ブログは書きなぐれるからいい。駄文を書いても誰かが読んでくれる。自分のためだけにはじめたつもりだが、やはり誰かに読んでもらいたいという気分が少し、いやかなりあった。
きのう(7月25日)などはいい加減なことを書いたのに数十人の人が読んでいる。わたしの知り合いばかりでないのはたしか。(まわりの人にブログのことはまだ話していない) 自分のメモのつもりで、と言いつつ、会ったこともないどこの人かも分からない少数の人に読んでもらう期待もして、半自叙伝をはじめる。 1977年(昭和52年)東映東京撮影所の契約助監督だったぼくは、中学時代の同級生に久しぶりで会った。弟が工藝舎という会社を父の全額出資ではじめたが、登記の手続のすべてをその友人がやってくれた。 そのお礼で銀座の天ぷら屋で昼飯を食わせた。デザートかなにかが出てきた時、友人はサラリーマンをやめて婦人服の生地をあつかう商売をはじめたいと言いだした。資本金はいくらあるかとたずねたら、2000万円とこたえた。わたしは映画を撮るのに少したりないが、2000万円あればなんとかなるととっさに考えた。だめでもともとと思って友人に「俺は映画が撮りたい。その金を俺に出さないか」と言ってみた。友人はムッとしたような顔をしてしばらく黙ってうつむいた。怒ったかな、と思ったがわたしも黙って見ていた。友人は「よし、分かった。映画に金を出すよ」と軽く言った。 弟をつれて、その日の午後知り合いの女優にあった。3人で吉祥寺かどこかのレストランへ行った。2000万円で映画を撮ろうと思うが、なにを撮ればいいか分からない、とその女優に話したら、彼女はその時同棲していた男のいる部屋へわたしたちを案内した。部屋へ行くと男がいた。わたしはまえからその男と面識があったので、女優に話したことと同じことを言った。 その彼は、ニコリとして言った。「なにを撮ればいいか分からないとか言うが、あなたはずっと前から倉本聰さんの『純』をやりたいとしょっちゅう話していたではないか」と。 帰りの車の中で、迷っているわたしは弟にどうしたらいいか相談した。当時民芸品店でアルバイトをしていた弟は、1度撮影所に見学に来たきりで、映画関係の人間と話したのはその日がはじめて。そんな弟だから、いま撮らないともう撮れないとわたしの決断をうながせたのだろう。 こうしてわたしの『純』はスタートした。
by hiroto_yokoyama
| 2004-07-26 09:10
| 映画
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