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丸谷才一氏の『日本敵討ち異相』評

 きのうの朝刊からわが家には毎日新聞がはいっている。きょうの9面に「今週の本棚」が載っている。長谷川伸『日本敵討ち異相』はいつだったか二男の部屋においてある全集を引っぱり出して読んだ記憶がある。
 丸谷氏の評の最後の部分を引用させてもらおう。
……当然のことながら、十三篇はみな、むごたらしい殺戮(さつりく、ルビ)にはじまりむごたらしい流血に終る。しかし後味はよく、一種のカタルシスさえ感じさせる。人間というもの、時代というものを、死者と社会に対する伝統的な態度を媒介にしてしっかりととらえているからであろう。ここには、祖父や祖母の蒙昧(もうまい、ルビ)をなつかしむ孫のような優しい語り口がある。わたしにとってそれは前代の風俗に対する鴎(この安いパソコンではちゃんとした字が出せなくて残念。横山)外のきびしい肯定よりも好ましいものだ。
 「祖父や祖母の蒙昧をなつかしむ孫のような優しい語り口」という言いまわしがとてもいい。鴎外のことについてはわたしは不勉強のせいでよく分からない。長谷川伸について言えばこの『日本敵討ち異相』より、その前半をわたしは涙を流しながら読んだ『相楽総三とその同志』の方に軍配をあげるが2冊とも読んでいない人には両書を読み比べることを薦めます。
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by hiroto_yokoyama | 2008-11-30 07:09 | ブログ

おとつい起きたさいたまの暗いニュース

 東京新聞きのう(11月28日)の夕刊11面の見だし「住宅全焼、姉妹死亡か」。それより小さく「直前口論」とあり少し大きく「父親『火をつけた』」とある。
 じつはこの父親というのがわたしの勤務するバードタクシー(仮名)の同僚の運転手なのだ。わたしは早朝のラジオのニュースで知り岩槻区のタクシー会社で勤務する運転手なのだろうから縁もゆかりもないし顔など見たこともない人だろうと思っていた。「タクシーの営収はここのところがた減りしているからこんなこともあるだろうな」くらいに考えていた。
 昼寝をする前にタクシーの燃料を満タンにするためガススタンドに寄ったら注入ホースを手にしたわたしの影のファンクラブの会員の中年女性が「ねぇ、ねぇ、知ってる? あのお父さんってうちの(バードタクシーの)Fさんのことよ」とご注進。「えっ、あのFさんなの」とわたしは驚いた。そしてすぐに落ち込んだ。こんなショックを受けたら仕事にならない。わたしには他の同僚の馬鹿運転手どもの面がこの事件を知っているのかいないのかケロッとしているのも少しはいたがほとんどの野郎がさすがに暗い顔をしているように見えた。
 3、4人のこころある運転手がFの事件について仕事を終えて車を洗っているわたしに話しかけてきた。しかしバードタクシーの重役はもちろんこの会社の労働組合の執行部もそしてさらに彼と親しくしていたらしい仲間の運転手たちまで陰口をたたくことはあっても見舞いに行く気配はまったくない。
 けさの毎日新聞25面埼玉版に亡くなった姉と弟の顔写真が載り、「岩槻・住宅火災」「逮捕の父、動機を追及」「子供2人死亡、住民ら沈痛」などの見だし入りの記事があるがこれをみるにつけわたしはFさんの顔がずっと目の前にちらついていてもたってもいられない気分だ。夕食時、こんな思いを妻に話したらいくぶん気持ちの整理がついた。あすは朝から焼け跡を見に行ってそのあとFさんを見舞えるものなら面会にいってみよう。病院や警察のガードが堅いかも知れないがともかく岩槻にいってみよう。そう決心した次第なのであります。
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by hiroto_yokoyama | 2008-11-29 20:20 | ブログ

