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イングマール・ベルイマン監督『第七の封印』

 鳩山法相「死に神」説で思いだしたが映画『第七の封印』をわたしが見たのは高校生のときだった。この映画には本物(? )の「死に神」が出てくる。鳩山はたぶんわたしと同世代だが無教養そうなのでこの映画を見ていないだろう。映画で死に神は十字軍から帰国途中の兵士とチェスをするのだ。兵士が負ければ文句なしに命を貰う。勝てばもちろん生かされるのだろうがそんなストーリーはどうでもいい。牧師の息子であるらしいベルイマンはわたしに芸術とはこんなものだとたったこの映画1本で教えてくれた。
 世の中というか世界は広い。すごい映画監督がいるものだ。黒澤明よりこちらの方がはるかに上だ。わたしもこんな監督になりたい。真剣にそう思い身の程もわきまえずこの世界に飛び込んだ。ベルイマンは舞台の監督(としての彼の方が有名だそうだ。母国スゥエーデンでは)もやると聞いていたので蜷川幸雄が老人あいてに芝居をやると聞いて2年くらい前に稽古場まで見学に行ったことがある。
 だが、心の狭いこの男はベルイマンを目指したいというわたしのことをせせら笑うかのように「だったら人のふんどしで相撲を取ろうなどと思ってはいけない」というような目をして「忙しいのでこれで」とその場を去った。わたしは反省しきり。
 で、「死に神」で『第七の封印』を懐かしく思いだした訳なのですが見ていない高齢者の方は75歳以上とは申しません、わたしと同世代の人たちにこの映画を見ることを薦めます。さいごに朝日は嫌いだけれど鳩山「死に神」説にわたしは賛成です。わたしが鳩山なら「死に神」よばわりされたら大喜びしたと思うのです。
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by hiroto_yokoyama | 2008-06-20 22:16 | ブログ

自殺者10年連続3万人超

 あの朝日新聞の夕刊に「素粒子」とかいうコラムがある。きょうの讀賣の夕刊で知ったのだが鳩山法相が死刑執行をたびたび命じていることを「素粒子」は皮肉って「死に神」と書いたらしい。なるほど、そう言われてみればあの醜男はそんな顔をしているかも知れない。腹違いの兄もなんだかカメレオンみたいで不気味な顔だが兄弟そろって爬虫類。とくに「死に神」と呼ばれた弟は都知事選に立候補したとき同じ候補だった現・石原都知事が京都にテポドンの一発でも撃ち込まれれば日本人も目が覚めるだろうにと文藝春秋か何かに書いたことをテレビ討論会でえらく詰(なじ)っていたが、いまさら朝日新聞に「死に神」と言われたくらいで抗議するのは大人げない。
 ライバル讀賣は同じ夕刊1面のコラム「よみうり寸評」 できょうはいいことを書いている。
〈まあいい、俺の一生を何かの役にたてて見せる ころぶ時があっても〉――武者小路実篤の〈まあいい〉という詩である
 という書きだしで見出しの自殺者3万人連続10年についてふれている。河合隼雄著『こころの処方箋』にある言葉らしいが
崖の途中で草にしがみつき、何とか上へ登ろうともがいていたが、思い切って手を離すと草地に軟着陸、そこには新しい世界が広がっていた
 だって。わたしは共感をおぼえる。
 短絡的に「俺の一生を何かの役にたてて見せる」にはテレビ電話で死にたい人と映画の話などするのがいいのではないかとわたしは思う。さいわい最近手に入れた台湾製の安いノートパソコンにはWindows Live Messengerと画素数は少ないが内蔵カメラも搭載されている。匿名などでこそこそメールのやりとりなどするのはダサいから堂々とわたしと面と向って話がしたいという人があれば(恐らくこの日本にはそんな奇特な方はひとりもいらっしゃらないだろうが)メールをください。パソコンをどのようにすればテレビ電話として使えるようになるのかを電話などで1から教えていただいてわたしがセッティングをすますことが出来たら次はパソコンのカメラ越しに話をする。わたしがその人を救うことができるかどうかは分からないがわたしの方が助けていただけるだろうことはほぼ間違いない。
 つまらないことを思いついてしまいました。あすからタクシー乗務を再開するのできょうはもうこれで寝ます。
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by hiroto_yokoyama | 2008-06-20 21:37 | ブログ

