わたしが京橋のフィルムセンターにはじめて足を運んだのは昭和41年(1966年)の2月だったと記憶している。わたしは身の程知らずにも東大の文Ⅲを受験(この受験については出身校で物議をかもしたが他で書く)。振り返ってみると受験で上京すると言うよりもフィルムセンターに行きたいという思いの方が強かったのではないか。
見た映画は市川崑監督『黒い十人の女』だった(同監督『私は二歳』が翌日の上映? )。 きのうフィルムセンターで2本見た。同日に2本見るというのは何年ぶりだろう。映画は大岡昇平原作、川島雄三監督、池内淳子主演『花影(かえい)』と吉行淳之介原作、中平康監督、仲谷昇主演『砂の上の植物群』。貰ったチラシを見ると前者は1961年(昭和36年)後者は1964年(昭和39年)の製作。すると『花影』を封切りで見たとすればわたしは13歳。中学2年生。ませていたとは言えちょっと考えられない。というのは昨晩見てディテールはともかくつい最近見た映画のようによく覚えている。封切りで見たとばかり思っていたが再上映が初見だったのかも知れない。 それでフィルムセンターに話を戻すと足繁く通ったのは1970年(昭和45年)映画監督になろうと決意して上京した年と翌昭和46年、5浪ののち日本大学芸術学部映画学科監督コースに入学した年である。ほとんど毎日と言っていいくらい通った。見た映画はこまかく手帳に書き留めていたのだがその手帳を紛失した。100本か200本かもっとか。溝口健二特集、田中絹代特集、ドイツ表現主義特集(違う名称だったかも)ともかく見まくった。 これからもたぶん命ある限り通うだろうがフィルムセンターの観客の年齢層がむかしに較べて相当あがった。ゲートボール会場に紛れ込んだのではないかと錯覚を起こすほどジジ、ババばっかり。わたしは死んでもゲートボールをやる気はしないがフィルムセンターがいまや老人クラブになりはてたかと思うと情けなくなる。映画の、いや日本の将来を憂う。
by hiroto_yokoyama
| 2010-04-14 06:46
| 映画
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