油井宏子先生の古文書講座

 今朝は不愉快な思いをしたので気分直しの必要を強く感じた。行きつけの書店が古文書講座を開催するのは今日の午後ではなかっただろうか。参加申し込みはもう締め切ったに違いない。そう思いつつそれでも確認の電話を入れてみるとまだ間に合うとのこと。
 午後2時からたっぷり2時間、勉強してきた。天保七年(1836年)近江の老人の死んだ息子の雇い主への手紙の読み方を習う。題して「息子の死を嘆く父親の手紙」というもの。
 油井宏子『古文書はじめの一歩』(柏書房)という本を図書館から借りたことがあるので油井先生の講義は分かりやすいのではないかと見当をつけていたがわたしの予感はあたった。2時間強の時間があっという間だった。充実した時を過ごせて不愉快な気分はいまや爽快。
 自分のことを「おいら」などと呼んでひとり悦にいっているどこかの趣味人など相手にするよりよっぽど密度の濃い時間を持てた。どうせ長くはない命。タクシー非番の日ほどわたしに貴重なものはないのだ。
 わたしのこのブログ、人様に読んでくださいとお願いしたことはこれまでにないし、これからも他人にへつらう気持ちなど小指の先ほどもわたしは持ちあわせていないことを改めてここに宣言しておく。
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by hiroto_yokoyama | 2008-11-29 17:54 | ブログ

所詮わたしとは無縁な趣味人たち

 わたしは、わたしの方から親しく声をかけてみることがときどきある(最近はその回数もめっきり減った)。すると次にその人に会ったときには互いによく理解し合えてもいないのに100年の知己でもあるかのごとく向こうから「どう、元気? 仕事がんばってる」などとなれなれしく口をきいてくる輩が嫌いだ。
 趣味人倶楽部とかいういかがわしいSNSに首をつっこもうとしたのは間違いだった。しょせんは趣味的に人生を生きてきてたぶん最期まで遊び半分の連中。関わろうとしたわたしが甘かった。
 わたしは奔放不羈に生きてきたしこれからも死ぬまで他からの束縛を受けることは
拒否する。そうすることで多少ではあるが怪我もしてきたしこれから先、大怪我をすることがあるかも知れない。でも死ぬことはなかったし勝手きままに生きていこうとして殺されるならそれはそれで致し方のないことだ。
 数ヶ月前タクシー乗務をしていてこんなことがあった。50前の器量の悪い女が車のついた例の旅行バッグをさげて車に乗り込んできた。わたしは穏やかに行き先を聞いたがこの女、横柄に「原山!」と言うだけ。交差点にさしかかったのでわたしは「左に行っても原山、右に行っても原山ですが」と困惑をしめした。するとこのブス「ナビついてんでしょ?」。「ええ、ついていますが行き先をセットしないことには」とわたし。「ええと、なんとか在家。待てよ」とようやく地図を取り出して見はじめた。「あ、坊の在家」と信号の手前に車を停めてヤキモキしているわたしにこのデブ女が横着な声音で言うので「それを早く言ってくれればいいのに」と独りごちると後ろから「ひとこと多いんだョ」だって。
 わたしはカッときた。後ろを振り向いて「降りろ!」と言って後部ドアを開けた。このババァも負けてはいない。「乗せたところへ連れていけ」と言う。そりゃそうだわなとわたしも得心して車を交差点でUターン。数十メートルほど離れているタクシー乗り場に戻った。このクソ女が叫ぶこと叫ぶこと。「この野郎! 後悔するぞ!」わたしは数ヶ月たったいまでも後悔してなどいない。
 負け女の遠吠えの一幕でした。わたしの奔放不羈というのはこの程度のことです。
また同じような場面に出くわせばわたしは判で押したような行動を取ることでしょう。ある種の人間どもにはわたしは全く可愛くない奴に見えるでしょうね。腹のなかで「あいつ死にゃいい」と思われていることは間違いない。
 この記事を載せたあとわたしはシュミートクラブを脱会する手続きをしようと思う。
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by hiroto_yokoyama | 2008-11-29 10:19 | ブログ

