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ドストエフスキー『地下室の手記』(江川卓訳、新潮文庫)を半分読んだ

 同書5ページ。
「…ひろくわが社会の成立に影響した諸事情を考慮に入れるなら、この手記の作者のような人物がわが社会に存在することはひとつもふしぎでないし、むしろ当然なくらいである。私はつい最近の時代に特徴的であったタイプのひとつを、ふつうよりは判然とした形で、公衆の面前に引きだしてみたかった。…                 フョードル・ドストエフスキー
 『地下室の手記』を読んだひとがわたしのこの拙いブログをみたなら訳のわからなさにおいて共通するものを感じとっていただけるに違いない。岩波文庫で読もうとして途中で放り投げたが新潮文庫版の方が読みやすい。江川訳の方がなんだかわたしの波長にあうみたいです。食わず嫌いをすててみなさんもドストエフスキーに挑戦してみませんか。
 この文豪を土俵に多くの方々と語り合えるなら、楽しいでしょうね。
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by hiroto_yokoyama | 2005-11-30 22:23 | ブログ

わたしのふるさと福岡県の二人の麻生

 きょう(11月29日)の朝日新聞朝刊3面に共産党・社民党の機関誌朝日が好きそうな記事が出ている。若かりしころ『方城大非常』という本を読んで知ったのだが大正時代に筑豊の炭坑で朝鮮人600(?)人が落盤事故で麻生鉱業に生き埋め(見殺し)にされた事件があった(らしい)。
 朝日のきょうの関連記事から一部を引用する。
「…韓国側は、1万人を超える徴用をした旧麻生鉱業(福岡県)の関係資料がこれまでに出ていないとして、資料の提出を求めた。同鉱業は麻生外相の父、故太賀吉・元衆議院議員が経営していた。…」
 朝日が間抜けなのはこの事件は麻生太郎のじいさんの太吉の時代のことなのに父親に責任があるかのような記事の書き方。手抜きせずにもっとよく調べなさい。
 もう一匹麻生という豚がいる。こいつはなんと県知事なのです。しかも全国知事会の会長ですぞ。この麻生はおなじ麻生でも外相・麻生太郎とはなんの関係もない(血縁関係ではない)。まったくの他人どうし。こいつが太いのはマルチメディア・アライアンスなどという洒落た名前のプロジェクト(の案を)わたしから盗み九州電力の何とか言う詐欺師と結託して県の事業としてはじめ、このわたしめを顧問に任命したにもかかわらず税金を相当ぶっ込んだのだが事業が破綻してもその報告さえしてこない。知らんぷりの頬被り皮かむり。(この男の女房がわたしと同じ嘉穂高校の卒業生ということでハゲのデブ知事はわたしに甘えているのです)
 麻生代議士には『曖・昧・Me』の撮影でお世話になった義理があるので礼を尽くす(彼にはなんの責任もない、と言い張ってやります)が知事の麻生はついでがあったらぶっ殺してもいいとわたしは考えている。
(東京地検特捜部のような興味をもつ部署や来島恒喜のような志のある人から申し出があればわたしはこのブログで麻生のお墨付きの顧問依頼書をそえて公開質問状を書く気があるということ)
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by hiroto_yokoyama | 2005-11-29 23:01 | ブログ

