有馬稲子と市川崑

 「週刊新潮」4/29号を立ち読みしてきた。日本経済新聞にいま連載中の「私の履歴書」がネタ。
 新聞広告に小さく「有馬稲子」が暴露した「市川崑」との修羅とあるのが気になった。わたしは有馬稲子のファンなので記事を読んで切なくなった。彼女の映画では『夜の鼓』が思い出される。
 この映画は原作近松門左衛門『堀川波の鼓』、監督今井正。わたしは有馬稲子の映画ではこの作品がいちばん好きだ。
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# by hiroto_yokoyama | 2010-04-22 12:35 | 映画

週刊文春はきょう発売です

 同誌4月22日号、右柱はいつもの通りカメレオン鳩ポッポのこと。
××にアメリカが音を上げた/バカが専用機でやって来ただって。おかしいですね。といって購読する気にはならない。
 週刊新潮同月同日号の右柱。
短期集中連載「亡国の小沢一郎」/反旗を翻した元筆頭秘書の証言第1回/「小沢一郎が/倒れた朝」
 朝日新聞阪神支局襲撃事件についての4、5回の誤報できちんと過ちを認め謝る姿勢があれば買って読む気にもなっただろうが週刊新潮と名前を聞いただけで嫌気がさす。
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# by hiroto_yokoyama | 2010-04-15 09:06 | ブログ

いじましいタクシー運転手が増えている

 スポーツニッポン18面に「客の取り合いで/タクシー運転手/相手を引きずる」というベタ記事が載っている。頭に大阪と囲んで本文。
 タクシー客の取り合いをめぐって口論になった別の運転手を約30㍍ひきずってケガをさせたとして、……タクシー運転手大久保恵右容疑者(59)を逮捕した。逮捕容疑は14日……国道で、運転席側の窓にしがみついた西成区の男性運転手(57)を……引きずって転倒させ、2週間のケガをさせた疑い。……大久保容疑者が男性の車の前に割り込んで客を乗車させたため……
 この記事のとおりだとすれば大久保某が一方的に悪いに決まっている。「いじましい」を広辞苑で見ると「意地きたなくせせこましい。しみったれている。こせこせしていて、かわいそうになる」とある。タクシーの台数が増え乗客は減り続けている。「こせこせして、かわいそうになる」運ちゃんは今後も右肩上がりで増加していくに違いない。馬鹿になりきらないとやっていられない賤業です。
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# by hiroto_yokoyama | 2010-04-15 08:43 | ブログ

記事数1001

 このブログを始めたのは2004年7月13日。きょうは2102日目らしい(ネットで探して計算した)。記事数1000を区切れとして閉鎖するはずだったがhatenaだけにするのは不安が残る。このexciteにも不満はあるがなじんでいる安心感もある。hatenaはローマ数字さえ文字化けしてしまうし文章に勝手に段落をつける。行間もひとりでに開いたりして余計なお世話と言いたくなる。
 そんな訳でexciteとhatenaの両方にこれからも同じものを載せることにする。
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# by hiroto_yokoyama | 2010-04-15 08:23 | ブログ

フィルムセンターの思い出

 わたしが京橋のフィルムセンターにはじめて足を運んだのは昭和41年(1966年)の2月だったと記憶している。わたしは身の程知らずにも東大の文Ⅲを受験(この受験については出身校で物議をかもしたが他で書く)。振り返ってみると受験で上京すると言うよりもフィルムセンターに行きたいという思いの方が強かったのではないか。
 見た映画は市川崑監督『黒い十人の女』だった(同監督『私は二歳』が翌日の上映? )。
 きのうフィルムセンターで2本見た。同日に2本見るというのは何年ぶりだろう。映画は大岡昇平原作、川島雄三監督、池内淳子主演『花影(かえい)』と吉行淳之介原作、中平康監督、仲谷昇主演『砂の上の植物群』。貰ったチラシを見ると前者は1961年(昭和36年)後者は1964年(昭和39年)の製作。すると『花影』を封切りで見たとすればわたしは13歳。中学2年生。ませていたとは言えちょっと考えられない。というのは昨晩見てディテールはともかくつい最近見た映画のようによく覚えている。封切りで見たとばかり思っていたが再上映が初見だったのかも知れない。
 それでフィルムセンターに話を戻すと足繁く通ったのは1970年(昭和45年)映画監督になろうと決意して上京した年と翌昭和46年、5浪ののち日本大学芸術学部映画学科監督コースに入学した年である。ほとんど毎日と言っていいくらい通った。見た映画はこまかく手帳に書き留めていたのだがその手帳を紛失した。100本か200本かもっとか。溝口健二特集、田中絹代特集、ドイツ表現主義特集(違う名称だったかも)ともかく見まくった。
 これからもたぶん命ある限り通うだろうがフィルムセンターの観客の年齢層がむかしに較べて相当あがった。ゲートボール会場に紛れ込んだのではないかと錯覚を起こすほどジジ、ババばっかり。わたしは死んでもゲートボールをやる気はしないがフィルムセンターがいまや老人クラブになりはてたかと思うと情けなくなる。映画の、いや日本の将来を憂う。
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# by hiroto_yokoyama | 2010-04-14 06:46 | 映画