シベリウスの交響詩『フィンランディア』

 いつだったかNHKFMで見だしの曲を聴いたときいい曲だなと思った。フィンランド独立という時代のなかで生まれ、曲のタイトル「フィンランディア」というのもはじめ問題になったらしい。シベリウスはフィンランドでは国民的な英雄だということだ。こんなことをラジオで知って曲を聴いてみると勇壮な中にもなんだか苦みというか重みみたいなものを感じてさっそくiPodに入れて散歩のときなんども聴いたのだが『フィンランディア』のおかげで歩く距離が伸びた。
 きょうの産経新聞11面の「正論」というコラムで新保祐司(しんぽ ゆうじ)という都留文科大学の先生がこの曲について書いている。そこのところを引用させていただく。
 このところ、フィンランドの大作曲家・シベリウスについて批評文を書きつづけているが、シベリウスの有名な交響詩「フィンランディア」をとりあげ、その時代背景としてロシアからの独立運動のことに筆が及んだとき、……
 フィンランドは、12世紀から19世紀初頭までは、隣国スウェーデンの支配下にあった。
 1808年、ロシアのフィンランドへの侵入をスウェーデンが撃退できなかったため、1809年以降ロシアに服属することとなった。
 完全な領土化は免れ、大公国待遇ではあったが、ニコライ1世の時代から圧迫は強まり、ニコライ2世の治世になると、フィンランドの自由は次々と奪われ、属領化策が強引に推進され、フィンランドでの愛国運動の高まりが激しくなった。
 シベリウスの音楽、特に「フィンランディア」はそのような時代のただ中で生まれてきたものであり、
……
 日露戦争での日本の勝利の後、ロシアに革命が起こり、ついにフィンランドは1919年に完全に独立国となった。日露戦争とフィンランドの独立は、こんな風につながっている。
 さすがに大学の先生だけあってわたしなどより遙かにまとめるのがうまい。どうです。みなさん、少し賢くなったのではありませんか。
 そんなことより、同じく産経新聞のきのう(11月23日日曜日)の1面に載っているが「対馬が危ない!!」らしい。グーグル地図サービスで〝領土戦争〟 /「韓国領」書き込みなんだって。韓国の右翼どもが竹島問題同様、対馬も朝鮮の領土だとほざいているようだがわが日本ではとてものことに国民的な関心には100パーセントなりませんよね。
 日本という存在は息子たちの時代になると恐らく消えてなくなってしまうのではないだろうか。こちとらはとっくに死んでしまっているのだから関係ないといえば関係ないがそんなことでいいのだろうかという疑問は残るのであります。
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by hiroto_yokoyama | 2008-11-24 07:12 | ブログ

『偸盗』は失敗作らしい

 長野嘗一『芥川龍之介 王朝物の背景』という本を持っている。120ページに
……この小説は明らかに失敗作で、芥川自身、「安い絵双紙みたいなもん」と自嘲し、「僕の書いたもんぢや一番悪いよ」(大正六年三月二十九日・松岡譲宛書簡)と断言してもいるのだが、原典(『今昔物語』のこと、横山)と比較して、なぜ原典が成功し、芥川が失敗したかの理由を考えるのは興味深い。
 そこで押し入れの中から日本古典文学大系『今昔物語』5冊を引っぱり出して「原典」のところに印をつけた。読むまでに至らなかったのは本が重いことと難しい漢字が多すぎるので敬遠したからだ。読めない漢字は枕元においている「新潮日本語漢字辞典」で見れば分かるのだが風邪気味でもあるし大儀なのだ。
 このようにして読みたい本も読まずに死んでしまうのは何とも悔しいがシルバーになっているのだから無理はすまいと寝る前に飲む薬を手のひらいっぱいに口にほうばったわたしなのであります。
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by hiroto_yokoyama | 2008-11-23 22:30 | ブログ