男一生の夢がマンションいっこ家一軒とは情けない

 タクシー乗務の間に配車がかりの若造がわたしを貶(おとし)めた。無線が聞こえにくいので聞き直すと「じゃほかの車を配車します」だって! こいつの親爺も同じ会社で働いている運転手。どういう育て方をしたのだろう。
 気を鎮めるためにラジオのスイッチを入れたら、なんと強度偽装問題をめぐって国会参考人質疑中継のさいちゅうだ。坊ちゃん国会議員の寝ぼけた質問を欲の皮のつっぱった奴らが巧みにはぐらかしている。その表情が見たい。仕事はぶん投げて家にかえって急いでテレビをつけた。
 4時35分まで約30分近く見ただろうか。この問題の本質はサライ族およびその後輩たちが必死に家を持ちたいというさもしい、男としては小さすぎる夢につけ込まれただけのこと。そのガキたちのイルカ世代はもっと大きな夢を持つ必要がある。
 「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」(虎が死んでもその皮が珍重されるように、人は名誉や功績によって死後も名を残す)(広辞苑第五版より)。この言葉は皮肉なことにいまは絶交した福岡県の建築課に勤務する再来年の定年までひらのままのK.Y.というこましゃくれた同級生(つまらないサイトでわたしのことを云々しているその父母が社民党のH.M.と同類)が中学校1年生の時にわたしに教えてくれた。「構造計算」などという言葉もこいつの口をついて出たので覚えているのだがこの「ひら」とは金銭の貸し借りでトラブってここ10年以上音信が途絶えている。
 いずれにしても鬘の姉歯問題はサライ族の蚤の心臓なみの小さな夢につけ込まれただけなので目くじら立てるほどのことはない。それでも騙されてわたしがもしマンションを購入していたら「オジマ」とか言う面の皮の厚いヒューザー社長をぶっ殺すだろうがサライ族とその後輩どもにはその勇気はない。鬘の姉歯にはガードマンがついているのだろうか。国土交通省やヒューザーとか木村建設のまわし者に殺されなければいいが。
 それにしてもチクリ屋の藤田某それに京大卒弁護士の西村議員をようする前原うそつき民主党代表の男っぷりはいいですね。醜男のわたしとしては嫉妬するのです。あ、またつまらないことを書いて妻に怒られそう。
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by hiroto_yokoyama | 2005-11-29 21:39 | ブログ

姉歯の頭はやはり「メービウスの帯」の鬘なのだ

 民主党の西村真悟(京都大学卒業の弁護士だってよ! 「週刊プレイボーイ」を読んでわたしは知っていた)はやはりくわせ者だった。たしか彼は石原都知事のお友達ではなかったか。石原氏のコメントが聞きたい。民主党代表の前原の父親は裁判所の事務官に過ぎなかったのにこのアホは「自分の父は裁判官だった」とうそぶいていた。強度偽装問題はまだまだあとを引きそうだ。
 筒井康隆氏の小説に『文学賞殺人事件 大いなる助走』という名作がある。鈴木則文監督が映画にもしている(わたしは途中までプロデューサーだったが有楽町のスナックで鈴木監督と喧嘩して馬鹿馬鹿しくなって降りた)。そのなかで小説家なかまのパーティがある。誰かが誰かに土下座する。すると満場が土下座の応酬になりてんやわんや。(ぜひ一読をお薦めする)
 この場面が思い出されてならない。
 わたしの頭は鬘ではない。しかしあることがひらめいた。それは「メービウスの帯」。「広辞苑第五版」からその意味を引用する。
帯を1回ひねって、両端を張り(「貼り」が正しい。横山)合わせて得られる図形。表裏がない曲面の例。ドイツの天文学者・数学者メービウス(A.F.Möbius1790~1868)の名に因む。→クラインの壺
 クラインの壺
(F.クラインの名に因む)円筒の両端を逆の向きにつなげたもの。二つの「メービウスの帯」を境界に沿って張り(貼り、横山)合わせても得られる。表裏がない曲面の例。クラインの管。」
 発泡酒二缶、日本酒一合、たったそれだけを飲んだらいつものように酔っぱらってしまいました。まいどまいどの駄文で恐縮です。しかし読んでそう思うのならどうかお願いですからこのブログにアクセスしないで頂きたいのです。
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by hiroto_yokoyama | 2005-11-27 20:25 | ブログ