「知られちゃならない二人の仲を、だれかにそっと教えたい」

 タイトルは松本清張『喪失の儀礼』(新潮文庫)246ページからの孫引きである。小説のなかに時々作者が顔を出すことがある。清張も登場人物のひとり警視庁の刑事・須田に生のままの自分を投影させているようだ。そこの件(くだり)を引用する。
……人間の特殊意識は隠そうとする一方、何かでそれを語りたいという気持に駆られている。須田(上記の刑事)は高校のとき、英文学好きの英語の先生からエドガー・アラン・ポウの「テル・テル・ハート」(告げ口心臓)という短篇の話を聞き、人間は意志に逆行して秘密をしゃべりたい衝動に駆られるものだと講釈された。その解説として、日本にも、「知られちゃならない二人の仲を、だれかにそっと教えたい」という恋愛の機微をついた俗謡があるとも聞いた。……
 清張さんはNHKのインタビューで自分は女を知らないので云々と発言しているがわたしの憶測では素人女は確かにあまり知らないだろうが売春防止法施行以前には相当商売女と遊んでいらっしゃったとお見受けする。読んでいると人に聞いた話みたいな顔で書いていても「おぬしやるのぉ! 」と驚くほど女性を研究しているのが分かる。
 清張以前には推理小説を読む女性読者はほとんどいなかったらしい。清張が『愛と空白の共謀』という小説を「女性自身」に書き出したあたりからだんだん女性も推理小説に親しみ始めたと何かに書いてあった。清張さんが多くの女性読者を獲得できたのは「おぬしやるのぉ! 」と感じさせるくらい女の気持を分かっているからなのだ。別に相手が素人でなくても女性は女性。松本清張の勉強相手はじつは商売女であったのだ(こんなこと書くとご遺族の方からきっとお叱りを受けるだろうな)。
 話を戻すと仕事場の写真あるいは執筆中の清張の写真はファンなら誰でも見たことがあるはずだ。そのすみに「POE」と白ヌキの表紙が写っている。いわずと知れた「エドガー・アラン・ポウ全集」である。わたしは「テル・テル・ハート」を読んでみようと図書館に全集3を予約したところだ。
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# by hiroto_yokoyama | 2010-04-13 07:40 | ブログ

与謝野晶子「ああ皐月仏蘭西の野は火の色す君も雛罌粟われも雛罌粟」

 見出しに書いた与謝野晶子の歌をわたしはどのようにして知ったのだろう。親には医学部に行くと言い5浪もしてしまったわたしは福岡市にある英数学館に2年間通った。通ったというのは正確でない。春先にちょっと顔をだしただけで後は映画を見たり天神でナンパしたり「医者になろうかそれとも映画監督か」と内心では悩みに悩んでいた。
 そんなある日福岡大学に入学したての友人に頼んでフランス文学で有名な大塚幸男名誉教授の授業にもぐり込んだ。マンモス教室で大塚教授がマイク片手に与謝野晶子の上記の歌をなんべんもなんべんもくちずさまれた。「君もコクリコ、われもコクリコ」与謝野鉄幹晶子の出会いを情熱的に語られたので強く印象に残ってわたしのなかにある。
 ツイッターで遊んでいたらこんな事を思い出したので秘密の自伝のためのメモとして書き記すのであります。
 ああ皐月仏蘭西の野は火の色す君も雛罌粟(こくりこ)われも雛罌粟(こくりこ)
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# by hiroto_yokoyama | 2010-04-12 07:40 | ブログ

秘密の自伝のためのメモ

 谷川雁『原点が存在する』(講談社文芸文庫)の松原新一氏の「解説」から少し長いが引用させて貰う。
 谷川雁が……農民や炭鉱労働者との連帯を実践的に生きようと願ったとしても、だからといって、ただの民衆の一人になり得るわけではない。「サークル村」の活動からその後の大正炭鉱の合理化反対闘争に至るまで、谷川雁と一労働者として行動をともにした加藤重一は、「……谷川雁という人は出自が悪い。眼科医の次男として生をうけ、幼少をねえや(原文は「ねえや」に傍点)つきというふざけた環境で育てられ、秀才の名をほしいままにしつつ熊本中学・五高から東大へとエリートコースを歩む。どこに労働運動に関与しなければならない必然性があったのだろうか。彼は胃の腑の要求からではなく、いわば純粋に思弁の世界で彼の思想を構築したのであろう。釈迦だって何不自由ない王子だったというから、ありえないことではなかろう。生前、直接その種明かしを聞くことはなかったが、彼を味方として受け入れるためには、私などは瀬踏み期間を必要とした」と、出会った頃に覚えた秀才の知識人谷川雁に対する違和感・警戒感の強くあったことを告白している(「大正闘争」・第Ⅲ期「サークル村」第2号、二〇〇三年秋)。
 谷川雁にわたしが似ている点は「ふざけた環境で育てられ」たところだけ。谷川は秀才。わたしはただの女好きの鈍才。えらい違いだ。加藤という人が谷川は「出自が悪い」という処がおかしい。その伝で行くとわたしは出自が良いのであろうか。
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# by hiroto_yokoyama | 2010-04-10 18:25 | ブログ