子母澤寛『新選組始末記』を読了

 誰もが知っていて読んだこともないのについ読んだ気になっているものを古典と呼ぶならこの『新選組始末記』も立派な古典ではなかろうか。10日ほどまえに古本屋で100円で購入してぱらぱらめくっているとつい引込まれて最後まで読みおわった。
 作者の「あとがき」がとてもいい。部分を引用する。
……新選組を根ほり葉ほり訊き出すようになったのは、大正十二三年の頃からで、昭和に入ってからは、事にかこつけて頻りに京都通(がよ、ルビ)いをやった。夜行で行って翌日一ぱい歩き廻り、また夜行で帰って次の朝は勤めに出た。多い月は五回も行った。尾佐竹先生(幕末史の権威尾佐竹猛)は「十年やればどんな馬鹿でも並にはなれる」 とよくおっしゃったし、藤井先生(藤井甚太郞)は「史料は糞でも味噌でも手の届く限り漁れ。品別はやっている中に自然にわかって来る」と教えてくださった。
 生き残りの老人のはなしは、疑わしいのもあったが、私は「歴史」というのではなく現実的な話そのものの面白さを成るべく聞きもらすまいと心掛けた。

 どうです? この本を読んでみたくなりませんか。
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by hiroto_yokoyama | 2008-11-16 18:13 | ブログ

趣味人倶楽部の会員の人の作った映画を見た

 年齢と名前と住所しか知らない人が撮った映画をまじめに見るのは今回が初めて。これまで同様の作品を見る機会がなかった訳ではないが本気で見る気がしなかった。こちらの目線が高いところにしかなかったせいだ。
 この方の映画でも言っていることだがこれからの映画はどこへ行くのか。わたしは劇場で見る映画というものはもしかしたら無くなるのではないだろうかと思っている。でなければ劇場用映画というものはきわめて特殊なものになってゆくに違いない。
 わたしはと言えば、この趣味人倶楽部の会員の方のようにすべてひとりで作る映画を自分でも作ってみたいのでこの方、あるいは同様の映画作りをしている方々から学んで、極端に観客を選ぶ映画、不特定多数の人間にではなく、わたしが見てほしい人たちにだけ見せる映画を模索しているので、今回の経験はとても参考になった。
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by hiroto_yokoyama | 2008-11-16 07:09 | ブログ

「趣味人倶楽部」の会員の方から伝言をいただいた

 世間は狭いもの(ネット世界は狭いもの、という意味)でこの拙ブログを見ているよ、と「趣味人倶楽部」(わたしは、自分勝手に「しゅみじんくらぶ」と口の中で言っている)に伝言いただいた方がいた。京都在住の66歳の男性。登録したニックネームだけで実名は分からないが、あいだに別のコミュニティというかサークルというか、いまネットで検索してみるとSNSと言うのがいいようだが、こういったものをはさんでなら匿名は気にいらない、などと目くじらをたてることもない訳だ。
 ただ作った作品を見させていただく方などは無論本名をはじめから名のっていらっしゃるし、いずれお目にかかることもあるかも知れない。拙ブログとSNSなどを使い分けながら当初このブログを立ち上げたわたしの目論見をそろそろ実現させたい。と言っても相手のあることだし協調性のかけらもないわたしのような者の思いが世間に届くのかどうかはなはだ心許ない。
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by hiroto_yokoyama | 2008-11-13 06:35 | ブログ

ハイフェッツを聴きながら

 昼寝からさめ手元にある宮本常一著『絵巻物に見る 日本庶民生活誌』(中公新書、605)と鈴木良一著『応仁の乱』(岩波新書、873)をぱらぱらとめくる。気になる本が図書館にあるかどうか確認したくて4万いくらかで購入したノートパソコンのスイッチをいれる。『色の和名抄』なる本を予約する。
 「趣味人倶楽部」を見てみると自作の映画を見せたいというありがたいメールをいただいたのでさっそく返事を出す。
 あッ、そうそういま聴いているのはヤッシャ・ハイフェッツ『ヴァイオリン小品集 1946 ~1970』というCD。何ヶ月か前NHKFMでハイフェッツの名をはじめて聞いて図書館に予約していたものをやっときょう借りることができたのだ。
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by hiroto_yokoyama | 2008-11-12 17:44 | ブログ