松本哉『大江戸散歩絵図』(新人物往来社)を読んだ

 この本に目を通して少しもの知りになった。
 元の江戸城本丸のあったところが「皇居東御苑」として一般公開されている。公開されたのは昭和四十三年…(10ページ)
 わたしは知らなかった。
……五層の屋根には金の鯱の高さ五十一メートルに及ぶ天守閣がそびえていたというが、明暦の大火(振袖火事、一六五七年)で類焼したまま再建されなかった
 とか、
 その天守閣跡と、さっきの午砲台跡との間には「大奥」があったはずであり、昔の江戸城の見取り図を持参してきて見比べてみれば、広大だったというその場所や規模、さらには敷地内の地面の起伏を目のあたりに想像できることであろう。(13ページ)
 まだある。
……平川門といえば不浄門という異名もあったくらいで、城中の死者や罪人はここから出されたという。刃傷事件を起こした浅野内匠頭もそうであったが、それから十数年後、大奥女中の絵島が人気役者の生島新五郎をこっそり呼び込んだのがバレて流刑の憂き目にあったときもここから出された。一方で、御三卿(尾張、紀伊、水戸の御三家に準ずる田安、一橋、淸水の三家)の登城口でもあり、本丸の奥女中がもっぱら出入りするという華やかな一面もあった門である。(19ページ)
 笑ってしまったのは「長明寺桜もち」についてのくだり。この餅は「塩漬けの桜の葉」で包んであるがその皮(桜の葉のこと)について
「これは皮をむいて食べるんですよ」と言ったら、「ああそうかね」と川を向いて食べた――なんて小話もある。(32ページ)
 興味深かったのはこのあたりまでで最終のページはちょうど200ページだが、著者には悪いがあとはとってつけたような文章ばかり、金太郞飴のように同じ切り口で書かれているために飽きる。そうそうに図書館に返却し購入するのはさしひかえよう。
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by hiroto_yokoyama | 2008-06-19 06:10 | ブログ

松本哉『寺田寅彦は忘れた頃にやって来る』(集英社新書、0144-D)はいい本です

 まず右の猫の写真をご覧いただきたい。わが家に昨年9月2日にやって来た。前にも記したが名づけて「横山寅彦」と申します。寺田寅彦にはたいへん失礼かと思ったが妻と相談してつけた。厚かましいことである。猫の寅彦にかわって言い訳をするとはじめに「トラヒコ」というのはどう? と言いだしたのは妻である。妻の母親はたいへんな猫好きでいまでも20数匹飼っているが妻が実家の猫をふりかえって一番かしこかったのがトラヒコという牡猫であったらしい。そこから言い出したことなので妻の頭に猫のことはあってもあの寺田寅彦のことがあったわけではない。
 では「寅彦」という字を思いついたのはだれかと言えば、当然のことながらこのわたくしメでございます。
 この本『寺田寅彦は忘れた頃にやって来る』は2002年5月22日第1刷発行。当時わたしは福岡で単身赴任。長男は青森の大学で生物工学の勉強をしていた。そんな事情から『寺田寅彦随筆集』(岩波文庫)の1冊を息子にあたえていたのだがそのあとこの子は自分で全5巻を買いそろえていた。そこにこの興味深い本が出たのでわたしが1冊息子が1冊と別々のときにわたしが用意して渡したものだ。
 以前にはよくそういうことがあったがわたしは本を何冊もまとめて買って家に積んでおく癖があった。この本も息子はとっくに読みおわっていたがわたしはパラパラめくっただけで誰かに貸したきり戻ってきていない。ある時それを思いだして息子に聞いたら手もとにあるという。手っ取り早いので彼のものをひきあげて押し入れにしまっておいた。
 寅彦、寅彦と1日何十ぺんも呼びつけているとご本尊の寺田寅彦の罰が当るのではないかと気になりだしておとついの晩きゅうに引っぱりだして読み出したらやめられなくなって今読了したばかり。岩手・宮城内陸地震のことも頭にあり「天災は忘れた頃にやって来る」と言ったことであまりにも有名な寺田寅彦のことを知りたくなったからなのだがわたしはこの本を満喫した。思わず飼い猫の寅彦を抱きしめて「寅ちゃん」とか何とか言って頰ずりしたものである。
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by hiroto_yokoyama | 2008-06-16 17:47 | ブログ

