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中国には人権などはない

 石原都知事が「中国はチベットで大虐殺をおこなってそれを世界に隠している」と何度もテレビで言っているのを聞いた。
 何年かまえ上海にいったときビルの建築ラッシュだった。わたしが驚いたのは高層ビルを建てるのに足場を竹で組んでいたこと。「あれじゃ地下足袋がすべって落ちたりしないのだろうか? 」日本に戻って大手ゼネコンの人に尋ねてみた(妻の叔父はその大手ゼネコンの副社長。これは自慢です)。ゼネコン社員こたえていわく。「そりゃ落ちますよ。ぼとぼと落ちていますよ。知っています? 落ちた人間はそのへんの犬や猫が車にひかれるとこの日本では保健所か警察か知らないがすぐ片づけてしまうように中国では人間も同じで掃いて捨てるのです。国が認めたこどもなら遺族に100万円。認めていない人間にはなにも支払われない。中国では子供は1人しか認められないでしょ。日本でいう戸籍のないのがうじゃうじゃいますよ。中国では足場は竹で組むのが人口調節のためにもいいのですよ」さすが纏足の国だとわたしは感心した。(山田詠美『蝶々の纏足』とは何の関係もありません)
 道を歩いたりチャンコロ、あ、違ったチャリンコをころがしたり電車の中などでケータイでメールやっているアホにも日本では人権が認められている。メシ食ったり糞垂れたりするのをむかしの日本人はあまり人前ではやらなかった。同じように化粧も女たちは隠れてやった。奥ゆかしかった。いまでは馬鹿女は公衆の面前で平気で手鏡をのぞいて無駄な抵抗をしている。
 わたしはなにが言いたいか。フジテレビ「報道2001」に出演しているキャスターの女が鼻の頭をテカらせ大口あいてなにかを食っている場面が番組がはじまる数分前に映し出されてわたしはあやうくひきつけをおこしそうになった。鼻だけじゃなく顔中が脂で光っていた。可哀相(ほんとうは露ほども思っていない)! あ、この女、男のアレをあんな風にしゃぶるのだろうな。気持ち悪い! ホリエモンのおかま掘りそこない事件がこんなことにまで波及してくるとは思いもよらなかった。
 小泉総理、衆議院を解散しなさい。石原都知事よ、長編小説を書くからなどと言うから揚げ足を取られる。体調が悪いから、週2、3日しか登庁できないと言えばよかったのに。わたしは都知事と総理大臣にシンパシーを持っています。人権派との水面下の戦いはまだまだ続くことでしょう。みなさん、しっかり目を開いてこれから日本はどうなるのか注目しましょうね。
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by hiroto_yokoyama | 2005-06-28 13:53 | ブログ

