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猫と同病相憐れんでいる

 ここのところ体調が悪く目覚めても起きあがれない。右の写真の猫も獣医先生から点滴などして貰ってわたしと同じ6畳の部屋に終日ひきこもっている。目と目が合うとため息をつきあうことまではないが猫と人が憐れみあうなどとは聞いたこともない。これから先どうなるのだろう。不安が増すばかり。
 ガラス戸の外では餌づけした野良猫が2匹の仔猫を生んだ。黒と白のブチと真っ黒。結構これが可愛かったりなどしてわたしの神経はどうなっているのか。我が身を疑う。
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by hiroto_yokoyama | 2007-07-06 07:30 | ブログ

池波正太郎『上泉伊勢守』をやっと読了

 昨年秋だったと思う。新潮文庫『剣聖 乱世に生きた五人の兵法者』を購入。すぐに『上泉伊勢守』を読みはじめたがなんだか波長があわず積ん読だった。さくばん思い直して手にとった。
 幼いころ漫画で見た。ある剣豪が刀を何本も地面に刺して群がる敵と戦う場面。その剣豪をわたしはてっきり上泉伊勢守だと勘違いしていた(黒澤明監督『七人の侍』にも同様のシーンがある)。池波正太郎『上泉伊勢守』を読むと伊勢守ではなくどうやら塚原卜伝のようである。
 新潮文庫115ページからそこのところを引用する。
この年(永禄八年。横山)の夏。
 室町将軍(十三代)足利義輝が、京の居館で害せられた
。……
 ……塚原卜伝の愛弟子でもあった将軍・義輝は数本の長剣をぬきおいて、取りかえ取りかえ斬ってまわり、一時は賊兵どもも恐れて近よりかねたという。」(どうも横書きでは気分がでない)
 池波正太郎の小説を読むのはこれが初めて。他のものも読んでみようかな。
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by hiroto_yokoyama | 2007-07-04 18:57 | ブログ

最近は「わかった風」同士で作った映画が多そう

 ちょうど1年ほどまえ坂本賢三著『「分ける」こと「わかる」こと』(講談社学術文庫)という本を買った。著者はもう亡くなっているが「科学史・科学哲学」がご専門。
 同書217ページから引用。
最近いかにも「ものわかりのいい」子供たちや若者たち(だけではない。大人たちも。横山)が増えているが、わたしは彼らを見て、本当に「わかっている」とは思えない。ちっとも「わかっていない」のに、「わかった風」をしていると思う。それは大人の考えが本当にわかっていたり、大人のいうことにしたがおうとしているのではなく、「どうせわかり合えないのだ」と割り切って、無用な摩擦を避け、適当に「良い子」になって、生活と気分の安定をはかっているのだと思う。
 親は安心するであろうが、結局は本当に「わかり合う」ための努力を、両方とも放棄しているのである
。……」
 219ページ。
「……要するに、西欧的な分類体系こそ唯一絶対のものだと信じられていた時代が去ったのである。……」
 最近の映画をわたしはまったく見ていない。見る気もしないのはポスターとか宣伝をみると洋の東西を問わず「わかった風」同士で映画を撮っているように見えるからにほかならない。
 「またきいた風なことをぬかしおって」と思われる方もたくさんいらっしゃるでしょうね。そうお感じになられたらどうかこんなブログを見たりせずわたしのことは放っておいていただきたい。
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by hiroto_yokoyama | 2007-07-04 11:55 | ブログ

3時間超の映画2本

 笠原和夫脚本『二百三高地』をようやく見た。途中妙な歌が流れ出しわが耳を疑った。「山が哭きますか」「海が哭きますか」だって! 海や山が泣くわけがない。どっちらけ。ヒットさせるための方策かも知れないが馬鹿なことを思いつく輩だ。(映画のタイトルを見ると監督以外はプロデューサー以下の全スタッフをわたしは知っている)
 訂正しておくがこの映画が封切られたのは昭和55年(1980年)。撮影当時わたしはもう撮影所をやめていた。『純』を自主上映することでやっきになっていた。ローテーションで助監督につくとかつかないとかいう次元をすでに超越していた。勘違いしていた。
 内田吐夢監督『飢餓海峡』はとてもいい映画だ。これを飯塚東映で見たのはわたしが高校2年生のとき。この作品もタイトルを見ると内田監督以外はほとんど知っている。助監督時代むかしの『飢餓海峡』の撮影のときのエピソードをいろいろなスタッフからたくさん聞いた。とくにカメラマンにはW106方式は宮島義勇、翠川道夫の協力を得たこと(クレジットにもあるが)などいっぱいほかにも教えて貰ったが伊藤俊也監督『犬神の悪霊』の撮影現場で喧嘩になり以後口をいちどもきかなかった。
 W106とははやい話がソラリゼーションのことらしいがいま見ると小手先の感じがいなめない。発案者の宮島義勇が撮っていればこうはならなかっただろうがオプティカルに頼らずともこの作品の格調はくずれなかったはずだ。
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by hiroto_yokoyama | 2007-07-03 08:00 | 映画

飯島正 他『映画の見方に関する十二章』(中央公論社)

 「第一章 映画とその見方 観客もいい映画を作ることに協力できる 飯島正」を読んだ。とても分りやすい。つぎに「第十二章 企業から見た映画 日本の映画産業の発達は優秀映画の製作から 永田雅一」を読んだ。この本が発刊された昭和29年から今日にいたるまでこの一文を真面目に読んだ映画会社の経営者がひとりでもいたらよかったのにと悔しい思いがする。難しい漢字をひらがなにするなどリライトして二男に読ませようと思う。映画の教科書の雛形にするので息子に何が分かるか、どこが興味深いかあるいはつまらないかなどいろいろ質問する。なんならビデオにその一部始終を撮って教材にしてもいい。
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by hiroto_yokoyama | 2007-07-03 07:30 | 映画

『二百三高地』『飢餓海峡』のDVDを借りてきた

 後者は封切で見ている。また見たくなった。前者はわたしが東映東京撮影所で契約助監督をしているときの映画。基本的にはローテンションで作品につくのだがわたしは生意気にも(その当時)いまなぜ『二百三高地』なのか分らなかった(右よりの映画という偏見があった)し撮影がけっこうしんどくなりそうなので忌避した。脚本が笠原和夫(何年か前に荒井晴彦のインタビューを読んだ)なので勉強のつもりで見ておこうという気に最近なった。
 2作とも3時間超の映画。当日返却は無理なので1週間借りている。
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by hiroto_yokoyama | 2007-07-01 20:56 | 映画

新藤兼人監督『ある映画監督の生涯』

 昼飯をはさんで見た。わたしは溝口健二という監督の映画は京橋のフィルムセンターでしか見たことがない。それもたしか20代のころ特集で集中的に見たから好きも嫌いもない。部屋でDVDを見るときはほとんど寝っ転がって見るのだがこの作品は見ているうちに自然に起きあがっていた。襟を正して今見終った。
 近所のビデオ屋には溝口健二コーナーがあるのでこれから味わいながら巨匠の映画を見直してみようと思っている。
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by hiroto_yokoyama | 2007-07-01 15:00 | 映画