を続けられる自信のようなものが出来かかってきたからに違いない。
 このブログは論文や評論などではないので「透明性」についてなにがどうと書く気はない。しかし透明人間の意味を感じとられる上質のアンテナの所有者なら気がむいたときにこのブログを覗いて下さるはずだ。訪問者の数が微増しながら安定してきたのが励みになっている。
 わたしごときが烏滸(おこ)がましいが人生についての姿勢や心がけについてのお説教をこのブログでやっていかないと器量の大きな人間はこの日本では絶滅するかも知れない。そんな危機感をわたしは持っているのです。
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by hiroto_yokoyama | 2005-03-19 07:07 | ブログ

沈丁花の匂い

 わたしはこの花が咲くころに生まれた。ものごころついたときからこの匂いを嗅ぐと「あ、またひとつ歳をとった。いい大人になりたい」とどこかで念じながら馬齢を重ねてきた。おととし胃ガンの手術をうけてからわたしはたぶん変わったのだろうか。3月に入ったら去年もことしも道を歩きながら沈丁花の匂いがただよい始めるのを待っている自分に気づいている。残り少ない人生一瞬一瞬を味わいつくすように過ごしたい。
 きのうかおとといの夜、タクシーの運転席のウィンドウから沈丁花の香りがかすかに漂い込んできた気がしたのだがまだしかと確認できていない。ことしは開花がいつもよりすこし遅いような気がする。
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by hiroto_yokoyama | 2005-03-18 11:48 | ブログ