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有馬頼義『聖夜の欲情』これもいい小説だ

「好きだとか、きらいだとか、嫉妬(やい、ルビ)たとか、結婚したいとか、一緒に暮したいとか、その人の妻、その人の良人と呼ばれたいとかいうことを、精神的な問題と考えましょう。男と女の間には、もう一つの世界がありますの。それは欲望です」
「欲望……」
「お嬢さまが、きれいなお花をごらんになる。美しい、と感じるのは、精神的なものです。でも、それだけじゃないでしょう。その花を折りたいとか、花びらにさわりたいとか、という気持がありますわ。それが欲望なんです」
「触りたい──忘れてしまったわ。あたしはもう十何年も、ものにさわったことはないわ」
 どうです? ちょっと読んでみたいと思いませんか。わたしは読み終わってからずっと、こんなものを映画にしてみたいと感慨にふけっております。
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by hiroto_yokoyama | 2010-05-31 11:28 | ブログ

菊池寛『籐十郎の恋』はいい小説だ

 この本は劣情をそそるようには書かれていない。しかし、妖しい気分にはなる。
 坂田籐十郎が近松門左衛門『大経師昔暦』(溝口健二監督『近松物語』の原作)の初日を迎える直前に「芸の苦心に肝胆を砕」く話。「茶屋宗清の大広間で、万太夫座の弥生狂言の顔つなぎの宴がひらかれてい」る。
 籐十郎は「何げないふうに酒杯を重ねてはいたものの、心のうちには、かなりはげしい芸術的な苦悶が、渦巻いている」。『大経師昔暦』は、「京の人々の、記憶にはまだ新しい室町通りの大経師の女房おさんが、手代茂右衛門と不義をして、粟田口に刑死するまでの、のろわれた命がけの恋の狂言」である。彼は人妻と恋をしたことがこれまでにない。「籐十郎は、生まれながらの色好みじゃが、まだ人の女房と念ごろした覚えはござらぬ」のだ。したがって、茂右衛門をどのように演じるのか、彼は「自分自身の肝脳(あたま、ルビ)をしぼるよりほかには、くふうの仕方もなかったのである。」
 酒に酔った籐十郎は「知らず知らず静寂な場所を求めて、勝手を知った宗清の部屋部屋を通り抜けながら、奥の離れ座敷」に向かうのだ。そこで「寝そべっ」ていると、偶々「宗清の主人宗山清兵衛の女房お梶が」やってきた。「お梶は、もう四十に近かったが、宮川町の歌妓(うたひめ、ルビ)として、若いころに嬌名をうたわれた面影が、そっくりと白い細面の顔に、ありありと残っている」のだ。まずい。
 で、どうなるのかは是非『籐十郎の恋』を読んでからのお楽しみにして貰いたい。たしか、この作品は映画になっている。わたしが監督するなら、どう撮るかと考えていると、朝飯の用意ができたと妻に呼ばれてしまい、思考は妨げられたのである。妖しい気分はとうぶんの間、抜けそうもない。
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by hiroto_yokoyama | 2010-05-21 09:18 | ブログ

五味康祐『スポーツマン一刀斎』(大衆文学館、講談社)を読む

 みょうな巡り合わせでこの本を知った。枕元に「別冊 文藝春秋」創刊200号記念号(平成4年(1992年)夏)をだいぶ前から置いて寝ている。同誌掲載の郡司勝義『藤の花のころ ─小林秀雄の思い出─』を読みたいからである。何度読みかけても、なぜかわたしには読みづらく、途中でほうりなげてきた。と言ってこの雑誌をすてる気にもならず、邪魔だが、放りっぱなしにしてあった。数日前、少し酔って読み始めると、これまでになく入って行けた。同誌503ページに、ちょっとそそられる件(くだり)がある。
 五味康祐が、実在の女優の名前を使って、『スポーツマン一刀斎』を週刊誌に連載した。名前を使われた方の女優の猛反撥によって、「色道修業の巻」のみで終ったが、狂言廻し訳がこの老人に与えられたのであった。
 「この老人」とはなんと小林秀雄の叔父さん。設定は「架空の人物」と書いてある。なんのことやら、さっぱり解せない。郡司勝義という人はどういう人か知らないが、わたしが「読みづらく」感じたのは、こういう書き方に違和感を覚えるからだ。でも、そんなことはどうでもいい。「名前を使われた方の女優の猛反撥」というのにミーハー心をくすぐられて『スポーツマン一刀斎』を手にしたという訳だ。
 巻末の「収録作品解題」からはじめの部分を引用。
 『スポーツマン一刀斎 色道修業の巻』は、昭和三十一年十一月から翌年五月にかけて「サンデー毎日」に連載されて未完に終わった。その年の八月に「小説新潮」に完結編が発表され、九月に新潮社より刊行された。
 わたしは途中まで(週刊誌の連載分か?)ゲラゲラ笑いながら読んだ。終りの方は、失速してつまらないが、たぶん「完結編」であろう。ともかく大半はとてもおかしい。どんな女優が登場するか、だって? それは内緒。最後に余計なことを付けたすと、わたしも故・石沢英太郎の推理小説に、名前だけだが1度登場したことがある。題名は失念した。(たぶん家を探せばある)
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by hiroto_yokoyama | 2010-05-20 18:48 | ブログ

