わたしは以下のくだりを見つけるためにこの本を読んだ。
「…ぼくに必要なのは安らかな境地なんだ。そうとも、人から邪魔されずにいられるためなら、ぼくはいますぐに全世界を一カペーカで売りとばしたっていいと思っている。世界が破滅するのと、このぼくが茶を飲めなくなるのと、どっちを取るかって? 聞かしてやろうか、世界なんか破滅したって、ぼくがいつも茶を飲めれば、それでいいのさ。…」 (無論原文は縦書き、江川卓訳、新潮文庫192ページ) 以前五木寛之氏が書かれていた雑誌か新聞で知ったのだがドストエフスキーが登場人物に言わせている「一杯の紅茶」のことが気になって仕方がなかった。なんという作品なのかも分からなかったのだが西研『哲学的思考――フッサール現象学の核心』(ちくま学芸文庫)209ページに 「…こうした社会を変革し唯一の真理と正義を実現しようとする思想に対して、「一杯のお茶のほうが私には大事だ」(ドストエフスキー『地下室の手記』)という実存からの抗いも生まれた。」とある。これを読んで『地下生活者の手記』ではなく『地下室の手記』にどうしても目を通したくなった。 読みおえたあとの拾いものを以下に記す。 「…ぼく(ドストエフスキーではない。上記の「地下室の住人」のこと。横山)個人について言うなら、ぼくは、諸君が半分までも押しつめていく勇気のなかったことを、ぼくの人生においてぎりぎりのところまでつきつめてみただけの話なのだ。ところが諸君ときたら、自分の臆病(おくびょう、原文ではルビ。横山)さを良識と取違えて、自分で自分をあざむきながら、それを気休めにしている。だとしたら、あるいは、ぼくのほうが諸君よりずっと《生き生き》していることになるかもしれない。ひとつ、とくと見てほしい! 」 再来年定年をむかえるわたしと同い年の「サライ族」全員にこの書を読ませたい。
by hiroto_yokoyama
| 2005-12-02 15:31
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