もうひとつ本の記事を書く

 そんなこんなで図書館の本に書き込みや線引きしそうな奴らがこづかい銭を節約して話題の本なら何でも予約する風潮をなげきつつわたしは馬鹿たれどもの裏を行く。
 今朝の讀賣じゃなかった産経新聞(久しぶりに花田編集長の週刊誌を論評する記事を読みたくなりコンビニに買いに行ってきた)11面でギュンター・グラス『玉ねぎの皮をむきながら』という本のことを知った。これをさっそく図書館のサイトで検索し予約した。
 わたしが1番じゃないかと思ったがいるわいるわゴキブリみたいにケチどもが。でも『のぼうの城』みたいにポピュラーではないのですぐに借りられそう。
 ギュンター・グラスといえばナチの親衛隊員であったことを自ら暴露して最近(と言っても2年前)話題になったドイツのノーベル賞作家。
 古い話になるがわたしが監督デビュー作『純』をひっさげてカンヌ映画祭に出席したのは1979年の5月だった。早いものでもう29年もたってしまった。
 その年のグランプリがギュンター・グラス原作『ブリキの太鼓』だ。コッポラが裏で政治力を使い凡作『地獄の黙示録』を強引にグランプリに割り込ませた(このオマケがついてこの年だけカンヌはパルム・ドールが2本になった)。この男はグランプリねらいにツーバージョン作ったらしい。ウソかホントか知らないがカンヌ映画祭用と一般公開用だとかカンヌすずめたちがしきりにさえずっていたものだ。
 わたしはカンヌのフェスティバルホールでフォルカー・シュレンドルフ監督『ブリキの太鼓』を見終わってうなった。成長することを自らとめた主人公の少年(したがって主人公はずっと子供のままである)がなにやら叫ぶ(カンヌでの上映だから日本語の字幕などついていない)と大きな建築物のガラスがこなごなに砕けるのだ。このスペクタクル。よかったなあ。
 わたしはこの映画がまちがいなくグランプリだと確信した。
 表彰式には東宝東和の川喜多かしこさんに連れられてわたしもタキシードを着て出席した。タキシードは前の年にあげた結婚式のときにも着なかったから後にも先にもこのときだけ。恥ずかしかった。式場に入るときわたしのすぐ前をあこがれだったカトリーヌ・ドゥヌーブが赤い絨毯のしいてある階段を上って行く。胸のときめきをこらえてわたしは真っ直ぐに前を見る。するとドゥヌーブのちょうど尻のあたりに視線がいった。ベージュのカクテルドレス越しに彼女の腰回りの質感が出ている。今で言うメタボリック・シンドロームなのだ。あんなにあこがれていたカトリーヌ・ドゥヌーブだったのに。わたしの夢はこの時いっぺんに覚めてしまった。
 式場に入り何気なく二階を見上げると最前列にイヴ・モンタンがいた。大好きな女優のシモーヌ・シニョレの旦那さまだ。このモンタンの鼻の穴の大きさにも驚いた。親指の頭がらくに入りそうなくらい大きい。日本人によくあるがまん丸でないのがすくいだ。
 ずいぶん脇道にそれてしまったが、もうひと言申し添えます。
 わたしは1979年のカンヌ映画祭の表彰式の当日客席から壇上のシュレンドルフ監督を見た。頭が禿げているのが印象的だった。いつの日かカンヌのこの壇の上にきっと立とう、そう心ひそかに誓ったものだがついにきょうまで果たせずハゲだけがシュレンドルフに似てしまった。
 そんな訳でカンヌと言えば『ブリキの太鼓』、ギュンター・グラスと言えばわたしにはカンヌ国際映画祭なのである。グラスの自伝『玉ねぎの皮をむきながら』の順番がめぐってくるのを楽しみに待とう。
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by hiroto_yokoyama | 2008-06-16 08:23 | ブログ

