わたしは1988年(昭和63年)田山力哉氏(故人)の薦めで文化庁在外研修生としてアメリカに行く決心をした。文化庁に応募するのに推薦人が必要だった。わたしは尊敬する3人の監督方に推薦文をお願いした。まず深作欣二監督からのありがたいお言葉をお披露目する。日付は昭和63年11月1日。
横山君は困難な映画製作状況の中で
独立プロを主宰し「純」「卍」等の作品を
発表、注目を浴びた。また、「フリーター」
「恋はいつもアマンドピンク」等の商業映画
等でも、旺盛な実験精神を示している。
彼のアメリカに於ける独立プロ活動の実地
見聞は、閉塞状況にあるわが国の映画界
に、必ずや有意義な結果をもたらすに
違いないと信じ、ここに推薦する次第
です。
深作監督が亡くなって何年経つだろう。監督のじゃらじゃら声の水戸弁がわたしをときどき叱咤する。