「この地球上で最後に滅びる社会主義国家・日本」

 見出しはけさのフジテレビ『報道2001』で元中曽根総理が2、3回言った言葉。なるほどと思った。わたしは滅びゆく日本国民に以下の言葉を贈りたい。
生きてる人間というものは(実は死んだ人間でも、だから、つまり)人間というものは、自分でも何をしでかすか分らない、自分とは何物だか、それもてんで知りやしない、人間はせつないものだ、しかし、ともかく生きようとする、何とか手探りででも何かましな物を探(さが)し縋(すが)りついて生きようという、せっぱつまれば全く何をやらかすか、自分ながらたよりない。疑(うたぐ)りもする、信じもする、信じようとし思いこもうとし、体当り、遁走(とんそう)、まったく悪戦苦闘である。こんなにして、なぜ生きるんだ。文学とか哲学とか宗教とか、もろもろの思想というものがそこから生まれて育ってきたのだ。それはすべて生きるためのものなのだ。生きることにはあらゆる矛盾があり、不可決、不可解、てんで先が知れないからの悪戦苦闘の武器だかオモチャだか、ともかくそこでフリ廻さずにいられなくなった棒キレみたいなものの一つが文学だ。」(坂口安吾『教祖の文学 ―小林秀雄論』
 「文学」を「映画」という文字にかえてもいい、とわたしは思う。
 坂口安吾は1955年(昭和三十年)2月17日、脳出血で死んだと年譜にある(中央公論社『日本の文学』63、543ページ)。してみると、もう著作権は切れている(死後50年が経過)。だから、なにをしてもいいとはわたしは思わない。民よ! 著作権というものについてもっとよく考えるといい。クレジット・カードの「情報漏れ」など屁みたいなものよ。お前がどこで生まれ、生年月日がいつで、どこに住み、年収がいくら、暗証番号、パスワードなどということは勘違いしてもらっちゃこまるが情報のうちにはいらない。目覚めよ、庶民! 最後に滅びる社会主義国家にならないために。
 あなたが錯覚しているあなた自身の「個人情報」は「国民総背番号制」を制定すればすべて国家の責任にできるのだから、早くほんものの社会主義国家を国民こぞって選択してみてはいかがでしょうか。
 それにしても手塚治虫の息子が監督した安吾原作の映画『白痴』はおもしろくなかったねぇ。CGを担当した某(なにがし)はあのあと過労が原因かどうか知らないがぽっくりと死んじまったらしい。わたしはその人の通夜にも葬式にも出ずに失礼したが。
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by hiroto_yokoyama | 2005-06-26 20:31 | ブログ

6月22日讀賣新聞『人生案内』の大森氏の回答を読んだ

「…この件は我が家ならどういう解決法が用意されるだろうかと考えました。入れ歯洗いを先にさせて、終わってから食器洗いをする、食器洗い場に入れ歯専用のおけを置くなど。ご参考までに。 」
 わたしの読後感。「なるほど流石(さすが)やのう。京都の何とかいう医学部を卒業して医者になった映画監督は医者になれずに映画監督になった俺のような者とはわけが違う」です。このブログを読んでいる方はわたしの「心療内科か精神科へ行け」というのと「おけを置く」というのとどちらがはぐらかしの答えかお分かりになるはずです。
 正解は「どちらもはぐらかしている」です。「風が吹けば桶屋が儲(もう)かる」という言葉があったようななかったようないつもそんな虚ろな気分のわたしですがわたしは同世代の男性にさっそく入れ歯洗い専用のおけを買いに走るようにこのブログをかりて提言いたします。
 さいごに第一生命かどこかの生命保険会社が川柳(「かわやなぎ」ではない「せんりゅう」と読む)コンクールをやっていて何年か前に電車の中吊りで見ておかしかったのがあります。
 「朝シャンをまねて中年ハゲすすむ」
 わたしは朝シャンなどやらないのに頭の前の方がとても薄くなりました。
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by hiroto_yokoyama | 2005-06-26 15:01 | ブログ

台所の流しで入れ歯洗う夫(讀賣新聞「人生案内」より)

