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ネット上の「印象批評」を批評する

 さいきんネットサーフィンをしていておもしろいものを見つけた。
「新作映画 試写室日記」
 去年の秋、福岡で『お友達になりたい』のたった1回きりの試写会を見た人の「印象批評」。
「9月19日(金)日本映画『お友達になりたい』
 横山博人監督率いるふくおか映画塾の第1回作品。夫の3回忌を終え、やっと落ち着き始めた佳恵。そんなある日、マンションの隣の部屋に、容子という若い女性が引っ越して来る。彼女は、夫のかつての愛人。そして、佳恵の部屋を訪れる自己破産の映画監督・榊。人生の途中で立ち止まり、悩み抜く3人の不思議な関係が始まっていく。真剣な人生の岐路に立つ3人の暮らしは、一見平穏そうだが、その裏にはさまざまな思惑がある。そんな世界を描くのに手慣れた荒木太郎監督は、かなり得意な三角関係を、まるで普通の生活と変わらないように飄々と描き出していく。だが、ピンク映画であれば、もっととことんやれた部分が、一般映画ということで制約を受け、中途半端になっているということは否めない。(ヴィスタ・デジタルビデオ)」
 わたしは最後の「ピンク映画であれば、もっととことんやれた部分が、一般映画ということで制約を受け、中途半端になっている」というところにものすごく引っかかる。こざかしい! 現場的サイドから言うと荒木監督は300万円で61分の映画作りに染まってしまっているので「中途半端」なものを撮ったにすぎないというのがプロデューサーとしてわたしの見るところなのだ。先輩監督として言えば荒木氏はホン(シナリオ)の読み込みがたりなかったにすぎない。
 『曖・昧・Me』で今村昌平監督が監督の佐藤闘介について「あと3年助監督をやらせなさい」とおっしゃったことに通じる。いったい「もっととことんやれた部分」とは何をさして言っているのだろうか? 書いているご本人にも分かっていないと思うがわたしには「セックスシーンがもっと増やせたはず」という風にしかとれないのだ。セックスは「やって気持のいいもの」であって見て楽しむものではない。どこかの大学院の手鏡先生じゃないのだから、見て楽しむセックスをあまり映画に期待しない方が脳みその健康のためだとわたしは愚考するが、みなさんはどうお感じになりますか?
 上記の稚拙な印象批評をお書きになった方、あるいはブログの上で(だけでしか)得意になってあれこれ言う(言えない)映画批評家の方々、わたしとこのブログで「映画批評」について一戦交えませんか。マスターベーションばっかりしていては明るいあしたはやって来ませんよ。
by hiroto_yokoyama | 2004-09-10 20:14 | 映画
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