『のぼうの城』という本のこと

 作者の和田竜は若い人のようである。何とかナツメという女性か男性か分からない人の表紙の絵に特徴があり(とくに朝鮮ひげと目元がいい)以前から書店のポスターが気になっていた。なんでも城戸賞受賞作品をもとにノベライズしたとか。新聞と新潮の「波」の今月号で知ってわたしはとても興味が湧いた。
 いつものやり方で図書館のサイトで検索したらなんと先週は380名の予約があった。ケチらずに購入しようかと書店に行って平積みの本を手にしてみたが、どうしても買う気になれない。劈頭、江戸時代のはじめ(だったと思う)ころ書かれたホアン何々という書物の名前が出てきてそそられるのは十分そそられるものの全体の軽い感じはいなめない。
 やはり一度図書館の本を1、2週間枕もとに置いて何度も手にしたりしながら勢いづいて読み終わりどうしても手もとに置いておかなければ済まないものだけをわたしは買いたいのだ。そうでもしなければ書物が多すぎて安普請の借家であるわが家の床が抜けるに違いないから。
 さっき図書館を再度検索したら馬鹿どもの予約がなんと400人を突破している。こいつら買えばいいのにどういうつもりなのだろう。どうせ吝嗇家ばかりに違いない。ここはなんと言ってもダサいたま。
 気になりつつもこういう事情で『のぼうの城』を予約する気にもなれず、かと言って買う気もおきずああでもないこうでもないと思い悩みつつ日々は過ぎゆくのだ。つまらん。
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by hiroto_yokoyama | 2008-06-16 06:38 | ブログ

山本博文『日本史の一級史料』(光文社文庫、253)を斜め読み

 わたしは図書館の本に赤線を引いたりする人間が嫌いだ。古本屋でほしかった本を見つけても線が引いてあったり書き込みがあったら汚いものを手にしてしまったようにすぐに元のところに戻してしまう。
 この本には無学な老人が前の持ち主であったと容易に察しのつく赤いボールペンの印がある。うっかりわたしはそれを見落として古本屋で購入したのだろうか。それはちょっと考えられない。この著者の本なら、さっと目を通せばそれでいいので赤線には目をつむって買ったものであろう。
 わたしはこの著者の山本大先生の著書をいくつかもっている。奥付を見ながら以下に記す。
『江戸お留守居役の日記』
『切腹』
『島津義弘の賭け』
『江戸時代を「探検」する』
 などであるが読了したものは1冊もない。史料編纂所の教授でいらっしゃる大先生のご本なのだがわたしにはおもしろくないのだ。著者は勉強ばかりなさってきたせいか人格的に未成熟(失礼)な面というか自己顕示欲の強いふんぞり返ったような姿勢が文と文の間にほの見えて読んでいると嫌になるのだ。それはきっとわたしの中にこの9歳年下の大先生と似たようなものがあるせいなのだろう。言ってしまえば近親憎悪である。
 で、しつっこく汚らしい赤線をインク消しで消しながら必要な部分にはノリ付き付箋紙を貼りつつ一気に読み飛ばした。いやあ、勉強になりました。さすが大先生のご本だけに随所に100円ショップのケバイ色の付箋紙を貼りめくらせていただいた。
 こんなことを書いたら直接お目にかかってお教えを乞おうなどという虫のいい考えは持てなくなるが仕方がない。本当のことなのだから。
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by hiroto_yokoyama | 2008-06-15 06:14 | ブログ