 なん日か前の興味深い身の上相談。副題に「下には食器…嫌でたまらず愛も冷めた」とある。『もう頬杖はつかない』(原作:見延典子、監督:東陽一)という映画に同棲している男が女の歯ブラシを無造作につかって平気というシーンがあったような記憶がある。西村望の小説には食事のとき、ぺちゃぺちゃと咀嚼の音をたてる夫を殺す妻のはなしがあった。下品な夫は音をたてて食った方がうまいというか音をたてないと食べられないという信念があるかと言えば、そこは「育ち」、信念などあるわけはない。
 タクシー運転手(だけではないが)の中にはところかまわず痰を吐くアホがいる。世の中には生理的に受け入れがたい人間はいるものだ。むかしなら洋の東西を問わずその場で直ちにぶっ殺してもよかった。しかし法治国家ではそうはいかない。わたしは我慢するしかないとあきらめている。許しがたい奴がいても見ないように顔をそむけるばかりだ。
 わたしはこの身の上相談をしている大分・H子さんにまず「わかる、わかる」と言ってあげたい。さらに「嫌ならなぜ別れないのですか? 『別れたら生活ができなくなる』と思って我慢しているのだったらあなたはおかしい。心療内科か精神科にすぐ診てもらいに行くべきです」と教えたい。回答者の大森一樹はなんと答えているのかわたしはあえて読まないでいる。どうせ無難な差し障りのないことを言っているに違いない。原稿料貰って書くと手加減しないわけにはいかないのだ。なぜならH子も回答者もたぶん「わたしにも生活がある」とうそぶく人権派であることにかわりはない。こういうのを予定調和というのだろうか。
 わたしはアホどもに人権などあるわけがないと確信している。犬畜生に人権がありますか? 家畜やペットに人権がありますか? そのうちアホはサバやサンマにも人権を認めましょうと言いだすに違いない。「わたしにだって生きる権利がある」と生きとし生けるものすべてに人権を認めましょうなどと世界人権宣言に書いてあるのだろうか? わたしはちゃんと受験勉強はしていないし怠け者だし、へそ曲がりなので、世界人権宣言のなんたるかも分からずにこんなブログをやっているのですがこれはすべての人類への犯罪行為なのではないでしょうか、どうでしょう。親切な方がいらしたら2ちゃんねるの掲示板でけっこうですから愚かなわたしに教えていただけませんでしょうか。
 おひまな方は讀賣新聞『人生案内』へどうぞ。
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by hiroto_yokoyama | 2005-06-26 14:23 | ブログ

木田元『猿飛佐助からハイデガーへ』を読んで

 ぜひ読んでみたくなった本。メルロ・ポンティの本。カッシラー『シンボル形式の哲学』、アドルノ『否定弁証法』、C・E・マニー『小説と映画(アメリカ小説時代)』、フォークナー『アブサロム・アブサロム』、安部公房『榎本武揚』、『山田風太郎明治小説全集』1~7巻。
 木田元氏が信用できると思ったのは戦後、闇屋をやって生活をしたという点。同書に書かれた以外に氏はどんな悪いことをしたのだろうか。興味がある。あとの哲学研究者は世間を知らないであれこれ言っているだけ。所沢で塾の先生をしながらヘーゲルなどを訳している長谷川宏氏は木田氏のように世間を知っている研究者かも知れない。
 映画のタイトルで前回書き忘れたものがあった。それは『大隈重信の脚(あし)』という。大隈重信と言えば、誰でも知っている(向上心のないブロガーには知らない人は結構多いかも知れないが)ように早稲田大学の創設者、この大隈の脚を爆弾でぶっ飛ばした人がいる。玄洋社の来島恒喜だ。来島は虎ノ門の現場で自死したが被害者の大隈は来島の墓に花を供え遺族にも丁重な手紙を書いたりしたらしい。被害者と加害者(の遺族)に交流があったらしいことがわたしの念頭を去らない。どんな交流だったのだろう?
 飛ばされた大隈の脚は(脚だけ里帰りして)佐賀市の寺がいま預かっていると新聞で知っていつか見学に行きたいと思いながら果たせないでいる。見たからといって何がどうなるものでもないだろうがわたしとしては命がけでテロルに走った来島恒喜が羨ましくて仕方がないのだ。
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by hiroto_yokoyama | 2005-06-26 13:25 | ブログ

発泡酒より安い99円のアルコールの缶

 をたらふく(たった2本)飲んでいい気持。あることないこと書きたくなるがそこはじっと我慢です。記事を書くことは書いたのですが酔いが覚めて読み直さないと具合が悪いと思うのです。
 このブログはネットの掲示板でも日記でもありません。
 では、また次回。
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by hiroto_yokoyama | 2005-06-24 04:32 | ブログ

わたしは阪神・鳥谷を烏(カラス)谷にいつも間違う

 なぜか? 鳥谷の顔はなんだかカラス天狗に似ていませんか? どうでもいいけれどさっき鳥谷が対中日戦でサヨナラホームランを打ち「ヒーローインタビュー」にのぞむ彼を見てこの記事を書く気になった。
 ことしタイガースは60パーセントの確率で優勝するとわたしは思う。
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by hiroto_yokoyama | 2005-06-22 23:11 | ブログ