『切腹』の脚本の構成についての私的メモ

 村井敦志『脚本家・橋本忍の世界』(集英社新書、0305F)108ページから引用。
この作品(『切腹』のこと、横山)、シナリオライターの間では古典となっていて、シナリオ執筆の入門書、教科書ではしばしば、お手本に取り上げられている。回想場面の挿入の見事さ故(ゆえ、原文はルビ)だ。
 シナリオは小説と違って、心理描写や過去のいきさつを直接表すことができない。いきさつを観客に教えるためには、進行中のドラマにナレーションをかぶせるか、回想場面(専門用語で「ナラタージュ」という)を挿入するしかない。駆け出しのライターたちは、ついナレーションやナラタージュを多用してしまいがちだが、このやり方は進行中のドラマを中断させ、間延びさせてしまうので、ふつうは稚拙なやり方だとされている。
 ところが『切腹』は、さらにその逆を行く。これほど複雑なナラタージュの入れ子構造になっているにもかかわらず、話の進行スピード、迫力がまったく衰えない、希有
(けう、ルビ)の例外なのだ。プロのライター仲間が絶賛する所以(ゆえん、ルビ)である。
 その秘密は、
…」
 村井氏は実作者ではないので手放しでほめていればすむ。わたしは橋本忍氏のシナリオ構成力は、1952年の『生きる』(監督:黒澤明、脚本は小国英雄、黒澤、橋本3者の共同)などもそうだが学んだり真似てできるたぐいのことではないと確信している。
 なぜか。橋本氏は脚本家になるまえは会社の経理をなさっていたらしい。簿記をおやりになっていたかどうかは知らないが人間とか社会をみる目がほかの脚本家とまったく違うのではないか。(ちなみに簿記は数学だ)「秘密」を解く鍵はわたしはそのへんにあると思う。
 「秘密」について村井氏とわたしの考えが違うのは、どうしてだろう。坂口安吾『私の探偵小説』から引用する。
「…作家と批評家との根柢的な相違があるので、作家というものは常々自分自身で何かを編みだす立場だから、公式をはみだしていつも可能性の中を散歩している。江戸川乱歩氏は大勉強家で古今東西の探偵小説に通じているけれども、公式で割切ることが根柢に失われていて、いつも無限の可能性の中にいるはずと思われる。批評家は本来公式で割切る人であり、特に平野名人(評論家・平野謙のこと、横山)のごとく、系列だの分類というものが生れついて身についている特異体質の悪童は、可能性などという余計な邪魔物に全然思わされるところがないから、黙って坐ればピタリと当てるというように、犯人を当ててしまうのである。」
 見出しに「私的メモ」と書いたようにこれを読んでみなさんは訳が分からないかも知れない。とりとめのなさついでに最後にいま読んでいる藤沢令夫『プラトンの哲学』(岩波新書、537)192ページから引用する。
ちなみに、『ティマイオス』におけるこの造り主の宇宙創造は、キリスト教の造物主・創造神と違って、無からの創造ではなく、与えられた無秩序を秩序へともたらすというやり方であり、またこの造り主はけっして「万能」の神ではなく、その「善かれ」という意志には、必ず「できるだけ」「能(あた、原文はルビ)うるかぎり」といった限定句が付随している。意志のままにこの世界の何もかもが善くなるのではなく、造り主は「必然」(アナンケー)の抵抗に出会い、知性(ヌース、ルビ)によって「必然」を「説得することによって」承服させながら、この世界を造ってゆくのである(47E,68E)。
 このようにして――この宇宙創造はある段階以後、生み出された第二序列の神々に委ねられるのであるが、とにかく――いたるところで数的構造に言及されつつ宇宙の魂と身体(物体)が造られ、惑星などの天体とその周期的運動が説明され、「一に留まる永遠の、数的に移行する永続的な似像」と定義される「時間」が造られ、人間をはじめ生物たちが造られ、人体の構造や、胃・腸・肺・肝臓・脾臓などの臓器の機能が説明され、さまざまの病気がその原因とともに語られ、自然現象や物質の構造と働きが説明され……というふうに、叙述は文字どおり森羅万象に及んでいく。お酒が火を混えた液体として、「魂を
(傍点あり、横山)身体とともに暖めるもの」(身体を(傍点あり)魂とともに……」ではなく)と定義されているのが(60A)、前々から私の気に入っている。」
 ここまで読んでくださった方はお疲れさま。正直言えば、いろいろ引用しましたが引用したわたし自身あまりよく分かっておりません。畑村先生の分かる技術の本を読んでわたしは自分のテンプレート(型紙)作りを急ぎすぎているのでしょうか。「私的メモ」ということでお許しください。
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by hiroto_yokoyama | 2005-11-27 11:10 | 映画