関西のMさんから嬉しいメールを頂戴した

 うつ病の薬のせいか、まだ病が治っていないせいか分からないが午前2時とか3時に目が覚めてそれきり起きてしまうことがこのところ日課のようになっている。
 「丑の時参り」あるいは「丑の刻参り」ともいうらしいが(読む人によってはあとに書くことと関連づけるのが難しいと思います)わたしはおもむろにノートパソコンでメールをチェックする。誰から来るあてもないのに風俗や金貸し、あるいは意味不明の「迷惑メール」にエアパッキンをひとつずつ指先でプチンとつぶすようにチェックを入れ「迷惑メール報告」をクリックする。十数通あるいは数十通の魑魅魍魎メールを一気に削除するこの快感。「逆ギレ」ならぬわたしの「逆丑の刻参り」(ちょっと苦しい)なのである。
 ときたまだが「見出し」を見ただけではっきりとこれは「迷惑メール」とは違うと分かるメールをいただくことがある。
 今朝もMさんという男性からメールを頂戴してとても嬉しかったので返事のようなものを出させて貰った。女性からのメールには必ず返信メールを送るのだが男性に気持ちよく返信させていただくのはわたしとしてはめずらしい。
 先週は秋葉原の通り魔にはじまり岩手・宮城内陸地震におわった(救出作業はいまもまだつづいているが)。亡くなった方々のご冥福をお祈りする。どんどんと坂道を転がり落ちていく気分に覆われがちだが、見ず知らずの方から「ブログ読んでるよ」という何気ないひと言がこのようにも励ましになるものか。
 人間社会もまだまだ捨てたものではないな。「ブログ」もいまだによく分からない存在だが惰性などではなくもっともっと続けられそうだという気分にさせていただいたので報告する次第であります。
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by hiroto_yokoyama | 2008-06-15 04:37 | ブログ

台湾製の安いパソコンを買って忙しい

 たまたま家電量販店で数ヶ月まえに見つけたチープなパソコンが気に入り金もないくせに妻と子にねだって今週はじめにやっと手にいれた。宅配便で届いたことと台湾製であること(中国製ならわたしは買わなかっただろうが台湾製ならまだ許せた)から「ちゃんと動くのだろうか? 」と懸念していたがスイッチをいれたら無事立ち上がったので安心した。
 使用する目的は自分でははっきりしているつもり。小さくて表に持ちだせるから図書館に行くときやタクシー乗務のときに持って乗る。あれやこれや思いつくままにメモを取る。図書館の蔵書を検索する。新製品の情報をいち早くしいれる。ま、目的はこんなものである。場合によってはこのブログの記事もおもてで書くことが出来るかも知れない。猫の写真もまめに他の被写体にかえたりなどして更新することもあるだろうか。(そこまではたぶん行けない)
 何ヶ月か前にもわざわざ携帯電話をやめて夢を描いてピッチに切り換えたが使いづらいことこの上ない。騙されたような気持ちをずっと引きずっているが今回もまた台湾製パソコンを使いこなせないようなことになるとわたしのわが家での信用はがた落ちだ。(とっくに物を購入するということに限っては妻も子も信用していないように見える。今回はあきらめの境地)
 で、そうならないために(と言い訳をちゃんと用意して)やれUSBがどうしたポータブルHDDはどれがいいSDHCは16ギガまであるメモリも増設しようなどなど研究に余念がない。単行本はむろんパソコン雑誌を買い去年のバックナンバーは図書館から借りだしたりなどして目を通し、ここのところ忙しくてついブログもおろそかになっている。
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by hiroto_yokoyama | 2008-06-14 08:37 | ブログ

「タクシー運転手/登録制13地域に」

 けさの讀賣新聞10面の小さな記事。
 国土交通省は14日から、東京と大阪で実施している法人タクシー運転手の登録制度を他の11地域にも広げる。……
 わたしはいまタクシー運転手の仕事をうつ病のために休んでいる。きのうバードタクシー(仮名)に行って来週末から乗務を再開したいむねを伝えてきたばかりだ。午前3時すぎに朝刊を開いて上記のような記事を目にするとなんだかわたしの前途を祝福されているような気分に勝手になっている。というのも讀賣はつづけて
……運転手に安全知識や接客マナーの講習を義務づけ、悪質な法令違反を犯したり重大事故を引き起こしたりした場合は登録を取り消し、最大2年間、再登録できなくなる
 と書いている。さいたまはもちろんこの11地域に入っている。いいことだ。
 記事の最後。
 この地域の法人タクシー運転手は今後半年以内に運輸局長が認定する講習を受けたうえで、運転手登録しないと乗務できなくなる
 いまは喜んでいるが、仕事を再開したとたん「重大事故を引き起こして」登録出来なくなってしまうのはわたしが真っ先かも知れない。もう少しうつ病のせいにしてタクシーに乗るのを先延ばししようかなどと卑怯なことを少し考えはじめているわたしなのであります。
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by hiroto_yokoyama | 2008-06-14 07:19 | ブログ