倉本聰氏が富良野塾を閉塾なさった

 拙作『純』の脚本はもともとは倉本さんのシナリオ。氏に了解を得て映画化をすすめていたが撮影後オールラッシュの段階で氏ともめた。ラングストン・ヒューズの詩を無声音で入れると当初決めていたのだが撮ってみるとこの黒人の詩とわたしの映像はどうしてもなじまない。率直に倉本さんに(詩を入れない)お許しをいただこうとしたのだが氏は「話が違う」と拒否された(「どうしても無声音で詩をいれろ」と主張)。
 中島貞夫監督から倉本さん(お二方は東大の同級生)をご紹介いただいた関係から中島監督が完成した映画に倉本さんのお名前を入れない(要は倉本さんがわたしにシナリオをプレゼントするという形)ことで氏とわたしの間を取り持っていただいた。
 富良野塾はちょうどそのころ倉本さんがお始めになった。映画でもめた後、伊藤俊也監督のご息女と倉本さんの甥御さんがご結婚なさり式場で氏にお目にかかりご挨拶申し上げたことがある切りでわたしは氏をお見かけすることもなく時がすぎた。
 けさの毎日新聞26面で正式に富良野塾閉塾のニュースを知った。同紙に載った氏のコメントが印象深い。
年々応募してくる若者の質が低くなってきた。本気で芝居をしたいのではなく、覚悟も教養もないまま、受け身で教わろうという態度が目立ってきた
 富良野塾とわたしが福岡市でやろうとしたふくおか映画塾とでは天と地ほどの隔たりがあることを百も承知の上で言えば「覚悟と教養もない」「受け身で教わろう」という不埒なパー坊が増えていることはまぎれもない事実である。わたしがふくおか映画塾を愚行と呼ぶ所以である。
 倉本さんは富良野塾から275人もの卒業生をお出しになった。わたしは日本映画学校からふくおか映画塾にいたるまで自分でちゃんと卒業させたと実感できる人間をひとりも持っていない。これは倉本さんとわたしの実力の差。
 記事の最後の方から引用する。
今後は卒業生らによるプロの演劇集団「富良野塾GROUP」の活動に力を注ぐ。
 わたしも倉本さんの爪の垢を煎じて飲むつもりで孤立を恐れず連帯を求めつづけようとの思いはあるのだが弊ブログもツイッターも読む人はほとんど冷やかしばかり。記事数1000を区切りに今後は自分ひとりだけよければそれでいい備忘録というかメモがわりに使うしかないと諦めの心境である。
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# by hiroto_yokoyama | 2010-04-05 06:45 | ブログ

高村薫を見直す

 数日前ツイッターでこの人のことをボロクソに書こうとした。毎日新聞のインタビュー(3月29日、30日「時代を駆ける」7回、8回)で「わたくしは、もう一度何かになれるとしたら、学生になりたい。」とか「わたくしが新聞などで発言するのは若い人たちのためにです。」とかわたしなどには思いも寄らないことを言っている。
 いいことも言っているのでそっちの方を書き残す(わたしのため。メモ代わり)。7回のサブタイトルは「勉強していない団塊の世代」。当時の大学紛争に触れて「あ、彼らは勉強していない」と思ったと語り、
 (団塊世代は)自分自身の言葉を持っていなかったのかもしれない。 
 この点については「団塊の世代」であるわたしは諸手を挙げて賛成である。
〈日本は戦後復興し、バブル期を迎え、それがはじけて、いま、社会は沈滞感に包まれている〉という記者の言葉に、高村さんは
 子供がみな、勉強する意味を見失っています。試験でいい点を取るなんて意味はなく、人生で何か問題が起きたときに、なぜそれが起きたのかを理解し、どうしたらいいのかを考えるために本を読んだり勉強したりするのですよね。それが完全に見えなくなっている。
 けっこういいことを言う。8回「希望のない社会はつらい」では
〈自分でものを考えよう、と常々書いている。特に若い世代には「人の話をうのみにしない。人の話というのは、政治家、企業、メディアなどですが、うのみにしない」(「作家と新聞記者の対話」=毎日新聞社)などと訴える〉と記者が宣伝文句を言ったことに対して、はじめに記した「新聞などで発言するのは若い人たちのためにです」などと言うから嘘くさくなる。
 高村さんは57歳らしい。わたしの5歳年下。7回に戻って引用する。
……自分の生活範囲の外に広い大きな知の世界があって、できることなら本を読んだり人の話を聞いたりしながら知識や教養を身につけていきたいと考えている。1960年生まれくらいまでですかね、(こんな考え方を)共有しているのは。
 この意見についても異論はない。ただ「若い人のため」とか「もう一度学生になりたい」というところがわたしと違う。それでも基本的に高村さんとわたしの考えはそれほど違わないと思い直して「若い人のため」などではなく自分のためだけにこの一文を残す気になったのです。
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# by hiroto_yokoyama | 2010-04-03 05:25 | ブログ