週刊新潮「朝日新聞阪神支局襲撃事件」誤報問題の結末

 きょうの毎日新聞27面のベタ記事を見て驚いている。全部引用させて貰う。
朝日新聞襲撃犯を/名乗った男性死亡/北海道・富良野
 朝日新聞阪神支局襲撃事件(87年5月)などを巡り「自分が実行
犯」と名乗って週刊新潮に手記を寄せた島村征憲さん(66)が4月、
北海道富良野市で白骨遺体で見つかっていたことが18日、道警の調
べで分かった。道警は自殺の可能性が高いとみている。【吉井理記】

 きな臭い。週刊新潮おとくいの頬被りで島村某の死を同誌が報じることはまずないだろう。
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by hiroto_yokoyama | 2010-05-19 05:36 | ブログ

井上靖『通夜の客』を読んだ

 わたしはこの小説の名を、なぜか少年のころから知っている。知ってはいても読んでもどうせ分からない、とずっと思ってきた。先日、『あすなろ物語』を読み、堀川弘通監督の映画を見たら、『通夜の客』をどうしても読みたくなった。五所平之助監督『わが愛』というタイトルで映画にもなっている(もちろん、未見)。
 読後、切ない。恋愛小説なのに、相手の男は死んでいる。はじめは客観描写。その通夜に若い女が来て焼香をすませて帰る。つぎに、その死んだ男への手紙という体裁でお話が始まって終わる。ふしぎな小説だ。どのように映画にしたのだろうか。先日、フィルムセンターで上映していたが見ておけばよかった。
 読後がさわやかだ。もう、わたしには遅いが、こんな恋をしてみたい、そんな気持にさせられた。
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by hiroto_yokoyama | 2010-05-16 09:58 | ブログ

井上靖原作、堀川弘通監督『あすなろ物語』を読んでから見た

 「あすは檜(ひのき)になろう、あすは檜になろうと一生懸命考えている木よ。でも、永久に檜にはなれないんだって! それであすなろうと言うのよ」
 原作には6人の女性が登場する。(映画は3人)トップバッターは冴子。わたしの初恋の人の名も冴子。劇中、上記の台詞を言うのが冴子。
 「あすは檜になろうと念願しながら、ついに檜になれないというあすなろ(羅漢柏)の説話」と井上靖は言うけれど「翌檜」(あすなろう)はいくらなんでも作者の造語とばかり思っていた。念のために広辞苑をひいたらなんと「翌檜」が載っている。わたしはこのことをさっき知った。
 6人の女性の中ではやはり冴子がわたしは1番好き。映画では岡田茉莉子が扮しているがとても魅力的だった。主人公・鮎太は久保賢(のちの山内賢、二話は鹿島信哉、三話は久保明(久保賢の実兄)が演じる)がとてもいい。(わたしの少年時代にそっくり。というのはウソ)
 ちなみに脚本は黒澤明が自分のチーフ助監督を務めた堀川弘通のために書いている(堀川弘通『評伝 黒澤明』でわたしは知った)。
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by hiroto_yokoyama | 2010-05-09 16:45 | 映画

