谷崎潤一郎がその妻・千代を佐藤春夫に譲ったという事件はあまりにも有名である。同書220ページからおしまいの5行を引用する。
こうして大正文壇を騒がせた世紀の細君譲渡事件は幕を引いた。
芦屋市の谷崎潤一郎記念館にある挨拶状の実物を目にすると、潤一郎、千代、春夫の名前が並んでいるのだけれど、千代の名前がかすかながら春夫のほうに寄りかかっている。この挨拶状は谷崎が書いたものだが、千代の名前を春夫に寄りかからせるように書いたところに谷崎のほっとした気持が現れているのかもしれない。
芦屋市に谷崎潤一郎記念館なるものがあることをわたしは知らなかった。そこに谷崎の書いた挨拶状があることも。ぜひ、一度行って見たいものだ。
最終章(第7章 文壇から消えた相馬泰三)を読むまでは「
芥川龍之介につぐ若手と期待され」「
高見順などが、大正時代の作家では相馬泰三などが一番作家らしい作家であったと述懐してい」た「相馬泰三」という作家がいたことも知らなかった。巻末(254ページ)の2行。
その晩年、相馬泰三は加太こうじとともに紙芝居の世界に生き、昭和二十七年五月十五日にひっそりと亡くなった。