仲代達矢さん! お見それしました

 『切腹』を見てきた。14歳のときに見た感動とはまた違ったものがわたしの体内を走った。2年前の胃ガンの手術で切った25センチの古傷が痛む。
 仲代さんはいま日本経済新聞に「私の履歴書」を連載中。銀座に向かう電車の中できょうの26回目をわたしは読んでいた。10年前、拙作『眠れる美女』の江口役にどうかと出演交渉をしたが仲代氏の代理人の断り方が気に入らず仲代さんのこともわたしはこころよく思っていなかった。故・田山力哉氏から「仲代に『なんだ高卒のくせに! 』ってからかうとおもしろいよ。いつもなんとも言えない表情をするんだ」と聞き捨てならないことを2、3度聞いたことがある。わたしは「田山さんはいつもつまらないことを言いますね」と諭すと「なにが悪い。俺は学歴偏重主義者だぞ」という言葉が返ってきた。
 きょうの日本経済新聞を読むともしかしたら田山氏は仲代さんにたいして優しい気持を持っていらしたのかも知れないと思い返した。『切腹』を見てむかしとは違った感想をもったのだが、いまの感想はこの映画は監督小林正樹のものというより俳優仲代達矢のものなのだなぁ、というのがそのひとつ。2つ目は脚本の橋本忍氏はやはり病的なくらいすごいシナリオライターだということ。さいごは『眠れる美女』の音楽を武満徹さんに依頼したが断られた。これも仕方のないことだったのだ。
 なぜだろう? 石堂淑朗さんにせっかく書いていただいたシナリオだがわたしが監督するのではおもしろいものにはならないというご判断が仲代さんにも武満さんにももしかしたらあったのかも知れない。いやきっとそうだ。だが、わたしは原田芳雄さんが主演、音楽を松村禎三氏にお願いして『眠れる美女』を撮ったことを後悔していない。
 そんなことより、仲代達矢主演の『切腹』はやはりすごい映画だ。お見それしました。
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by hiroto_yokoyama | 2005-11-27 00:10 | 映画

きょうは小林正樹監督『切腹』を見に行こうと思う

 村井淳志『脚本家・橋本忍の世界』(集英社新書、0305F)によるとこの映画は1962年9月16日に封切られている。
原作:滝口康彦
脚本:橋本忍
出演:仲代達矢、三國連太郎、石浜朗、丹波哲郎

 わたしは14歳のとき「飯塚松竹」で見た。18歳くらいじゃなかったかと勘違いしていたのは強烈な印象が残っているせい。わたしはやはりそうとうに早熟だったのだ。57歳のいま見たらどんな感じがするのだろうか?
 銀座に行くのが億劫になったり気がかわったりなどせずにちゃんと見終わったら同書105ページ「第五章 『切腹』、強大な権力に単身挑む」を読み直してこの映画についてあれこれと考えをめぐらせてみよう。
 こんな贅沢はほかにないと思いませんか。
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by hiroto_yokoyama | 2005-11-26 10:34 | 映画

妻の車を廃車した

 けさ(11月24日)オペル川口に行って9年間世話になった妻の愛車ベクトラを5万数千円払って(間違いなくオペルは修理して中古車として売るはず。理不尽なこととわたしは感じている)処分してきた。わたしはタクシー会社に通勤する車を失った。長男の車を親子で使い分けるしかなくなった。雨の日が恐い。
 1997年2月はじめ当時14歳だった長男がたおれて救急病院に運ばれた。わたしは九州にいて暢気にしていたが藪医者が「99%精神分裂病(いまは統合失調症といわれる)です」と診断したので浦和に飛んで戻った。妻は伊奈町の県の施設にその後2、3ヶ月毎日ベクトラで通った。長男の名誉のために言うが統合失調症などではまったくなく「てんかん」とわたしの高校の同級生の精神科の医者が見立てるまでに1年ほど精神分裂病の強い薬を飲まされた。長男はいまでもその副作用に悩んでいる。
 ともかくベクトラには世話になった。とても恩になった車をついにきょう処分した。かわりの車がローンが組めずに買えない。わたしは落ち込んだ。個人情報流出がいつも問題になるが自己破産した者は本人だけではなく妻や子にまで累が及ぶ。そんな世の中だがわたしは社会的な敗残者ではない。人の褌(ふんどし)で相撲をとる奴らだけが威張ることのできる風潮になんとか鉄槌をくわえるまで、そうかんたんには死ねないな、そのためには体力。プールに行く元気がなかったので近所を野良犬のように30分ほど歯ぎしりしながらほっつき歩いて風呂に入って昼寝した。いまは元気。
 闇金融から金貸しの案内のはがきが毎日届く。人の弱みにつけ込んで生きる人間は増えるばかりなのだろうか。それにしても姉歯という珍しい名前の話題の男をテレビで見たが彼は地毛なのか鬘(かつら)なのかよく分からなかった。どうでもいいことだが新聞で見たときからそのことがずっと気になっている。
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by hiroto_yokoyama | 2005-11-24 20:44 | ブログ