山本嘉次郎監督『ハワイ・マレー沖海戦』をようやく見た

 昭和17年(1942年)に「太平洋戦争開戦一周年記念映画として、大本営海軍報道部企画、海軍の全面的協力によって作られた戦争スペクタクル作品である」と解説に書かれている。
 監督は小学生のころNHK人気番組『私の秘密』のレギュラー回答者だった山本嘉次郎。いうなれば、「幼なじみ」。その監督の撮った映画ということでタイトルは以前から知っていたが「戦意高揚」映画を忌避する気分が強く、たぶん見ることはないとずっと思ってきた。
 ところが田草川弘氏『黒澤明vs.ハリウッド』(文春文庫)に
 山本嘉次郎監督が書いた『ハワイ・マレー沖海戦』の脚本と黒澤明監督らによる『虎 虎 虎』「準備稿」には、とても偶然とは思えない類似点が数多くある。
 とあり、内容については
 ……簡単に言えば、田舎育ちの純朴な中学生の少年が飛行機乗りに憧れて海軍に入り、猛訓練の結果一人前のパイロットに成長して真珠湾攻撃に参加するまでの五年間をセミ・ドキュメンタリー風に描いた一種の教養小説(ビルドウングスロマン、とルビ)とも言うべき体(てい、とルビ)をなしている。その中でいくつかの師弟関係を組み合わせ、全体を青春群像劇に仕立てている。
 ビルドウングスロマンと聞けば見たくなる。数日まえガールフレンドからの連絡待ちの無聊を慰めるためにビデオで見た。見はじめると115分の長さだが引き込まれた。解説に
 一九四二年一二月に「開戦一周年記念」として封切られ、未曾有の大ヒットとなった。
 とあるがこの映画が今日まで永らえているのは決して「戦意高揚」映画だからなのではない。あの円谷英二特撮監督の功績が大であることは誰が見ても明らかである。この12年後あの『ゴジラ』が世に出た。
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by hiroto_yokoyama | 2010-05-08 09:21 | 映画

ハインツ・バトラー『アンリ・カルティエ=ブレッソン「瞬間の記憶」』を見た

 図書館から借りたDVDはきょうが返却日。見はじめてつまらなければ、そのまま返しにいこう、そう思いながらマックに挿入。1時間10分ほどがあっという間にすぎた。カルティエ=ブレッソンがシャッターチャンスをポンと手を打ってしめしておわり。まさに「決定的瞬間」。
 彼がまだ健在かのような錯覚に陥る。見終わって解説をみるとカルティエ=ブレッソンは1908年(日本では明治41年)に生まれて2004年に亡くなっている。彼の写真が死なないようにこのDVDはカルティエ=ブレッソンの息づかいを見事にとらえている。いまとてもいい気分だ。
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by hiroto_yokoyama | 2010-05-04 10:45 | ブログ

吉田喜重監督『秋津温泉』を見た

 この映画が作られたのは昭和37年(1962年)、わたしが中学2年のときだった。封切りで見たのではない。当時見ていてもはるかに理解の外であったろう。『キネマ旬報ベスト・テン80回全史』によるとこの年公開されてすぐに見た映画は何本もあるが好きな映画は『切腹』『椿三十郎』『おとし穴』くらいだろうか。最後の『おとし穴』はもしかしたら封切りより遅れて見たかも知れない。
 『秋津温泉』は映画監督を志して上京したのち勉強のためにどこかの名画座で見た記憶があるのだがディテールはほとんど覚えていない。きょうも勉強のつもりで再見。岡田茉莉子と長門裕之のまさに「しのぶ恋」というのだろうか、すばらしい。撮影は成島東一郎。色彩と構図がなるほどなるほどとうなづかされる。音楽は林光(わたしは林さんに拙作『卍』の音楽をお願いした)。武満徹はその著『音、沈黙と測りあえるほどに』のなかで台詞が「あくまで観念」なので音楽は「それを官能的な次元に置換えて」「直接的に働きかける」役割を担っていると言っている。まさにこの映画の林光の音楽はその見本のようである。
 ヒロインが最後に死ぬ映画をここのところ続けて3本見た。成瀬巳喜男監督『浮雲』昭和30年(1955年)、川島雄三監督『花影』昭和36年(1961年)そしてこの『秋津温泉』。どの映画もひどく切ない。それでいて心が洗われる気がする。自分では男女のことを知り尽くしていると自惚れていたが中途半端に、頭のてっぺんで分かったような気になっていたに過ぎない。ようやく還暦をすぎて分かるようになって来たのだからずいぶん奥手なのだと驚いている。時既に遅し。
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by hiroto_yokoyama | 2010-05-03 15:53 | 映画