後者の解説は「二十一世紀へむけた思想の砲丸」と題して中沢新一氏が書いている。その末尾を引用させていただく。
「…この本は宗教を扱った本のように見えて、人間の思考の普遍性に関わる本なのだ。中世という時代に親鸞ほどに深く鋭く考えた人はいなかったように、私たちの時代に吉本隆明ほど深く鋭く考えぬいた人もいない。『最後の親鸞』はその彼が、二十一世紀に向かって遠く投げ出した思想の砲丸なのである。」 宣伝文句のように見えるが『最後の親鸞』を読んでみるとけっしてオーバーな表現でないことが分かる。同書18ページに 『〈わたし〉たちが宗教を信じないのは、宗教的なもののなかに、相対的な存在にすぎないじぶんに眼をつぶったまま絶対へ跳び超してゆく自己欺瞞をみてしまうからである。〈わたし〉は〈わたし〉が欺瞞に躓くにちがいない瞬間の〈痛み〉に身をゆだねることを拒否する。すると〈わたし〉には、あらゆる宗教的なものを拒否することしかのこされていない。そこで二つの疑義に直面する。…』とある。 本屋でちくま学芸文庫を手にしてパラパラめくるとこのくだりが目にはいりわたしはちゃんと読んでみる気になった。図書館の本には印がつけられないのでこの本を購入してマーカー片手に読み直してみたいと思う。 後者(PHP新書)は53ページの「親鸞のたどった足跡」と208ページ~219ページの「親鸞に関する年表」がありがたくコンビニでコピーをとらせていただいた。年表はセロテープでつないで日本史年表と見比べやすいようにするつもり。 高校の古文の授業を思い出しながらいよいよ『歎異抄』の本文に向かい始めよう。
by hiroto_yokoyama
| 2006-12-03 10:48
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