アンリ・ヴェルヌイユ監督『冬の猿』が思い出されてならない

 グーグルで検索すると国内でもDVDが手に入ることが分かってうれしくなった。
 以下に同映画の資料のコピーを載せる。
上映時間 102 分
製作国 フランス
公開情報 ケイブルホーグ
初公開年月 1996/12
ジャンル ドラマ

監督: アンリ・ヴェルヌイユ Henri Verneuil
製作: ジャック・バール Jacques Bar
原作: アントワーヌ・ブロンダン Antoine Blondin
脚色: フランソワ・ボワイエ Francois Boyer
台詞: ミシェル・オーディアール Michel Audiard
撮影: ルイ・パージュ Louis Page
音楽: ミシェル・マーニュ Michel Magne
出演: ジャン・ギャバン Jean Gabin
ジャン=ポール・ベルモンド Jean-Paul Belmondo
シュザンヌ・フロン Suzanne Flon
ガブリエル・ドルジア Gabrielle Dorziat


 冬になるとエサを求めて山から麓に下りてくる猿のことを書いた本が中国にある(らしい)。生きていくことに厭(あ)いた人間はどうするのか? およそ客が来るとも思えない映画をあの『地下室のメロディ』の監督が作った。10年以上前になるが渋谷でフィルム・ノワール特集でこの映画を見たとき驚きと感動でわたしは2、3日誰とも口をきけなかった。
 ジャン・ギャバンとジャン=ポール・ベルモンドの2人が(どちらかがほとんどアル中)映画のおしまいのところで海岸でなんの意味もなく花火を打ち上げる場面がある。何発も何発も打ち上げてはいい年をした男が無邪気に喜ぶ。あのシーンが瞼に焼きついて離れない。
 男2人と言えばもう1本『その男ゾルバ』。アンソニー・クインとアラン・ベイツがギリシャ音楽にのせて踊りだす。あのシーンもたまらない。(この作品もDVDで入手可能)
上映時間 146 分
製作国 アメリカ/イギリス/ギリシャ
公開情報 FOX
初公開年月 1965/09
ジャンル ドラマ

監督: マイケル・カコヤニス Michael Cacoyannis
製作: マイケル・カコヤニス Michael Cacoyannis
原作: ニコス・カザンザキス
脚本: マイケル・カコヤニス Michael Cacoyannis
撮影: ウォルター・ラサリー Walter Lassally
音楽: ミキス・テオドラキス Mikis Theodrakis
出演: アンソニー・クイン Anthony Quinn
アラン・ベイツ Alan Bates
イレーネ・パパス Irene Papas
リラ・ケドロヴァ Lila Kedrova


 この2作品の共通点。きのう(11月20日)のブログに藤沢令夫氏の『プラトンの哲学』から引用させていただいた「肉眼には隠されてある不可視のもの、思惟されるだけのもの、哲学(求知)によってこそとらえられるもの」がこれらの映画の根底にあるのはほぼ確からしくわたしには思えるのだ。
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by hiroto_yokoyama | 2005-11-21 11:02 | 映画

低能のスメグマ&裾腋臭ブロガーに告ぐ

 きょう(11月20日)タクシーのなかで読んで印象深かったところを紹介します。
 藤沢令夫(のりお)『プラトンの哲学』(岩波新書537)
「…「知の愛求者」と対比される「金・名誉の愛求者」が、あらためて「身体(ソーマ、ルビ)の愛求者」として同定されたことは、そのような人が何をもって真実の存在とみなすかという、広くは世界観ないし自然観上の立場の同定につながってゆく。こう言われている――
「(そのような人の魂は)〈物(これにもソーマとルビ)〉的な性格のもの     ――すなわち、触れたり見たりすることのできるもの、飲み食いできるも      の、性愛のために資することのできるもの――ただそのようなものだけが真     実のものだと思いこみ、他方、肉眼には隠されてある不可視のもの、思惟さ     れるだけのもの、哲学(求知)によってこそとらえられるものは、これを嫌     い、恐れ、逃げるように習慣づけられている」(81B)

                         (同書108~109ページ)
 よく分かったようで分からないかも知れませんがここのところだけはわたしにもいっぱつで了解できましたよ。みなさんはどうですか?
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by hiroto_yokoyama | 2005-11-21 00:22 | ブログ