柏市十余二にタクシーの客を運んだ

 きのう(6月21日)の朝6時前に家を出、もどったのはけさ(22日)6時。25時間勤務。さきほど午前3時。浦和駅東口から乗った客は「かしわ」と言ったきり眠りそうな気配。「柏のどちらまで? 」と不安をかくしてたずねると「とよふた」という返事。わたしは柏市にこれまで1度も行ったことがない。「とよふた」などという地名は聞いたこともない。
 「とよふた」は「十余二」と書くことを教わりカーナビに行き先をセット。「近くなったら起こしますから」と乗客には寝てもらった。雨の中を外環、常磐道と走った。タクシー運転手をはじめて今回まで県外に出たこともなければ有料道路を走ったこともなかった。タクシー料金が1万円を超えたのもはじめて。初体験ばかりで疲れたが充実した1日だった。
 運転手をはじめたのは昨年9月25日。10ヶ月目にはいった。先日、タクシー会社の担当部長から「運転手がいたについてきたね」と言われたがなんとか勤まりそうな気になっている。
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by hiroto_yokoyama | 2005-06-22 11:46 | ブログ

「私たちは、日ごろひどく振幅のせまい感情生活を送っている」

 木田元『猿飛佐助からハイデガーへ』(岩波書店)から書き抜く。「…詩なんか読んで、いったいなにになるんだとおっしゃる方が多いと思う。たしかに、なんにもなりはしない。しかし、こういうことは言えるのではなかろうか。私たちは、日ごろひどく振幅のせまい感情生活を送っているものである。喜びであれ哀しみであれ、よくよく浅いところでしか感じていないのだ。ところが、われわれは詩歌を読み、味わい、感動することによって、喜びや悲しみをもっと深く感じることができるようになる。ものごとを深く感じるためには、それなりの訓練が必要なのである。小説を読むとか音楽を聴くとか、人それぞれにその訓練の仕方は違うであろうが、私にとっては詩歌を読むということが、そのための最良の訓練になったような気がする。若い人たちにも、好きな詩人歌人をさがして、その作品をそらんじるくらい読みこむことを薦めたい。」(同書、90ページ~91ページ)
 木田氏の「それなりの訓練が必要なのだ」という点にわたしは120パーセント賛同する。日々せっするタクシーの乗客やどうでもいいブログを書いている(人のことは言えないが)庶民のほとんどは訓練の必要性などカケラも感じたことがない人たちのようなのでもしかしたらそのせいでわたしはひどく疲れるのではないだろうか。
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by hiroto_yokoyama | 2005-06-20 09:51 | ブログ

『屠殺場の牝牛』、『信長のDNA』

 映画のタイトルを考えついた。小説では山田詠美さんの『蝶々の纏足』や『ひざまずいて足をお舐め』(字が違うかも知れない)が好きなタイトル(中身は別)だが、タイトルだけで見にいき内容も気にいった映画は『その男ゾルバ』。見ないまま気になっているのは『渚にて』(監督:スタンリー・クレイマー)。
 『屠殺場の牝牛』というタイトルの映画を作るならわたしはなにが言いたいのだろう? 『信長のDNA』は太田牛一『信長公記』に負うところが多いだろうが「牛一」の牛と「牝牛」の牛が蝶番(ちょうつがい)になっている。
 『プルターク英雄伝』を読みはじめたが今回は挫折しないで文庫12冊を読みおえそうな予感がしている。あのモンテーニュの愛読書だったらしいと知り受験勉強のつもりで堅苦しく取り組んでみよう。信長で言えば小林秀雄も正宗白鳥も信長ファンだったらしいですよ。
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by hiroto_yokoyama | 2005-06-19 20:51 | 映画